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多分小児うつだった話

タイトルから暗いですね。多分2本目の投稿(実質1本目)に持ってくる話ではない。まあこれを読んでる時点で私のディープなファン(?)だと信じてるのでね、大丈夫でしょう。

まあ内容はタイトル通りなんですけど、多分小学校1、2年生くらいの時小児うつだったんですよね、私。この話、誰にもしたことないんじゃないかなあ。

昔から変わった子でした。恥の多い人生を送ってきました。でも、それにしてもなんかおかしくね?って気がついたのは大学生になってから。1回生当時まだ頑張っていた教職の授業で、「小児うつ」という言葉を聞いてからでした。

今から考えたら明らかにおかしいんですよ。だって小学校1、2年生で「死にたい」とか考えたことありますか?なんなら私は「死んだ後はもう1回私になってずっとループしてんじゃね?」というニーチェの理論に小2にして自力で辿り着きました。それくらい死についてずっと考えていました。「どうやったら楽に、迷惑を極力かけずに死ねるか」が頭の中をぐるぐるしていました。

もちろんそれだけでうつだ!ってなったわけじゃなくて、親(特に父親)に狂ったように怒ったり、ヒステリックになって当たったり、モノに当たることがあったり、頭を自分からぶつけて自傷まがいのことをしたこともあります。ご飯は喉を通らないのでガリガリに痩せていて、背も小さい方(これは遺伝もあるのかもしれない)でした。人が信じられないから休み時間は常に本を読んでいたし、夜はありえないような「たいせつなひとたちが死んでいく」妄想で眠れませんでした。(もし今原爆が落ちたら…とか妄想して1人で3時間くらい泣いてた)だから夜9時には布団に入っても日付が変わるまで寝られず、毎日朝起きるのが辛くてずっと眠たかったです。自分には味方が一人もいないと心から思っていたし、少し怒られたら「この人にとって私は必要のない人間なんだ」と思っていました。闇深。

でも変に空気を読んでたからか、「学校に行きたくない」とかは誰にも言えないんですよね。「いい子」=「大人にとって都合のいい子」でいたいから、親に「学校行きたくないな」までは言えても、理由を聞かれると「眠たいからやだ!」くらいに誤魔化して、自ら行かざるを得ない状況を作るわけです。

この頃私が学校に行きたくなかったのは、いろいろな理由が絡み合っていたからだと思います。ストレスに感じる友達もたくさんいたし、あんまり合う先生もいなかったし、なにより「自分が周りとなんとなく違う」のを感じるから嫌でした。当時は勉強もそんなにできなかった(漢字テストで20点とってその辺に隠してた)ので、対人関係も勉強も嫌な上、理不尽なルールにまで縛られるような学校になんか行きたくなかった。私は未だに大人が信じられないし、大人になりたくないと思いながら生きています。立派なピーターパン症候群です。それはこの事だけが原因じゃないけどね。

長々と書いてしまったけど、何が伝えたいかと言うと、「小児うつという存在を知って欲しい」ということと、「思った以上に自分のことを表現出来ない子どもがいる」ということ。親とか先生とか、すごく大変だとは思うんだけど、できたら自分が考えている以上に子どものことをみていてほしいし、なにより子どもとの時間を作って信頼関係をしっかり築いて欲しい。私は家庭の事情と長女ということもあって、親に本当に言いたいことはそれほど言えませんでした。(誤解を生みそうだけどほんとに良い両親です)

学校に行かないという手段を取れる子どもは強いけど決して多くはないし、そういう子たちも含め、色んな子どもがいること改めて考えてみて欲しい。どんな子にも悩みがあって、それに向き合ったり、自分なりに解決しようと足掻いていたり、それでもどうしようも無くなってるはずだから。エゴを押し付けるのだけはやめてほしい。私は自分が言えなかったのがもちろん悪いんだけど、「学校に通う」っていう当たり前の行為が苦痛で仕方が無かった。今でもいっそ不登校になった方が楽だったんじゃ、と考えることは多々あります。学校に行かなければよかったとは思わないけど、もっと違う人生があったんじゃないかって。

この後小児うつはなんか知らんけど徐々にマシになり、1度転校したことをきっかけにほぼ完全に治りました。なんでなんやろ。まあ良かったのかなあ。この後また紆余曲折あって今に至るのですが、その話はまた今度。

ここまで読んでくれたひとは、こんなこどもがいてこんな意見もあるんだな程度に頭の片隅に置いといて頂ければ幸いです。 勢いで書いた拙くて長々しい文を読んでくれてありがとうございました。