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【ライブレポ】待ち合わせが下手だった -Sphery Rendezvous 初日 BUMP OF CHICKEN

今回のツアーにまつわるエッセイのあとに、各曲の寸評・雑感を書いています。
セットリストがわからないように曲名は伏せますが、文章だけで、わかる人には分かってしまうかもしれません。
また、ステージの展開が記述として含まれていますので、
完全初見を楽しみたい方は、絶対に読まないでください。


1.待ち合わせが下手だった

私は待ち合わせが下手だった。
そのことをBUMP OF CHICKENのライブツアー初日、会場に向かう新幹線の中で思い出す。

大きな駅に着く直前、新幹線が止まった。人身事故ということだった。
無事を祈りながらも、私はいつも待たされるのだ、と思った。

車内では、いつまで停車しているのか見通しがつかないことに苛立つ人もいたが、私は焦らなかった。少なくとも3時間前には会場にいる予定で家を出たからだ。

私がそこまで早く行動するようになったのは、育ちが関係していると思う。幼い頃とてもマイペースだった私は両親にいつもきつく怒られた。
「早くして」というのが両親の口癖だった。

私自身、いろんなことに気を取られる性格であることに自覚的だったので、小学校に入ると、日直の日は誰よりも早く登校し先生を困らせ、中学校の部活は大会の日に始発で会場に行き先輩たちがくる頃には疲れ果てていた。

早く家を出さえすれば安心だった。
誰にも怒られないから。
待ち合わせは苦手だった。
遅刻して相手を怒らせるかもしれないから。
それが嫌で、自分が早く来たくせに、相手に待たされる時間が耐えられないから。

だったら、ひとりがいい。
誰も待たず、誰も待たせず、自分のペースで生きていきたい。
十代のうちはこれが私の生きる上でのテーマだった。

そんなうまく生きられない私の人生に、BUMP OF CHICKENは必要不可欠だった。うまく生きられない私をあらゆる言葉で肯定してくれるから。
元気じゃなくても、うまく生きられなくても、それでも生きろと言ってくれるから。

月日流れて、社会人になり、どうしようもない事情で待ち合わせに遅れる経験を何度かした時、心底驚いた。
誰もさほど怒らないのだ。

そして気づいた。

怒っていたのはいつも自分の方なのだと。
自分だけがルールを守り、怒られないように生きていかなければいけないと、憤っていたことを。

いまだに、遅れても良いか、とは思えない性格だし、時間ギリギリになりそうだと不安でずいぶん早くに連絡をしてしまう(しかも余裕で間に合う)。
それでも、いくつかの待ち合わせの成功体験で、トラウマは小さくなった。

恥ずかしいことだけれど、しっかり準備すれば、待ち合わせは失敗しないのだと大人になってから気づいた。

それが理解できた時本当に嬉しかった。ほとんどの読者には当たり前の事だと思うけれど、嬉しかった。言葉に直すと、そうとしか言いようがない。

それほどに待ち合わせに苦手意識があった私には、Sphery Rendezvousというタイトルに参加することは、荷が重かった(Rendezvousには「待ち合わせ」の意味がある)

誰よりも遅れてはいけない相手のBUMP OF CHICKENと待ち合わせをすることになってしまった。

そして、実際に待ち合わせに遅れそうになっている。

結局、無事に会場に到着することができて、開演を待つための準備をする時間も十分に取れたのだが、新幹線に閉じ込められた瞬間から、このツアーが自分にとって忘れられないものになる予感があった。

会場のベルーナドームは信じられないくらい暑くて、この環境でライブに参加することには不安があったけれど、自分史上、最も良い席だったので、熱中症にならないように飲み物をたくさん飲みながら開演を待った。

会場を見渡す。
ライブに集中できるような配慮だろうか、雑多な音楽を流すのではなく、一定のリズムのSEがなっている。
これは、前回のホームシック衛星2024の演出に似ていた。きっと、演出のスタッフ陣が考え抜いたステージングなのだろう。

開演時刻が迫る。観客はまだまだ会場に入り続けている。
間に合うのか? 
ふと、それぞれの「待ち合わせ」が気になり始める。

時間になる。

しかし、会場は明るいままだ。
なかなか開演しなかったが、みんなが入り終わったくらいに会場は暗くなり、メンバーが登場する。

できるだけみんなを待ってから開演したのかもしれないし、別のトラブルがあったのかもしれない。遅れた原因ではないと釈明していたMCのゼリー事件が本当は原因だったのかもしれない。

しかし、そんなことはどうでも良いことだった。
 
時間通りに始まらなくても、やっぱり、誰も怒らなかった。
笑いが込み上げてくる。
全員が満足そうな顔をしていた。
みんな、待ち合わせがうまくいったのだ。

私は立ち上がり、ステージに立つ4人に拍手を送った。

2.寸評・雑感

1曲目
あれ?  このフレーズ、あの曲から始まらないのか?という疑問が浮かんだ瞬間に、曲が突然始まり、ツアー開始を高らかに宣言するようなイントロが鳴り響く。
この曲と初めてあいまみえたので、メンバーを含めて会場にいる全員が緊張しているように感じられた。それもすぐに解けて、みんなが思い思いに楽しむ空間が出来上がる。 
曲終わりに美しいバンドロゴ、ツアーロゴが映し出され、一曲目なのにまるで大団円といった幸福感があった。

2曲目
アルバムリードトラックの先輩としての風格を見せた楽曲。
配置に面食らったけれど、もしかすると、冒頭2曲とラスト2曲が対になっているのかなと感じた。
アルバムを代表する楽曲とアルバムの核になる楽曲が配されて、バンドのディスコグラフィが感じられるようになっていたのかも。

