見出し画像

音声入力やフラッシュ暗算に脳ミソが追いつかない

1.音声入力
 文字を記録するには手で書いたりワープロやコンピュータに打ち込み記録する。長い年月に風化しないためには印刷術や、インクの原料、紙のすき方、またコンピュータの記憶媒体を再現できるかなどの課題の克服がある。
 古代からの遺品の中には木簡や陶器や石などに刻んで年月を乗り越えて目にすることが出きるものもある。
 裁判記録や国会などで速記という特殊技能で記録をとったり、音声や映像で記録をとることもある。
 最近のコンピュータの進化やAIの進化で、話した言葉をそのまま文字に起こす技術の進歩と、スマホの音声入力の気軽さに代表される汎用性でいささか技術革新の速度に追いついていかない感がある。
 ちなみにこの文章はwordで打ち込んでいるが、音声入力をしようとしても
考えをまとめて表現、出力する脳内スピードが追いつていないことが実感としてわかる。音声入力は慣れの問題で、2~3年訓練すると1500~2000字程度の文章は数分で納めることができるらしい。軽自動車でめいいっぱいふかして走ったり、カラの雑巾を絞るような感じである。
 音声からそのまま記録するにはスマホのメモ機能に音声で入れることを茶飯にしたり、Siri(スマホの音声起動)とのやりとりから新体験を日常にするかで、それを文字起しと連動することである。
 会議の記録を音声入力で文字に起こしたり、日本語であれば漢字変換などの精度もかなり高い。外国語への翻訳もお手の物なので電源の保証さえあれば鬼に金棒か。充電技術の発達が続くのだろうが、新しい起動エネルギーが発見されると半永久の便利品になるのだろうか。
 
2.そろばんと暗算
 脳の処理スピードが追いついていかない実感があると記したが、脳内のシナプスの可能性は際限がないので、訓練の仕方次第で飛躍的に進化しそうにも思える。表向きにはその価値が薄らいでいる「そろばん」が今新しい。知る人ぞ知る人にとっては既知のことだが、そろばん式暗算、フラッシュ暗算が最先端の脳の無限の可能性を体現している。
 ただし「右脳」「左脳」よく言われるように意識をしている脳の使い方と、感覚的に、勝手に脳が働く感覚の使い分けにかかっている。というように自分では感じる。よく、教科書や参考書を1ページまるごと映像として記憶している感覚と似ている。脳の機能の数パーセントも使っていない、ということにも関連している。
 珠算は計算技術や算数、数学の領域でとらえるよりは、いわゆる芸事、ピアノや習字などの領域ととらえる方がわかりやすい。誰でも小さい時から馴染んでいくと無理なく珠算技術も暗算技術も身につく「芸事」である。大人になってから習得するにはかなりの根気がいる。
 書かれた数字を目で追って計算する、音声で読み上げて計算する、そろばんを使わないで暗算で計算する。この三つの技術のうち、画面上に出される数字を暗算で計算することを「フラッシュ暗算」と呼んでいる。
 世界記録は3桁15口(3桁の数字が一つずつフラッシュされて15回たしていく)がわずか1~2秒で脳内処理ができている。一秒ずつなら15秒になるがこの程度のスピードなら今では幼児や小学生でもこなせる子が当たり前のようにいる。
 別の世界、将棋の世界でも「詰め将棋」を将棋教室の子どもたちが頭の中で駒を動かして取り組んでいる様子がNHKの特集で流されていた。

3.AIと人間
 電気をエネルギーにスマホに代表されるコンピュータ技術の進化が進めば進むほど、人間の仕組みの尊さが逆にわかってくる。食べ物と水分を摂取して、睡眠と活動の繰り返しで平均したら70~80年、またそれ以上の存在が確かにある。
 少し大げさかもしれないが、音声入力に慣れていき、ピアノや楽器などにも親しみ、そろばんやフラッシュ暗算にも親しむことが、人間らしく、しかもAIと共存するうえで自分の中ではスタンダードになると感じている。人間を人間たらしめる素地の一端としても、外した考えではないことは確信できる。