リズと青い鳥を物凄く主観的に見てみた

この作品に関しては、アニメ好きであれば散々程に一人で思索し数々の考察を見てきた人が多いでしょう。ましてこんなタイトルの記事を思わずクリックする人であれば、一体何度動画の再生ボタンを押した事か…と言う話のはずです。
なのでこの記事ではこの作品に関する基本的なディティールなどはほぼ省いて「ただただ私が視聴しながら直感的に頭に浮かんだ事をつらつらと書いていくのみ」です。
なお箇条書きの順番は、単に作品時系列準拠であり、重要性とかそういった要素は一切ありません。

さらに念の為ですが、このような「考察こそが本番と言って過言でない作品」には、見る人々によって意味合いが微妙に、あるいは丸ごと変わってくる点も多々あるでしょう。それはその人の人生経験がもたらす主観視点による思考なので、作品を直に生み出した方以外には明確な正答なんて無い、とだけは断言させてもらって開始と致します。


1.剣崎梨々花の存在

これは至って単純で「みぞれに対し真っ向から本心をぶつけてくる存在」ですね。
希美がみぞれに対し近い距離ながらも、どこか本心を隠す・偽りながら見せないある種の飄々としたた態度と違い、梨々花はいつでもみぞれに対して100%の好きの態度を見せてきます。

そしてみぞれは徐々に梨々花に対して心を開いていき、一緒にオーボエを吹くシーンで完全に応える事になります。
みぞれと梨々花の演奏シーンで印象的なのが「梨々花の嬉しそうな表情」「夏紀と優子のどこか安堵したような表情」そして「希美の不安げな表情」です。
梨々花は自分に対してみぞれが手加減無く音を解放してくれているのが、自分を完全に受け入れてくれたのだと確信できたが故でしょう。
夏紀と優子はみぞれを一番近くで客観的に見ているが故の、自由な音への安心感。
そして希美は…みぞれが自由になりつつありそしてその先に自分が置き去りにされる予感…そんな言い様の無い不安と焦燥感がないまぜになっている感じでしょうか。

とにかく、梨々花はみぞれが心を開放するトリガーとなった存在ですね。
鎧を貫く切っ先の鋭さ、恐るべし!

2.中川夏紀と吉川優子の存在

この二人に関しては「希美とみぞれの両親的な立ち位置」と私は個人的に直感で解釈しました。
具体的には幾つかの場面から「みぞれを見守る様な言動の描写が多い夏紀は父親側」、「みぞれを思いやり温かい言葉をかける描写の多い優子は母親側」、という感じでしょうか。

これはみぞれに対してのみならずラスト付近に希美が二人の前で本心を吐露し始める場面でも見て取れます。
みぞれに対していい加減な態度(音大進学問題等)に対し、優子はそれをストレートに責めますが、夏紀はきつい物言いの優子を即座に制止し希美に対する理解を穏やかな口調で見せます。
私は特にこの場面での二人の言動を見て、直感的に二人がこの作品において希美とみぞれに対する両親の様な見守る存在として位置づけられたのだろうと思うに至りました。

3.高坂麗奈の存在

梨々花がみぞれの人間としての心を開放してくれた存在であれば、麗奈はみぞれの楽器奏者としての本音を解放に導いたある種の劇薬的存在でしょう。

麗奈がみぞれの演奏内容を詰問するシーンでは幾つか見どころがあります。
まず一つ目は、麗奈がみぞれに対し希美へワザと演奏の質を落としていると指摘された部分で、のぞみは咄嗟に否定を口にします。
が、その直後にみぞれは「利き手で左の髪を上から下へ撫でおろす」動作を取ります。
この動作は口数が極端に少ないみぞれが、他者への返答が必要な場合に自然的にとる癖の様な行動ですが、どうやら彼女が利き手の左で髪を撫でるのは「YES」、逆の動作の場合は「NO」であるような感じです。
それで解釈するのであれば、この指摘に対し言葉で取り繕いつつも同時に本心ではそれを認めてしまっています。
視聴者であればその時点で既に「あ~そうだろうねぇ」という感じで気が付けているでしょうが、みぞれ本人は恐らく希美に対する遠慮を無意識レベルで日頃から行っているでしょうから、それを自覚させられてしまったこの一連の流れは当人が一番困惑したのは間違いないでしょう。

これだけでも十分過ぎるほどみぞれに対する役割を果たしている麗奈ですが、彼女がみぞれを困らせた事を謝罪しつつも「本気の音を聴かせて欲しい」と言って去った後も、みぞれはさらに追い打たれな言動を見せてしまいます。
それは「私の手で希美を開放するなんて絶対に出来ない…出来る訳ない…」と小さくしかし強く呟くシーンです。
この言葉の「出来る訳ない…」の部分でのみぞれの表情は、そこまでの作中で一切見せなかった「まるで幼い子供の様な本気の困惑顔」のように見えるのです。
これにより、みぞれは希美に対して抱えていた「自分は希美と対等のレベルではない」という絶対に表面化させたくない本心までも露わにさせられてしまった形になりました。

KY姿勢を絶対に崩さない高坂麗奈、恐るべし!

