2022/11/11
みなさんどうも、お久しぶりです。
私は今、心療内科の待合室にいます。
毎度待合室にはいっぱいの患者さん。
自分と同じ、自分と向き合うことを決めた人、仲間の皆さんです。
ここに来るだけでも、少し息がつける。
皆さん柔らかくて、優しくて、少しお節介な人もいるけど、やはり周りを見るのに一生懸命すぎて、それが自分にも痛いくらいに分かって、涙が目に浮かぶことも。みんな一緒に生きてるんだって実感できる。
苦しいけれど同じ空気を吸う人達だなあと、診察を待つ背中に安心感すら感じる。
最近は自己判断で薬を飲むのをやめてみたのですが(これ絶対にダメ、先生に怒られました)、ネジが緩い自転車のハンドルを握ってるみたいな感覚です。
感情があちこちに散乱して、思い出なのか夢だったのか分からない感覚になってる。
でも五感は鋭くなって、音楽だったり美味しいご飯、服の色味や素材を見極めたり味わうには、最高の感覚を手に入れた感覚になってる。
きっとこれは良くない、感情の暴走なんだけど。
でも苦しいことがひとつあって。
薬を飲んで感情を落ち着かせてるせいで、狂おしいほど音楽に溺れたくても、自分の体、生命のために制限がかかって思い切り入り込めない。
それが、ぬか喜びというか、音楽を純粋に楽しみすぎて、以前みたいに、異常と言われるほどもっと繊細な、誰も気が付かないようなところまで音を聴き込みたいのに、冷静になってしまう。それが本当に辛い。泣くこともほとんど無くなってしまった。
涙を流してた時の方が、スッキリすることも多かった。
今じゃ大人しい、いい子の私である。
薬で抑えてる自分が本来の私なのか?
薬を飲んでない時の方が、繊細に物事を気づけたしよく話した。
やりすぎなくらいに真面目に音楽にも没頭できてた。自分を壊すほど思いっきり。
今じゃ常人だ。
破壊的にもなれない。冷静すぎて自分を壊せない。
音楽人として、あるまじき状態とすら思える。
これを打破したら、最強なんだけどな。
きっと私の課題はそこなのだ。
音楽へ傾ける時間や思いが減っているのは、きっと音楽への感覚が薄れているから。
良さが分からなくなってしまっている。
言葉から得る情報でしか景色が見えない。
だから歌詞のある音楽しか最近は聴けてない。
これはこれで楽しいんだけどね、本業の音楽からの視線を感じる。忘れてない?って見られてる気がする。ごめんね。
割と今までの人生でも何度かあったな。
何回も気持ちが離れてしまったこと。
じゃあなんてことないか。また戻ろう。
ああ、すごく中途半端なところですが、もうそろそろ呼ばれそうなので今日はここまで。
ではまた。
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