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受験勉強方法 2 モチベーション ~こころをつなぐもの~

NPO法人「STORIA」のワークショップで、教育リソースが無い中での受験突破に触れると、勉強方法をどのようにしたか、というご質問をよく頂きます。前回の記事ではテクニック的なことに触れましたが、今回はモチベーションの維持の仕方について触れたいと思います。
 

~親の関わり方~


私の母は厳しい家計をやり繰りしながらよくぞ3人兄弟の男の子を育て上げたと思います(私は末っ子)。
言うと驚かれることなのですが、私含めて兄弟全員が、「勉強しろ」と言われたこともないし、学校の成績を尋ねられたこともありません。ましてや大学を出ていない私の両親には受験勉強を指導する能力もないし、そもそも受験勉強とはどういうものかも分かっていません。
 
小中高ずっと「通知表」は親に見せず、「保護者確認欄」に勝手にハンコを押して先生に返却していました。大人になってから私が当時の心境を母に語ったときです。私が「成績が良かろうが悪かろうが、それは私自身が解決すべき問題だから親に見せてもしょうがない」と言ったところ、母も「そりゃ私だって見せられても困るわ」と言っていました。
 
しかし後で母は、「興味が無かったわけではない、意図してやっていたことだ」と言います。ホントか~?といったところですが、思い当たるフシもあります。
中高生というのは青臭い年代ですから、特に男子というものは非現実的なことを言い出したりします。「学業をやめて僧侶になりたい」とか「音楽家になりたい」とか。母は、そういったものに関しては「非現実的なことを言うな、アホ!」と即刻全否定しました。
 
親は木の上に立って見ると書く、と言いますが、そういうことかも知れません。放置しているように見せかけて実はハラハラしながら見守っている。そして明らかな危険や間違いが見えたら毅然と介入・修正する。子ども自身としては「俺は自由だ」と勘違いしているものですから、私は高2くらいまでは自分が魅入られた音楽のことばかりを考えていました。私の性格上、受験勉強は高3の一年くらいしか持ちません。ここぞの受験の節目以外のタイミングでは、本人が純粋に興味を持つことに没頭するのが一番ということでしょう。
 

~本人の気持ち~


高校3年生の一年間、私は「受験勉強」をひたすら現実的に捉えていました。
真の学問は教養を深めるためにあるもの?いやいや、そんなことはどうだっていい。あらゆる受験テクニックを駆使する「点取り競争」の受験勉強に学問の意味があるなんて最初っから思っていない。
 
でもどうやらこの世の中は、その「点取りゲーム」で振り分けられた先で将来の可能性が決まる、そういうルールらしい。だったらそれを実力で掴み取るしかない。志望校合格という結果だけを掴むために最も効率的なことだけをやろう。そんなマインドセット。前回の記事に触れた「ドラゴン桜」の教師も大体同じことを言っているので今から思うと納得するところです。
 

~結果~


結果、志望校に受かり私の将来は開けました。私の入った大学は武道館で入学式を行うのですが、交通費の関係で私の親は入学式を見にこれず、田舎者で東京の地理が分からない私は横浜に住む叔母に連れられて会場に辿り着きました。武道館ではアリーナに学生が座り、一階・二階席を囲む親御さんたちが「ウェーブ」を始めるのです。「手塩に掛けた我が子がゴールテープを切って約束のパスポートを手に入れた!万歳!」みたいな感じ。それは私の眼には気色の悪い光景に映りました。

キャンパスライフが始まっても違和感は続きました。官僚や政治家になる人も多い学校なので周りの同級生もやたら「これからの日本は~」とか大上段の語り口が多く、私は「点取り競争を突破しただけの18歳の中高生が何を言うとるか」とか思いながら、飲み会・コンパの誘いを断り夜直の工場勤務に出ていく、というまあ変な学生でした。でも今から思えば私の方が一般的な感覚かもしれません。
 

~運が良かった~


そして、私の将来が開けたのは幾つかの偶然の運がもたらしたものでもありました。
 
先生との出会い。小中どちらも私の担任はなぜか音楽の先生で、私は青春のエネルギーをすべて音楽に注ぎ込みました。そのことは、青春時代特有の、不安定に揺れがちな雑音から私を遠ざけてくれました。
 
地方性。田舎では私学が余り発達しておらず、進学を希望する者は一定の公立高校に集まるのです。そういう環境に身を置けた私は恵まれていました。お金をかけて私学に行かなければ一定以上の進学はない、という都会の環境下では私の将来は見えなかったと思います。
 
兄弟の存在。私は男三人兄弟の末っ子ですが、母の上手な方針もあって兄二人とも先に国立大学へ進学していました。私は兄が残した古い参考書をそのまま貰うことが出来、前回の記事にあった、それぞれの参考書の重要ポイントも教えて貰っていました。ちなみに兄は大学で同級生に聞き取った結果として、「ほとんどの家に『学研まんが』があった!『学研まんが』は必要条件!」と主張していました。怪しい後日談ですが。
 
音楽、特にビートルズとの出会い。私はビートルズの音楽に衝撃を受けのめり込むあまり、高校生の間に200曲以上の歌詞を全て丸暗記していました。そのことで英語は私の得意教科となり、今の海外駐在生活に至るベースともなっています。高校のときに友人が「とにかくこれを聞け」と私に「サージェントペッパーズ」という変な写真のついたアルバムを渡してきました。見てみると「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」のような有名曲は一曲も入っておらず、私は「何だこれ?」と怪訝な顔で受け取りました。
その友人に「君が私の人生を変えた、ありがとう」と伝えたいのですが、それはまだ実現していません。

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 将来が開けることを偶然のことだけにさせないために。
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