見出し画像

私の話をします。

はじめての投稿がたくさんの方に見てもらっているみたいで驚きました。
ありがとうございます。
まだまだ初心者ですが、綴れる日は綴っていきたいなと思っています。

ここでは私の過去なにがあったかを簡単に話したいと思っています。


小学生5年生のときに全てが始まりました。
その日の日直には朝の発表というものがあり、自分の出来事などをまとめてスピーチをするという時間がありました。
今思えばなぜそんなことしなきゃいけねーんだ。と思える時間だったなあ。

ある日の私が日直の日、
その日から吃音が始まりました。

先程も書いたスピーチのとき、言葉が出なくなりました。
「おはよう」という言葉を言うとして、
「お、お、お、おはよう」というように初めの言葉が出ないような症状でした。
突然のことに自分でもなんで?なんで喋れないの?なんで?という感じ。
クラスメイトからは爆笑の嵐。当たり前だよね。普通に考えて変だもんね。
でも、私からしたらそれは本当に本当に傷つくことでした。

男子からは「裸の大将みたい!ぎゃはは!」との反応。わかるよ。わかる。面白いね。うん、私は全然笑えねーけどな。
仲がいいはずだった女子からは「大丈夫?」と心配そうな言葉は出しますが、その声は笑いで震えていました。そうだよね、おかしいね。あなたも親身にはなってくれないんだね。ともうその日から全てが壊れました。
その前までは全然普通に喋れてて喋るのが比較的好きだった私には大ダメージ。
号令(気をつけ、礼的なやつ)でも言葉が出ない。もう泣きたくなった。というか泣いた。泣いたな。うん。

それから不登校になりました。
前から声優になりたいなと思っていました。
その夢はその段階で見事に打ち壊されました。
考えればその日以来、生きる気力がなくなったのかもしれませんね。

中学校に上がってから最初は登校しました。
環境が少しは変わるかなと思ったので。

ですが結局中学校はすぐに行かなくなりました。
それからフリースクールに通って、なんとか定時制の高校には行けて、みたいな感じです。

高校の頃にできたひとりの友達とは今も交流があります。
その子はとてもいい子で、私なんかと遊んでくれる大切な存在です。
最悪な高校生活、いや人生でしたが、その子に会えたことだけはかけがえのないことだなと思っています。

社会人になってからもいろいろ転職を繰り返してしまいがちでした。
ある日にはとても心が追い詰められ、心療内科に通い、言われた言葉が自律神経失調症。

自分が生きづらい性格なんだと気づき、HSPという性質があることもこのあたりで知りました。
医者に言われたわけではないですが、本やネットにあるHSPチェックをして、重度のHSPなんだなと知ることが出来ました。

うつ病の件も医者に言われたわけではありませんが、HSPと同じくネットにあったチェックをして、こちらも重度のうつ病の可能性があるとの診断結果でした。

ですが、私にはお金がありません。
元から貧乏な暮らしだったため、自分でしっかり働いて生活費を家に入れなければいけませんでした。でもそれができない。家族には迷惑かけっぱなしの人生です。

病院に行っていろいろ検査もしたいよ。
でも、お金ないからそんなこともできない。
もう少し余裕のある暮らしをしてみたかった。
全部私がダメなのがいけないんだと死にたくなることがしょっちゅうでした。
今も人生のドン底で死ぬことばかり考えています。

どうすれば気楽に生きられるんでしょうね。
でも、一応こんな私でもここまでは生きれてます。
だから、今も死にたいと思ってる私なんかに言える権利はないけど、簡単に死なないで。逃げていいんだよって言いたい。

なんのスキルもない私だから、この世に必要ない存在かもだけど、誰かの心の救いになるならとnoteというものをはじめてみたというところです。

長々と話してしまいました。

夢をなくしてからは、特に夢を抱えず生きてきましたが、今はとりあえず楽しく自由に推しのために生きる、が目標にはなってます。
どうなるかわかりませんが、なるようになるのでしょうね。

暗い話ばかりで失礼しました。
次は何の話しをしようかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?