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なぜ僕は「現代アート」に魅せられているのか

⚠️本記事には筆者の主観が多く交錯するため、情報に間違いがある可能性をご了承の元、温かい目で読んで頂けますと幸いです。

筆者はよく自己紹介として趣味を話す際に、
「現代アートって面白いんです!!」という説明をします。
でも実際に話の中で説明しても、上手に伝えきれていない部分が多くあるように感じるので、自分なりの解釈を言語化してみようと思います。

この記事を通して伝えたいこと

・「現代アート」とはどんなものなのかが少し分かった気になってもらうこと
・筆者が思う現代アートの捉え方を知ってもらうこと
・筆者の好きな作品について紹介すること

現代アートとは何か?

まず現代アートの定義についてざっくり説明すると、
現代アートとは、
「現代の社会情勢や社会問題を反映した作品や、美術史や社会への問題提起・批判を感じさせる表現を織り交ぜた作品」
のことを指します。
上記の定義の例として、よく挙げられるのが Marcel Duchamp の「Fountain(噴水/泉)」という作品です。

Marcel Duchamp「Fountain」
(フランスのパリにあるポンピドゥセンターにて撮影)

この作品は男性用小便器を横に倒し、"R.Mutt"という署名をしたものに「Fountain(噴水/泉)」と名付けられた芸術作品です。
この作品が発表された当時の美術史には、制作者によってゼロから創り上げられたものこそが美術作品であるという考え方が広く浸透していました。
一方、その考え方に対して他の誰かが制作した「既製品」に手を加えたものによって、美術作品を成立させようと試みたのが Marcel Duchamp でした。
当時浸透していた美術界の考え方から逸脱した Marcel Duchamp の行為は、美術界に新たな視点を与え、後世の美術評論家からは「現代アートの起点となった作品」と評価されています。
Marcel Duchamp によって提唱されたこの概念は「レディ・メイド」と評され、大量生産された既製品からその機能を継承または削ぎ落とし、作品として陳列することを意味します。
他にも、Marcel Duchamp の作品として Leonardo De Vinci の「Mona Lisa(モナリザ)」に髭を口髭と顎鬚を付け加えた「L.H.O.O.Q」などがあります。

Marcel Duchamp「L.H.O.O.Q」
(出典:Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典)

このように現代アートの根底には、ゼロから生み出されるもの以外に「既製品」というものを再解釈して作られたものも美術作品であるという概念が存在します。

筆者は現代アートをどのように捉えているのか?

現代アートの捉え方は十人十色あると思いますが、
筆者は現代アートを「作品の制作者とその場に居合わせた人達による双方向のコミュニケーションによって成立するもの」であると考えています。
まず筆者の経験談として、現代アートの美術展にはキャプション(作品における解説)が明記されていないことが多いです。
理由としては、キャプションを明記してしまうことによって、
「作品に対する鑑賞者の思考にバイアスがかかってしまう可能性があるから」
だと筆者は考えています。
また制作者は作品を目に見える形で鑑賞者に提供するという部分に大きい責務があると思っています。
そして制作者以外の責務としては、「自分」と「自分以外の鑑賞者」の2つの視点による制作意図の解釈があると考えています。
筆者の向き合い方としては、下記のような形となっています。
まず制作者の制作意図を考えながら、作品を鑑賞し、自分なりの解釈を確立します。
その上で自分以外の視点を取り込んでいくことによって、自分では気が付かなかった作品の魅力を創出し、作品を再評価します。
筆者にとって、上記のような双方向のコミュニケーションこそが現代アートの面白さであると考えています。
また作者はなぜこの作品を制作したのだろうかであったり、この作品を通じて何を伝えたいのだろうか、自分以外の人はどう感じているのだろうかということを考えながら鑑賞することで、新しい視点や魅力を見つけることができると思います。

ここで筆者にとって印象的であった作品を1つ紹介させていただきます。
その作品は、フランスのパリにあるポンピドゥセンターに展示されている Maya Dunietz によって制作された Thicket という作品になります。

Maya Dunietz「Thicket」
(フランスのパリにあるポンピドゥセンターにて撮影)

この作品は展示空間内の上部に11500個のapple製のイヤホンが吊るされており、四方八方のイヤホンから音が流れてくる作品となっています。
この作品の特徴的なところは、音が近づいたり、遠ざかっていく表現が忠実に再現されており、鑑賞する位置によって聞こえ方や作品に対する印象に変化を感じることができます。
筆者はこの作品に対して、デジタルな人工物を使用した作品であるのに、
どこかの森林にいるかのような自然的な現実味を感じました。
どうしてそう感じるのだろうと思いながら鑑賞を続けていると、同じ空間で鑑賞されていた方が 「音が過ぎ去った後の静寂までの流れが上手に表現されている」と話していました。
それを聞いて、自分が感じていた自然的な現実味の理由が明快になり、他者の視点によって自分の解釈に深みが増した印象的な作品となりました。
他にもポンピドゥセンターには素晴らしい作品がたくさん展示されているので、パリに行く機会があればぜひ訪れてみてほしいです🇫🇷

ポンピドゥセンター

本記事を通じて、筆者が捉えている
「現代アート」とは作品の制作者とその場に居合わせた人達による双方向のコミュニケーションによって成立する
ということに少しでも共感してもらえたら嬉しいです😁

最後にMarcel Duchamp の言葉を添えて締め括ろうと思います。

All in all, the creative act Is not performed by the artist alone; the spectator brings the work in contact with the external world by deciphering and interpreting its inner qualifications and thus adds his contribution to the creative act.
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何よりも大切であるのは、創造的行為というものは制作者1人だけで完結するものではない。
鑑賞者は作品が持つ特性を読み解いて、解釈することで、作品を外界と接触させ、それにより(鑑賞者自身も)創造的行為に貢献していくことになるのである。

(出典:The Creative Act By Marcel Duchamp, 1957

ps.) 本記事のサムネイル画像は、筆者がポンピドゥセンターの横にあるジョルジュ ポンピドゥー広場にて撮影した写真になります。


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