拾った手帳 2015年3月
耳から注入したたましいを煙に変えて口から吐いているひと
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音が食べられた夜に、左手と会った。左手は星のまばらな空にほっと浮かんで、人差し指をくるくる、くるくると動かしていた。ちょうどこのまえ左手を落としてしまったところだったので、一緒に来ませんかと何気ないふうを装って誘うと、出会ったばかりの左手は少し気まずそうな様子で私の隣に並んだ。
私と左手は話しながら生ぬるい夜道を歩いた。先週すぎさったすさまじい嵐で、実の娘を喪った老人について語ると、左手はぱたぱたと指を上下させて笑った。それから、まるで海のなかを泳いでいるみたい、と手振りで唄う。風が私たちを揺らし、ばかみたいに泣いて、口から涎を垂れ流した。私は隣の左手を引き裂いてその傷口に全身を潜り込ませたい欲求に、気づかないふりをしなければならなかった。
話をしながら、目の前の左手は本当にこの前まで一緒だった左手と似ているなと思った。小指の爪が欠けているところや、中指が動くときにわずかにぎこちないところが、まったく同じわけではないが、あの左手を思い出さずにはいられない。君は私が落としてしまった左手なんじゃないか。
右手が左手を掴む。左手は驚いて固まっている。半ば強引に、私は左手を顔に当てる。目を閉じて、まぶたの上から包むように。
温かな感触が私の顔を覆った。
そう感じたのは、記憶のせいだろうか。私は左手をひっぺがし、激しい怒りを露にするのを払いのけた。違う。私の思い違いだった。あの左手ではないのだ。
左手は故障した機械のようにがくがくと震えている。私は目の奥でそれを静かに凌辱した。すりきれて、鶏の骨にしか見えなくなったところで、路上に捨ててその場を後にした。右手を腿のあたりで拭う。もう何日も血が乾かない。
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薄桃のつむじ風 ビニール袋と一緒にさらってくれはしまいか
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季節の変わり目は服で悩む。春に着替えている人たちを見るにつけ、自分だけがまだ冬に取り残されているように感じる。
思い出すのはいとうせいこうのエッセイの一節で、昔は何月に入ったらすぐ衣替えしてってやってたけど、まだ暑いとか寒いとかで体調崩したりしてうまくいかなかった、近ごろは自分の感覚で選べばいいということに改めて気づいて、それから楽になった、みたいなことが書かれていた。私はどちらかというと感覚本意なのだが、自ら好んでルールをがちがちに設定し、狭苦しく生きているものだから、ときどき呼吸することを忘れる。
取り残されればいいのだ。私たちは自分の感覚に従って動くことしかできない。寒いから、冬物のコートを着て、マフラーを巻いて、手袋をして出かける。私は深呼吸する。もうとした空気が鼻腔に満ちて、見えない煙にくすぐられてくしゃみが出る。私は春が嫌いだ。
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土曜日に隈をぶら下げた重たい目を上げると、ぱっと開いた花が飛び込んできた。ああ、そうか。何がそうなのかわからない。
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はるかはる、はるかはるかと待ちわびて歌うウグイスどこまでも飛ぶ
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