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サラリーマンを陥れる他責の言葉

サラリーマンにグチはつきものです。日本では、サラリーマンは新橋のガード下でグチを言う、ということになっています。
 
グチは気の合う仲間と共有すれば良いガス抜きとなります。しかし、その内容は基本的に他責であるので、度が過ぎると自身の成長を阻害するので、注意が必要です。
 
グチの類で、響きに違和感を感じるものを幾つか紹介します。
 
1.会社が認めてくれない/評価してくれない
 
このような論調を聞くと「『会社』とは何だろう?」と思います。
会社から不当に扱われている。ならば私が会社を叱ってあげたいので目の前にその「会社」を連れてきてもらえないだろうか。
 
会社という物理的なモノがあるわけではありません。実際にそこに存在するのは「人々」です。
 
人事評価制度をもって「会社は私を~」と不満に思うならば、その不満の対象は直接の評価者である上司、ということになります。ですがサラリーマン組織は上司のみによって評価が決定する、というわけでもありません。
 
人事部に責任者があり、部門全体の評価を総括する管理部門があり、それ以外にも「その時々の趨勢を支配する発言力の大きい実力者」みたいな人がいます。さらに、全ての仕事には対象となる顧客、或いは内部顧客があり、それらのサービスに対する評価、評判が大きな要素を占めるのは言うまでもありません。
 
さらに、特に大企業ではそれらすべての人々が定期ローテーションによって移り変わっていきます。
 
そうすると、その時に評価を決める力を持ったキーパーソンがどこにいて、そこへどんなインプット/アピールをしたらよいか、その業務設計と実行力が無い、というだけのことになってしまいます。
 
もし、その可能性も跳ね除けて「会社に不当に扱われている」と言うならば。直属の上司だけでなく、人事担当者、部門責任者、実力者や担当顧客全てが、たまたま私を不当に扱う人で揃ってしまった。しかも幾度もの人事ローテーションを経てずっとたまたまそれが続いている。
 
「あなたにも何か改善の余地があるかもしれませんね。」と言わざるを得ません。
 
2.権限が与えられていない
 
これも「権限って何?」という話になります。
 
社内横断プロジェクトをリードする時。多くの部署を巻き込まなければならないが、直接の指示命令系統と違って、強制力が効かせ難い。
 
権限が与えられていないからプロジェクトが動かない。では「権限」はどのように与えたらよいのだろう。
「このプロジェクトに関してはこの者の言う事を聞け。」と書かれた社長直筆の朱印状みたいなものでも渡せばよいのだろうか。
 
部門間の折衝の議論で、既存業務からの変化を嫌う部門責任者。議論が硬直すると見るや、水戸黄門の印籠みたいなものを出して、「この紋所が目に入らぬか、私は社長の命を受けている。つべこべ言わずに、変革しなさい」。この手法は有効でしょうか?私のような、自分の信念に合ったことしかしない偏屈者は、印籠を見せられることで「コイツの言うことは絶対に聞くまい」と心に誓ってしまいます。

仕事は基本的には誰かを助けることです。変化を起こす時に、その変化が相手にとってどのようなメリットがあるのか。百歩譲って相手にメリットがないとしても、今の全社の危機を打開するために、あるいは長期視野での顧客の信頼を獲得するためにどのようにこれが必要なのか、それを自分の言葉に噛み砕いて相手の心に届ける。その作業を手抜きしているだけとしか言いようがありません。
 
「自分の言葉に噛み砕いて相手の心に届ける」のが難しいプロジェクトがあったとします。上向きの政争の具として浮上したプロジェクト。そういうのはどの現場からも望まれていない傾向があるので、「スジの悪いプロジェクト」としていずれ立ち消えになることが多く、また立ち消えても遅れても誰も迷惑を受けません。「上からの鶴の一声」のプレッシャーを受ける上司を除いて。
 
3.上司への不満全般
 
これが新橋で語られるグチの大半でしょう。
 
「上司がダメだから仕事ができない」
何だか、有名野球解説者の現役の頃の名言に似ています。
 
長いサラリーマン生活のローテーションの中では、理解のある頼れる上司、普通の上司、エネ上司にランダムに出会うことになり、そのことは自分ではコントロールできません。私の経験上は「良い上司、普通の上司、エネ上司」が「2:6:2」であると思います。
 
エネ上司に一定確率で出会うことが不可避であると前提に置くと、「上司がダメだから」やる気が出ない、成果が出ない、は言い訳になるでしょうか。
 
自分が課長になったら部長がエネ上司である可能性もまた避けられません。(ちなみに、役職を上がれば上がるほど、その上司がエネ上司になる可能性は上がります。なぜかは分かりませんが。)
 
その時に皺寄せを受けて苦しむ部下に一言。
「部長がダメだからどうしようもないんだよ。」
 
部長になればエネ本部長。本部長になればエネ専務。上がダメだから何もできない。
 
私がいつか社長になればその暁には。その日から善政を敷いて組織を正しく導いて見せる。それまでは何もできない。どうかまず、私を社長にしてください。話はそこからです。
 
上へのグチを共有するのはガス抜き程度には良いと思いますが、それをもって自分のパフォーマンスを諦めるのならば、自分がいずれ、今不満に思う上司に再生産されるのは自明です。
 
このことを考えれば、自分にとって過去の「理解がある良い上司」の思い出を呼び起こしたときに、別の見方が浮かび上がるかもしれません。その人は「ただのお人好し」では無かったのではないだろうか。
 
その上司の上にも入れ代わり立ち代わりエネ上司が来ます。「良い上司」は更に上のエネ上司の言う事を躱したり、いなしたり、うまくおだてたり。そうやってうまく自分の部下が直撃を受けないよう部下から見えないところで守っていたに違いないのです。
 
これはいわば降ってくる槍を「傘」になって受け止める行為です。上司が「傘」になるときというのは、部下から「傘になって下さってありがとうございます!」と褒められることはありません。
いわば、とても孤独な行為です。
 
「良い上司」は穏やかに見える反面、よく見ると内側に闘志を秘めていたりします。


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