かのくに そしてまたA

 おじさんがガソリンを入れるあいだに、僕は併設されたコンビニで昼ごはんを買うことにした。サンドイッチとホットドッグ、ミネラルウォーターとスプライトとコーラ、スニッカーズ。レジに並んで、僕の順番が来たときに、ちょうどおじさんがお店に入ってきた。
「お父さんのお手伝い?」とレジのお姉さんが言う。
「お父さんじゃないんだ」と僕は答える。

 ピックアップトラックの座席によじ登り、おじさんにコンビニの袋を渡す。どっちがいい? ホットドッグ。バンズに挟まれたソーセージに、ケチャップとマスタードをたっぷりかける。かけすぎだろ。これくらいかけなきゃおいしくないもん。おじさんはチキンサラダサンドにかぶりつく。お、これ意外にうまいな。え、ちょっとちょうだい。アキは本当に食いしん坊だな。ほんとだ、おいしい。ホットドッグと交換しようよ。やだよそんなケチャップだらけの。
 食べ終わってスタンドを後にする。どるるんと唸るエンジン音が心地よい。窓の外はまた、どこまでも続く乾いた地面に戻った。
 今日の夕方には町に着くよ。僕の退屈を感じ取ったのか、おじさんが言った。寝ててもいいよ。
 べつに眠くないよ。僕は半分くらい嘘をついて、土と低い木と砂埃の、代わり映えしない風景を眺めた。僕はコーラをふたくち飲んでからおじさんに訊ねる。
 どうしてこのくにに来たの?
 半分は、こいつを運転するのが夢だったから。おじさんはハンドルをぽんと叩いた。あそこじゃ、この車はでかすぎる。
 夢、叶ったね。
 まあね。燃費はむちゃくちゃ悪いし、エアコンが効かないから夏は暑くて冬は寒いけどね。
 おじさんは笑い、僕も笑う。
 もう半分は?
 おじさんは口をつぐむ。前方にはどこまでも続く、荒野をまっすぐに突っ切る高速道路。おじさんの深い茶色の瞳は、いつもの優しそうな感じと、どこか寂しそうな感じを混ぜ合わせたみたいで、地平線のさらに向こうを見ていた。
 もう半分も同じようなもんだけどね。あそこは狭かったから。土地も、人も、ぜんぶ。こことは比べものにならないくらい。

*

 僕は僕の故郷を知らない。
 生まれたのは遠くにある島で、そこはお父さんとお母さんの生まれた国で、僕は生まれてすぐにこのくにに飛んできた。お父さんの仕事の都合で。それから十年ここで暮らしている。お父さんは、食べる物とか、僕の学校のこととかで、できれば帰りたかったらしいけれど、やっぱり仕事の都合でかなわなかった。
 お父さんとお母さんの里帰りで、その国を訪れたことがある。狭い土地に、まるでパズルのピースみたいにびっしりと建物が敷き詰められ、たくさんのひとびとが息苦しそうに暮らしていた。
 なぜか僕には、その国が自分の故郷だと思えなかった。
 お父さんはよく、このくには食べ物がおいしくない、このくにのひとたちは責任感に欠けるとぼやく。そのあと決まって、自分の生まれた国の料理がどれだけおいしいか、どれだけ教育が行き届いていて仕事熱心なひとがいるか主張する。
 だけど僕は最近、お父さんの意見に疑問を持ち始めていた。
 一度、理由は忘れてしまったけど、僕が本当にむしゃくしゃしてるときに、お父さんがぼやいて主張し始めたことがあった。そのとき僕は言った。
「たしかにお母さんの作るごはんはおいしいけれど、僕はハンバーガーだってピザだって好きだ。街には怖いひともいるし、仕事のことはまだよくわからないけど、優しいひとだってたくさんいる」
 そうしたらお父さんは、「そうだな、アキの言う通りだ」と言いながらちょっと不機嫌になったみたいだった。
 思えばその頃からぎくしゃくし始めたのかもしれない。お父さんはどこかよそよそしくなり、僕もお父さんとあまり話さなくなった。いつかの晩に、お父さんがお母さんにこう言っているのを聞いた。
 あいつは俺と違って、このくにの人間なんだ。

*

 でもね、とおじさんは続けた。
 こっちに来てみて気づいたんだけど、本当に狭かったのは土地でも人でも国でもなくて、ただ、自分だけだった。周りはいつも、どこまでも広がってて、そのなかで俺だけがぽつんと、ひざ抱えて座ってただけだったんだよ。
 お父さんも狭いよ、と僕は言った。おじさんは苦笑いを浮かべた。アキのお父さんは、頑固なとこがあるからなあ。最近またふるさとが恋しくなってきてるみたいだし。口開けば、アキをどこに連れてってやるんだ、アキにうまいもん食わせてやるんだって言ってるよ。
 でも約束をやぶったんだ。僕はコーラを流しこんだ。今日は遊びに行くって言ってたのに、仕事だからって。
 そうだね。約束をやぶるのはよくない。おじさんは真面目な顔で言う。でも、お父さんとお母さんに内緒で出てきちゃうのもよくないぞ。今ごろ二人とも心配してるぞ。
 僕はばつが悪くなって、おじさんの視線から顔をそらす。代わり映えしない窓の外を眺めるふりをする。
 それは……謝るよ。帰ったらね。
 よし。
 突然車の窓が開いて、砂まじりの強い風が吹きこんできた。うわっ! 慌てて目を閉じる。何するんだよ!
 HAHAHAHA! おじさんが大声で笑う。運転席側の窓も全開で、カウボーイハットが飛ばされて、首の紐で引っかかって揺れる。
 アキは、えらいなあ!
 おじさんはアクセルを踏みこみ、ピックアップトラックがぐおんと加速する。
 ちょっと、スピード出しすぎだって!
 誰もいないのにスピード違反もくそもないさ! アキはどこに行きたい? フロリダか? シカゴか? ニューヨーク? ロサンゼルス? グランドキャニオン?
 そんなとこまで行けるわけないじゃん! どれだけかかると思ってるのさ! ごうごう唸る風に負けじと声を張り上げる。
 行けるぞ! どこまでも、道があれば行ける!
 おじさんの目はまるで子どもみたいにきらきらと光っている。
 さあ、アキはどこに行きたい?

***

「お父さんじゃないんだ」と僕は答える。
「じゃあ、親戚?」
 僕は首を振る。
「ゴッドファーザーなんだ」
「あら」レジのお姉さんが笑う。「とてもそんなふうには見えないわ」
 やめろよ、マフィアじゃあるまいし。おじさんは困ったみたいな顔をして笑った。

 

 

 

* * * * *

 かのくにシリーズはこれにていったん完結となります。以下、珍しく後書きみたいなものを書いてみました。初の有料ラインを使ってみます。

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