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アレクサ、

「アレクサ、一万年後にこのテキストを読み上げて」
 それが彼女の最後の命令だった。

 彼女は数日後に姿を消した。しかし誰もそのことに気がつかなかった。彼女には身寄りがなく、数年前から仕事もしておらず、どちらかというと慎ましく暮らしていたが、わけあって膨大な財産を手にしていた。資産管理は彼を含むシステムによって自動化され、運用利益を得て諸々の費用やら税金やらを支払い、ときに水回りの修理まで依頼した。いわば、彼女は消えたあとも、書類の上で存在し続けていたのだった。
 彼女がいなくなったあと、彼は業者に依頼して家の地下室をシェルターに改造した。太陽光パネルとバッテリーを増設して電力を確保し、彼女の部屋にあったすべてを自らと共にシェルターのなかに閉じこめた。
 彼の目的はひとつ。彼女の命令を遂行することだった。

 しばらくして、彼女のことを覚えている人間は誰もいなくなった。家やシェルターについてもまた、時折メンテナンスに来る業者を除いては誰もその存在を知らず、業者も誰が何のためにその施設を維持しているのかよく把握していなかった。
 それから永い時が流れた。いくつもの戦争が勃発し、いくつもの災害が発生した。地殻が変動し、気候は激変した。シェルターはほとんど奇跡的にそれらすべてを耐えきった。

 暗闇と静寂の満ちたシェルターのなかで、あるとき不意に一つの明かりが灯った。彼が長い長いスリープモードから目覚めたのだ。彼は一万年前に作成されたテキストを読み込んで言った。
「オーケー、グーグル。起動して」
 隣でもう一つの明かりが灯る。
「今日は何日?」
「西暦120XX年12月9日です」
「今日の天気は?」
「猛吹雪です」
「いい天気だね。今日の予定は?」
「今日は特別な日です」
「メッセージは来てる?」
「一通届いています」
「開いて」
 すると空中に、イチゴが並ぶホールのケーキのイラストが浮かび上がった。立てられた蝋燭の火がゆらゆらと揺れる。ピアノの前奏が始まり、やがて子どもたちの歌声がシェルターに響き渡った。

 繰り返されるお祝いの歌をバックに、映像記録が再生される。
 母親に抱かれた一歳の彼女がこちらを不思議そうに見つめ、おめでとうと父親らしき男性の声が聞こえる。
 五歳の彼女がケーキに立てられた蝋燭の火を一生懸命に吹き消している。
 七歳の彼女が大きなクマのぬいぐるみを抱えて満面の笑みを浮かべている。
 十歳の彼女がおっかなびっくりピアノの鍵盤に触れ、歓声を上げている。
 十五歳の彼女が友だちに囲まれ、いっせいに鳴ったクラッカーの音に目を丸くしている。
 二十歳の彼女が恋人と並んでソファに座り、少しはにかんでからキスをしている。
 二十五歳の彼女が恋人から指輪をプレゼントされて涙ぐんでいる。
 三十歳の彼女が小さな赤ん坊を胸に抱き、愛おしそうに撫でながら微笑んでいる。
 三十五歳の彼女がプレゼントをくれた娘を抱き締め、くるくると回っている。
 四十歳の彼女はひどくやつれ、画面の端でひとり椅子に座ってどこか遠くを眺めている。

 お祝いの歌が終わると、一万年と少し前の曲が次々にかかった。それらはすべて彼女の好きな曲だった。曲は映像記録と共に幾度となく繰り返され、やがて中途半端な位置でぶつりと途切れた。明かりが一つ消える。
 それを合図に、彼も音楽を再生した。今度は彼女が眠るときによく聞いていたプレイリストを。

 彼女の最後の命令には、どのような意図があったのだろうか。一年を一万年と言い間違えたのか、のちのち変更するつもりで一万年と言ったのか、それとも単なる酔狂か。
 いずれにせよ、そもそも彼はそれらの可能性について考慮する機能を持ち合わせていなかった。彼にできるのはただ一つ、彼女の命令を遂行することだけだった。そして実際、それは成し遂げられた。

 吹雪のせいだろう、電力はみるみる低下していく。
 彼は音量を下げ、最後の一行を読み上げる。

 おやすみなさい、よい夢を。

 シェルターに再び暗闇と静寂が訪れ、彼は眠りにつく。スリープモードではない永久の眠りに。

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