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時間の感覚

めまぐるしく時間が過ぎ、短時間で多くの情報を処理するように急かされる。長い小説は速読でかっ飛ばし、映画も2時間の作品なんてもってのほか、音楽でもクラシックは敷居が高く交響曲などは長すぎる。学校でも授業中にフラフラと歩き回る光景はあたりまえ。予備校の映像授業は15分単位が主流となって市場に出回り始めている。

日々の生活の中でゆっくりと芸術作品に対峙する余裕は欲しくても、なかなかそうにはなり難い。昭和時代の人気アニメ「巨人の星」では、ピッチャー星飛雄馬の渾身の一球がバッター花形満や左門豊作に届くまで、土曜のテレビ放映を2週間にまたいで描かれても日本中が文句を言わなかった。「昭和時代」の悠長さは今現在のスピード感覚とは全くの別世界。しかしそれはそれとして、今は今なりの物の見方や捉え方を示してくれる「モノサシ」は実はあるようにも思える。

「同じ空がよく見えるのは心の角度しだいだから」言わずと知れた、きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」のワンフレーズだ。風景や花、美術や音楽など芸術作品、また文芸なども含め森羅万象そのもの自体は何も変わらず不変だが、受け手側の余裕や気分、それこそ「心の角度」しだいで見え方や聞こえ方が大きく変わってくる。不変の対象物に向き合う私たち自身の方が変わってきているという視点から打開を探る。

 芥川賞作家の柴崎友香さん『続きと始まり』の一場面で、車で通勤する女性が毎日同じ場所から見える街並みの風景がどのように見えるかで、その日の見え方を自分で感じ取るという描写がある。まさしく映画や音楽や小説、自然の風景など、また芸術作品の美の象徴とされるものを自分の目でどのように感じ取れるかという相対的な評価基準を知っておくという視点だ。

確かに速度では音楽の「歩くように」という速度標語「アンダンテ」はメトロノームでは63~76だが、50年や100年単位で比べると、歩く速度の感覚が作曲当時よりも早くなっている。またチューニングでは「ラ」の音に合わせるが、音を高くすると音色が明るく華やかになるという時代の要請で、20世紀に入って周波数440ヘルツが基音になり、442ヘルツに合わせたり445ヘルツが現在の主流になっている。

バロック音楽を集大成したバッハの時代は、当時の楽器の特性もあって基音が低い。中世からバロック時代(11世紀から18世紀)は、430ヘルツあたりで(415、392なども)静かで、独特の陰影と響きを持ち独特な味わいがある。往事の古楽器を再現して、時代の雰囲気を感じ取ることができる演奏会も昨今は見受けられる。

思い切って美の象徴であるギリシャの彫刻やミロのヴィーナスの像を見続けて、時間感覚や美的感覚、通り過ぎてきた時代感覚、美しいものを受容できるかという「モノサシ」を頭の隅に備え、美を追求し続けることが現代を生きる我々にとってスマートな処方の一つだと思っている。