4.傘木希美の存在

作中序盤では常に精神的にみぞれの前であり上でありに居続けた彼女ですが、新山先生がみぞれに対して音大を薦め(=演奏技術を評価)ながら、自分に対してはそもそも自分の名前すらうろ覚え状態でまして音大への推薦など…と言う状態を知り、さらに本番練習でもソロパートの掛け合いによる技術不足を指摘された事により、希美は内心では理解していた「自分がみぞれよりも演奏技術で劣っている事実」を突き付けられ続ける事になります。
そしてそれが段々と「みぞれの心を無視し精神的に突き放す」という態度で自ら認める形で露呈させ始めます。
「みぞれ=精神的弱者側、希美=精神的強者側」で推移していた構図が一気に逆転を始めてしまいます。
が、この逆転した現状こそが殊演奏技術においてはこの二人本来の形なのです。
そしてそれはのぞみからの提案で始まった第三楽章通し演奏で誰の目にも明らかな形として現わされてしまいました。
この場面はこの作品の第一クライマックスなので、詳細を説明する必要も無いでしょうけれど、希美は出戻りであっても続けていた楽器において完全敗北を実感させられ心をズタズタにされてしまいました。
なおですが、ここで希美は一度完全に心が折れ演奏不可能な状態に陥ったにも拘らず、それでも最後は演奏に復帰出来た希美は実は強さで飾った弱い心の奥には筋を通せる強さを持っている子なのだと私には思えます。

そして作品最大のクライマックスである理科室でのやり取りに移ります。
ここでのやり取りは数多の作品考察者がやっているので、一般的な考察に関しては行いません。
それでも、私が今回この記事を書くきっかけになったのは「二人が互いの憧れている点を挙げる場面」です。
ここでみぞれは「希美の楽器演奏以外の全てへの愛」を捲し立て、そして希美は「みぞれのフルート演奏への愛」をポツリと呟きます。
あれだけ希美への愛を投げつけたみぞれが、希美が最も期待している回答だけは沈黙するという最も悲壮な結末に希美は堰を切ったように笑い出し、そして「ありがとう」を三回ものぞみに対し静かにしかし深く投げかけます。
希美の「ありがとう」に関してはどうやら拒絶の意味合いも含まれているという考察もあり、みぞれからの過剰な愛を受け入れる容量は自分の内側には無いと判断した、それもその通りだろうと思えます。
しかし私は「二人は互いが持っておらずそして最も欲しいものを、互いが互いに欲しがっていた」という風に見え、同時に「この二人は最高のパートナーだったんだな」と瞬間に解釈し同時に視聴しながら笑い涙を流していました。(笑)
希美は「私達は同じような事で互いに互いをちゃんと見ずに心の距離を掴みかねていたんだな」と完全に理解した、そう導いてくれたみぞれからの本音の体当たりに対して、演奏からここまでのやり取りで心が完全に疲れ切りながら、それでも最大級の愛の感謝をしたのではないかと思えたのです。

そもそもキャラから心情として語られる言葉が少なくその言葉の内容としても直接的かつ具体性乏しいこの作品において、クライマックスで体当たりの本音のぶつかり合いが生んだカタルシスはアニメ映画史においては相当に凄まじいものなのではないかと、そんな風に思えたのでした。

ちなみに余談でラストのハッピーアイスクリームの部分なのですが、あれ、画面を見ていると実は希美の方が先に声に出さずみぞれに見えない角度で口が動いているみたいなんですね。
みぞれは葉月とサファイアのやり取りでハッピーアイスクリームルールを知っていたが、希美は自分がアイスを食べたがっていると勘違いしている様な発言に微笑むのですが、ラストのラストで希美が振り返ったのを見てみぞれは多分この作品で一番大きな感情の驚き顔を見せ『dis joint』の終劇となります。
ここで希美は(恐らく)振り返りながら「みぞれの奢りね!」と言ったのではないかと、私はそんな風に思っています。
粋な作品のラストが粋なジョークで終わる、「この物語はそういう爽やかな心地良いハッピーエンドが良いよ」なんて思ったのでした!


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