各務原物語(抄)

父と娘と

 孝子はわたしの勤めている通信制高校のサポート校に通う一年生だった。四月当初の打ち合わせの時、調査書を見て母子家庭であることが分かっていた。わたしにも娘がいたのだったが、離婚により娘は妻の下へと行って会えないままでいる。

 わたしは孝子のことが不憫に思えて格別かわいがってきた。特にわたしの担当する数学が好きと来ていたので、なおさらだった。孝子はアルバイトのない日は遅くまで学校に居残って勉強をしていた。

 ある日の放課後、数学の問題集を開いた孝子は、教室に入っていったわたしを捕まえて質問をしてきた。

「先生、二次関数の平方完成の問題なんだけど……」

 孝子の勉強熱心なところをほかの生徒にも見習って欲しいと思うのは、少し欲目なのかもしれない。わたしはその質問に丁寧に答えると、

「部屋の掃除をするから、邪魔したらごめんね」

 と言って、箒で教室を掃き始めた。

「先生、そんなことまでやるんだね」

「そうだよ。たいてい掃除は先生がやってるかな。永井さんたちがやってくれないものね」

「ははは」

「笑っていないで続き、続き」

 そうやってわたしははやし立てた。

「そういえば先生、こんなプリントをもらったんだけど」

 孝子は、県の奨学金の案内の紙をわたしに見せた。読んでみると、締め切りまで一週間なかった。

「これ、いつもらったの」

「今日」

「受給資格に非課税世帯とあるけれど、永井さんのうちはどうなのかなあ」

「それは分からないけれど、お母さんに障害があって働けなくて。ヘルパーさんに来てもらっているんだよ」

 わたしはその話から、孝子が奨学金を受け取る資格があるものと考えた。

「じゃあ、うちへ帰ったら急いで書類を書いてもらって。早くしないと間に合わなくなるよ」

「うちのお母さん、書類とか書けなくて、いつもヘルパーさんにやってもらってるんだ」

 なんか、大変なことになりそうだった。うちの学校の悪いところで、連絡が遅いこともあったのだが、本校に在学証明書を請求すると、二週間はかかることが予想された。ヘルパーが社会福祉協議会から来ていることを聞いて、わたしはすかさず社協の担当者に電話を入れた。やはり孝子は受給権利者だった。明日、臨時に家庭を訪問してもらう約束を取り付けると、わたしは県庁の奨学金担当へと連絡を入れた。受給権利者がいるもののサポート校のため、在学証明書が間に合わない旨を伝えた。担当者は、

「エントリーしなければ話になりませんから、とりあえず申込書だけでも早急に提出してください」

 と言って、受け付けてくれそうなことを言ってくれた。わたしは孝子に、

「何とか明日までに書類を提出してね」

 と言って、A4の封筒を渡すと、郵便局までついて行って、必要なだけの切手を購入するのをサポートした。

「なんかお父さん見たい」

 孝子は、わたしの姿を見て、顔を丸くしてそういった。わたしにとっては、いなくなった娘への、せめてもの償い行為だったのかもしれなかった。

 それからしばらく、孝子は学校に来なかった。わたしは、自分が骨を折ったのに実を結ばなかった――奨学金がもらえなかった――ため、合わせる顔がなくなってしまったのかと思って気をもんだ。

 スクーリングの時だった。みなと同じように孝子も出席してきて、数Ⅰの授業を受けていった。授業が終わって身支度をしていた孝子に近づいて、

「奨学金はどうだった」

 と、わたしは恐る恐る尋ねてみた。すると孝子はあっけらかんとして、

「もらえたよ」

 と答えた。

「それはよかったな。お金はいくらあっても足りないくらいだからなあ」

 と言って、わたしも安堵の気色を見せた。

     平成三十年一月十七日(木) 了

     にわとり 一八六号

     令和元年(西暦二〇一九年)十一月十六日(土) 最終稿了

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