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正義について考えてみよう|#ゆたかさって何だろう

1.はじめに

私には、恩師ともいえる存在がいます。以前、在籍していた会社の元上司ですが、若い時分、彼から常々言われていたことがあります。

「自己成長だけでなく、他者に影響を与える存在になりなさい」

当時、若く尖っていた私には、「自己成長の為の投資が悪いわけがない」と、ひねくれていたところがありました。しかし、年齢を重ねた、今、思うことは、「こんな気持ちで私のことを見てくれていたんだな」という申し訳なさと、見捨てずに私を育ててくれたことに対する感謝の気持ちです。人を活かしたり、育てたり、他者への影響を意識することの意味がわかり、ようやく彼の目線の高さに、少しは近づくことができたのかもしれません。

この度の記事執筆の動機は、自分の成長の軌跡を少しでも形にしてみようと考えたことから生まれました。

2.SPのおしごと

「ゆたかさってなんだろう」

というテーマを語るにあたり、私は、自身のキャリア背景から考えてみたいと思ます。

自己紹介記事の中でもお伝えしましたが、私は大手警備会社にて身辺警護員(以下SP)として働いていた過去があります。SPについて、読者の皆様はどのようなイメージをお持ちでしょうか。テレビや映画などの影響もあり、「悪者を制圧したり、捕まえたりする、華々しい」イメージをお持ちでしょうか。しかし、実際はとても地味な仕事です。警備の仕事は、未然防止が鉄則です。何事も有事が起こらないよう、常に事前の準備を怠らず、警戒監視を行います。少しでも危険の予兆を察知した場合は、事件・事故に繋がらないよう、不安要素を排除します。警察官は事後に犯人を逮捕したり、消防官は火災を鎮火します。上記の例は、その活躍がわかりやすく映りますが、警備の場合は日常の安全を守る為、つまり、何事もない状況を維持することが本質である為、中々に仕事の中身がわかりずらい仕事であるといえます。

但し、同じ警備職の中でも、SPの仕事には特有の独自性が存在します。それは「負のオーラを浴び続けなくてはいけない」というものです。警護を求める方々は、そのほとんどの方が何かに不安を抱えている人たちです。不安の要素が「攻撃的な言葉」であったり、「得体のしれない郵便物」であったり、ケースバイケースで異なります。これは、言い換えれば負のオーラが言葉や郵便物に形を変えたものであり、更に、エスカレーションすれば、拳、ナイフ、けん銃と形を変えます。上記を総称して負のオーラと名付けましたが、SPはクライアントの需要に基づき、これら負のオーラから警護対象者を護ります。

3.東日本大震災

2011年(平成23年)3月11日・東日本大震災が発生。地震発生時、私は池袋にある大型書店の上層階にいました。はじめの余震で、買い物客はざわめき、直後の本震で大パニックが起きました。陳列棚は崩れ、上から降ってくる本の山に生き埋め状態になる人もおり、緊急停止したエスカレーターは下階に向かう群衆で溢れかえりました。日常が崩壊したその光景に、私も思考が止まりそうになりましたが、次の瞬間、冷静に、そして自然に、体は無人の非常階段へと向かい、建物の外へと出ていました。街にも異常な景色が広がり、貯水槽が破損して屋上から滝のような水が流れ出るビルを見たときは衝撃が走りました。その後、街を彷徨い、辿り着いた家電量販店のテレビ映像から、ようやく置かれた状況を認識しました。今でも、あの日の記憶は鮮明によみがえり、「自分はこのような激動の時代に生まれたのだな」という思いは、今後も消えることはないでしょう。

4.正義について考えてみよう

何とも心苦しい矛盾ですが、警備とは、社会情勢が不安定になる程、その需要は高まります。例えば、大きな台風が接近したとき、通常、企業は社員を早退させたり、自宅待機の措置をとります。しかし、警備に従事する人間は異なります。施設警備の場合、建物の破損や異常を守る為、また混乱に乗じた万が一の火事場泥棒に備え、たとえ台風の状況でも勤務につけるよう物件近隣のホテルに前泊して、確実に配置につけるような態勢を整えなければなりません。それこそホテルの手配ができないときは、ネットカフェで一夜を過ごします。これが警備業に携わる者の職責であり、リアルなのです。

