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誕生日に考えるSNSじゃないつながりについて

みなさん、明けましておめでとうございます。と、年が明けて幾日が経つと、私はまたひとつ年を重ね、とうとう30代最後の歳に突入しました。

いつのころからでしょう。Facebookユーザーの私にとっても、お誕生日にその人のタイムラインに、「○○さん、お誕生日おめでとう♪」的なメッセージが届くことが、日常の一部になり、自分の誕生日になると、ちょっとそわそわして何回も確認してしまったりする。我に返ると「これって、SNS中毒の手前なのでは!!??」と恐ろしくなる瞬間もある。私も、先日の誕生日をそんなふうに過ごしていました。

お誕生日前日にバースデーイブということで、お料理上手な旦那さんがちらし寿司を作ってくれたため、当日は、あたふたと、夕飯のために肉じゃが作り。ふとダイニングテーブルに目をやると、遅れて届いた一枚の年賀状が。

幼い娘っ子ふたりの可愛らしい写真の載ったディズニーのイラスト年賀状。宛名は、私の名前。住所も現住所。さてさて、誰からかな…と差出人を見ると・・・

全然誰だかわからない。手書きのコメントに、「わけあって、苗字が変わりました。豊田なら近いね」。苗字変わったなら、本人のお顔くらい載せてほしいけど、娘さんの顔にも見覚えがない。去年来た年賀状には名前がない。そこから頭がフル回転しはじめました。まず現住所を知ってるってことは、古いつながりじゃないよね。もしかして次女を生んだときに知り合って数回会った人とか!?でも引っ越しの話はしらないはずだし。

すると旦那さんが

「なんかその名前、知ってる気がする、その名前。確か、前に住んでたアパートの裏手の公園で会った、あの〇〇君のお母さんじゃない?」

そのお母さんは、確か数年前に旦那さんの海外赴任でいってきます!という年賀状をもらっていたから、もしかしてそうかも!!??なんて良く覚えているんだ、もう5年以上も前のことなのに、同じ年月を過ごしてきたって気がしてなんか夫婦ってすごい!とか感動しつつ。いやーーー、海外から帰って来て、大変なことになったのかしら。「会いたい」とコメント書いてあって、私のこと覚えててくれてるんだー。でも、あのお母さんが苗字変わるようなことにならない気が‥。

そういえば、妹ちゃんは○○って名前じゃなかったっけ?そのお母さんは○○って苗字だったな、と次から次へと芋づる式に記憶がよみがえってくる!もし再婚という事態で妹ちゃんだけ連れていったとしても、いやいや、年賀状に書いてある娘ちゃんの名前と違うぞ。

早くも解決か?!と思われたけれど、振りだしに戻りました。そして結果から言うと、まだわかんないんですーーーー!もやもやする。

でも、今回のことで思った。私、今の地域に住むようになってから地域情報誌作らせてもらったり、新しい仲間ができたり、つい最近だと地元のケーブルテレビの5分のコーナーに取り上げてもらったり、Facebookのお友達も始めの頃には想像しなかったくらい私にとって多い数になっていたり。今の生活がすべて!みたいな毎日なんだけど、SNSで今つながってなくても、長女を出産し、名古屋で子ども中心の日々を送っていたときにできたつながりが確かにあったなって。

同じ月に産まれた赤ちゃんの母子で参加した集まりで出会ったママたち。自転車をこいで自宅訪問してきて、避妊と女性の身体についてひとり延々と語りつづけた保険師のおばちゃん。公園で出会って、親子でおしゃれだから知り合いになりたいと思い切って声をかけて数回だけ言葉を交わした人。子どもが生まれてからだけじゃない。私が生まれてきて、今まで。もう名前も思い出せなくても、一時でも私に関わってくれた人がどれだけいることか!!

はぁ・・・。39歳になって改めて噛みしめる、みなさんへの感謝。

サンキューです!

年賀状の送り主の彼女にも感謝。結局まだわからない。私の頭の心配をすべきなのか。そっちがだんだん不安になりますね。



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