3曲目
いつでも爽やかな顔をしている楽曲だけれど、ままならない寂しさが歌われている。
前2曲でも歌ってきた生きること、孤独なことやこの曲が歌う戻れないこと、そのどれもに感じる寂しさをしっかり悲しみながらも、その寂しさを慈しんでもいる強さや優しさが感じられた。

4曲目
アレンジ部分のキーですぐに曲が分かったので、楽しむ気持ちができていたけれど、久しぶりに参加したこの曲直撃の世代なのであろう周囲の観客は、イントロで一斉に膝から崩れ落ちていき、吹き出してしまった。
演出込みで楽しみながら、この曲、誰の住むまちにも似合うんだなぁと新しい驚きを得られた。
私がイメージする風景は十代を過ごした郊外のまちだったから。

5曲目
ここまで感じた各々の心象風景を現像する時間を用意してもらったようで、感動がじわじわと身体に流れ込んでくる。
この流れに置かれると、4曲目の回想とそれを思い出にした大人の目線が立ち昇ってきて、今までとは違った視点で歌詞を解釈できて新鮮だった。
この辺りから、周囲のすすり泣く声が大きくなっていった。

6曲目
この楽曲のアルペジオが持っている美しい響きは、いくら表現を変えても全ての楽曲に、かつての轟音の中に感じた魂と同じものが注がれているのだと教えてくれる。
転調のフレーズは、優しいようでいて、パンクバンドとしてのBUMPを強く感じた。

7曲目
愛。大きな愛。
好きなものの名前をつけて、私たちのことを歌うなよ。照れる。
ほぼハンドマイクなのに、ギターを携えて歩き回るのが、少し面白かったよ。

8曲目
藤原基央のボーカリストとしての凄まじさを思い知らされる。
それを余すことなく届けるバンドのタイトな演奏。ただメンバーを照らし出す美しい光の演出。歌詞の持つ切実さに心の底から胸を打たれる。
放心状態でただ涙を流し続けるしかできなかった。

9曲目
8曲目を聴いて、その信頼に応えるにはどうすればいいのか分からなくなった会場全員の心を救いにきた楽曲。
個人的なこのライブの演出におけるハイライト。
SE、舞台装置の変形、映像、全てが完璧なタイミングで噛み合って、高揚感が凄まじかった。

10曲目
皮肉まじりの言葉と裏腹にそれぞれが生きてきた人生へのリスペクトもある。
そのことに気づいたのは大人になってからだったけれど、今でも頬を叩かれた気持ちになる時もある。 
削ぎ落とされた演出がバンドを最大限に引き立てるソリッドなステージングで、集中して見ることができた。

11曲目
メンバーの背中越しに見た無数の光が波打つ様は、圧巻だった。
この景色に向かって歌いながらも、一人ひとりと会話するように動き回る藤原基央の動きは、タイアップ作品に通じる可愛らしさだった。

あの時、目があって、指を指してくれた(そう信じたい、信じている)

12曲目
スタンドのどよめきが聞こえた瞬間、ようやくSEが自分の耳に届き、何が起こったか理解し始める。
クラップとシンガロング、その幸せな関係を祝福するような眩い光。
感謝を叫ぶバンドとファンの相思相愛な空間になったのは、この曲の持っているメッセージに会場が呼応したからかもしれない。
ありがとよ。

13曲目
挑戦的な要素の多いバンドのディスコグラフィでも、異質な楽曲だと思っている。
それ故に工夫して演奏している様子を見るのが毎回おもしろい。生っぽい音じゃないのに、バンドを強く感じた

14曲目
実は不穏にも感じられるラストを迎えていることが気にならないくらい穏やかな楽曲。
かつて、電車やバスに乗れなくなったらおしまいとどこかのインタビューで行っていたことを思い出す。
難しい言葉を使うよりも、誰しもが使う言葉で誰にもできない表現をするのが藤原基央なのだ。

15曲目
これだけの曲が並んだセットリストの終盤に、この曲が控えていたことにバンドとしての歴史を感じた。
みんなが天を見上げる瞬間を作ってくれたこと、それで生まれた暖かなファン同士のまなざしの交流。
この曲が生まれ持ってきた責任や役割の大きさを改めて感じるとともに、それを引き継ぐ楽曲が次々生まれていることにも感動した。

16曲目
本編ラスト。
終わりの寂しさすらも飲み込んで輝きを放つ祝祭空間になった。
一緒に歌うことで完成する楽曲は、「君がいたから、生まれたアルバム」と伝えてくれた言葉を体現していた。

En
En 1曲目
ラフな感じで始まった往年の名曲は本編に匹敵する盛り上がりだった。
演奏が終わり、実はこの曲は、待ち合わせの歌でもあるのだと気づいた。

En 2曲目
もう終わってしまうことが名残惜しく、今日ここにいた証を刻むために、全員が声を張りあげる。
本当に一人ひとりの声を拾い上げようとしているかのように、愛おしむ視線が彼らが『一対大勢』ではなく、『一対一』の感覚と普段から言っていることが本心であると感じさせてくれた。

ラストMC
ここまで何度も伝えてくれた、「君がいる世界だったからこのアルバムはできた」ということを丁寧に伝えてくれた。
みんなも、このアルバムが生まれたことを祝っているようだった。

初日だったので、私たちはBUMPのメンバーをツアーに送り出すことができた。彼らが無事に、各地で待っている人と待ち合わせができますように、とその背中に祈って送り出すことができた。

今度は、彼らと私の街でも待ち合わせをしてみたい。その時が来たら今より私も待ち合わせが得意になっているはずだ。

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