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パーパス経営の盲点

近頃「パーパス経営」というキーワードが持て囃されるようになりました。
パーパス(目的)や価値観、というものを組織で共有し、従業員の共感を集めれば、会社をある方向に進める強い推進力が生まれる。
 
ステキだとは思いますが、現場で観察すると盲点のようなものを感じることがあります。
 
当初は良い勢いを生み出したものも、世代交代と共に失速してしまう。
 
創業者カリスマ社長が築いた強烈なカルチャー。二代目もその薫陶を受けて育ったけれど、初代に比べビジョンや精神性は失われてしまった。
 
私の働く製造現場カイゼンの分野では、「カイゼンの仕組みはあるのに、人々の魂が全くこもっていない」という現象が、時が経つとともに発生します。なぜこのようなことが起こるのか。
 
先日、アメリカ人の上役にこんなことを言われました。
「カイゼンはReligion(宗教)なのだから、現場にPrayer(祈り)を発生させなければならない。」
 
私は「半分は当たっていますが、半分は間違っています。」と申し上げました。
 
「Prayer(祈り)が発生する前にはWitness(目撃)があります。人はPreach(説教)や他人の言葉を信じることはありません。人はただ、自分が目撃した現実を信じます。」
 
例えばここに、朝礼で長話をすることが大好きなワンマンオーナー社長がいたとします。彼がある日言い出します。
「これから毎朝の朝礼で、みんなが心をひとつにして、『業績が上がりますように。』と祈りを捧げることにしましょう!」
 
結構な割合の社員がいよいよ真剣に退職を検討し始めるのではないかと思います。「ああ、とうとう・・・」という感じです。
 
「祈りましょう!」、「業績を上げましょう!」と言うことに全く意味はありません。なぜ祈りが発生しないのか、なぜ業績が上がらないのか、その前段階のプロセスに思いを馳せる必要があります。
 
百歩譲ってそのような物言いが経営者の「指示」として成り立つのならば、私はこんな指示を毎日します。
「低コストで高品質な製品を生産し、顧客満足度を上げて、売上と利益の拡大を実現しましょう!」
(実際そういう経営者を一定頻度で見掛けるのですが。)
 
「組織の壁を取り払い、自由闊達なコミュニケーションのあるチームを作りましょう!」とかいうセリフをリーダーが発するとき、私の経験上、そのリーダーは「おまいう」である可能性が高いです。
なぜそれを従業員に求めるのか。
 
「組織の壁を取り払い、自由闊達なコミュニケーションのあるチームを作ります。」と言うならば、希望の光が感じられます。自由闊達なチームが出来ていないときにはリーダーにそれを変える責任がある。その覚悟を負っているからです。ちょっとした語尾の違いでニュアンスが随分違います。
 
ようは、リーダーがその人生全てを持って、示すビジョンを体現しているかどうか。そのことを周りは注視しているわけです。祈りを発生させよう、ということではなく、リーダーの心の底に本物の祈りがあるかどうか、ということが問われています。
 
これが、「パーパス経営」を言い出した組織が陥りがちな罠です。
「パーパス経営」を打ち出したときに、リーダー自身が自分を変えようと悩み始めているのか。そうであれば、希望が持てます。

「従業員たちにパーパスを持たせよう!」というマインドセットでリーダーが従業員に接するならば、危険です。リーダーが発するハイコンテクストメッセージ(「利他の心」、「顧客志向」等)は否定のしようが無いものなので従業員は「ハイ、仰る通りだと思います。」としか言いようがありません。
 
しかしその実、従業員たちは「最近の社長の朝礼ヤバくない?『宇宙』とか『神様』とか言い出してるし。」とヒソヒソ話をして、経営に対する心理的距離の溝を深めています。リーダーは「裸の王様」状態です。
 
さてどんなときに本当の「祈り」は発生するのでしょうか。私の経験上、祈りが発生するメカニズムは以下の二つです。
 
1.奇跡的現実や、圧倒的な理想人物を目撃すること
人々の中に、「あの現象/人物に近付きたい」という願望が芽生えます。
 
2.地獄を見ること
悩みぬいた人は、自分の中に強い祈りを持つようになります。
「この地獄から逃れる道は無いのだろうか。」
 
ここに、会社・組織が「パーパス・ビジョン」を仕組みとして保つことの難しさが現れます。
2.のオプションは、現代ビジネスのコンプライアンスの文脈上では、選択肢として存在しません。
 
その結果、会社で設計される仕組みは1.のフォロワーを如何に内部に増やすか、という方法論に偏ります。
得難いのはフォロワー(追随者)ではなく、ライトハウス(灯台)となる人物です。地獄の中にあっても、奇蹟を起こして見せる、という人物が必要です。しかしそういう人物を組織内で育てる方法は無い、ということになってしまいます。
 
禅の世界では一子相伝の師弟関係の中で不条理な無理難題を課す、と聞きますが、その教育プロセスを一般企業に導入するのはとても難しそうです。
 
そうすると、ライトハウスとなる人物は外部から招聘して確保していくしかない、ということになります。
育った背景なのか、他社での経験なのか、結果的に何かの試練を既に乗り越えた人。その培ったビジョンに、弊社との重なりが多いようなので、条件を厚遇いたしますから、我が社にお越し頂けませんでしょうか。
 
というわけで、今後の企業経営においては経営幹部を外部から招聘することが多くなる、と私は予測しています。ひとつの会社に新卒から身を捧げたプロパーが階段を長年登り上げて念願の重役椅子を掴み取る、そういう日本企業独特の出世信仰観には今後無理があると感じます。



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