SPである私の場合は、東日本大震災の翌日から、地方出張が命じられました。ある警護案件の為、会社が手配したビジネスホテルに缶詰となり、現場での任務をこなしてはホテルに帰る繰り返しの日々が始まります。本来は、3日後に、会社から交代要員が送られ任務を引き継ぐ予定でしたが、配置を扱う会社管制も混乱し要員の手配はままならず、私の出張は当初の予定を大幅に超えて長期化することとなりました。

——— 余談ですが、余震が頻繁に続く中、ひとりでのホテル生活が続き、私は、それまで一年間禁煙していた煙草を再び吸いはじめます ———

出張中の或る日、身内から一本の電話が入ります。私の叔父が津波で亡くなった連絡でした。叔父は、母方の兄にあたる人で、田舎は宮城県石巻市にあり、甚大な津波の被害を受けた地域の一つです。当時、浜に出ていた叔父は、地震直後から行方不明となっており、数日後に、死体となって発見されました。連絡によって、私は自分が震災遺族となった事実を知りました。

私の田舎のことをもう少し詳しく書けば、そこは都市部からかなり離れた場所にあり、村民は皆んな家族のような間柄で、生計のほぼ全ては漁業で成り立っていました。また、お正月、婚礼、葬儀などは、村独特の伝統様式が色濃く残る、まるで「日本の昔話」に出てくるような村落です。

出張中に届いた身内からの連絡は、叔父の葬儀の件も含めて、村の人たちを少しでも励まし助ける為に、家族で集まり帰省しようというものでした。しかし、SPとして仕事中の私は、警護任務を続行する為、その提案を断ったのです。前述のような村社会に於いて、この提案を断ることは、いわば大罪人です。周りの人たちは感情的になっていた部分もありますが、SPの職責は理解されず、最後には「SPの仕事が何だ」、「お前など家族ではない」と切り捨てられます。

仕事を優先したという過去の歴史(客観的事実)を変えることは出来ません。もちろん、私も家族を守りたいという強い気持ちがありました。では、社会が混乱状態である中、私に救いを求めたクライアントの依頼を断り、家族を優先することが、果たして正解だったのでしょうか。

— 正義について考えてみよう —

問われていることは「正義」です。付随するものを究極的に削ぎ落せば、「血のつながり」をとるか、「職責」をとるかの選択です。人情的には、家族を優先する考え方の方がマジョリティとされるでしょう。しかし、是非、考えていただきたいのです。被災地の復興支援に向かった、警察官、消防官、自衛官やその他多くの方々のご意思は、どのように解されるでしょうか。恐らく復興支援に向かわれた方々にもご家族の存在があり、本当は傍にいたかったはずです。苦しみながら考えた末、救いを求める方々の元に向かい、人命救助にあたったのではないでしょうか。彼らの活躍があったからこそ、被災地の復興が進展したことは、紛れもない真実です。

ここで、もう一度、問います。

「血のつながり」をとるか、「職責」をとるか、あなたはどうしますか。

5.ゆたかさって何だろう

正義について考えることは、私にとって他人事ではありません。実際には、私は自身の職責を優先し、警護任務を完遂しました。しかし、「本当に守りたい家族ではなく、第三者(クライアント)を護ることを優先することが私にとっての『幸せ』なのか」、心底苦しみ悩み続けました。この問いは、私が今後もSPとして従事していく上で、その資質を問われているといっても、過言ではありません。そして、悩み、考えた末に、ついに私はその「答え」を出すことが出来なかったのです。

この時、私は「SP」としての引き際を決めました。

これまで様々な経験を積み、SPという仕事が定年退職まで長々と全うできる仕事でないことは意識していました。精神的にも肉体的にも、どこかで引き際を考えなくてはいけないことは、仕事を通して悟っていたのです。正義について考えたとき、正直、何が正解であるかはわかりません。多様な価値観のもと、出された答え全てが正解であるようにも思います。しかし、問題なのは、私は「答え」が出せなかったことにあります。もしかしたら、一流のSPであれば、瞬間的に、さも当たり前に「職責」と答えていたのでしょうか。

— ゆたかさって何だろう —

東日本大震災は、私の人生に於けるターニングポイントとなりました。この点、二流というレッテルを貼られたままの去り際では、何だかネガティブな感情しか残らない結論です。しかし、私の中では、「自己の成長」も感じていました。それこそ、命をかけて、膨大な熱量のもと真剣に仕事に向き合ったからこそ、自分なりの仕事観を構築し、更に「正義」の問いにたどり着いたと考えています。そこには、引き際を見定めたと同時に、やり切ったと言える「満足感」もありました。中途半端な仕事観では、意義もわからず、「考える」という行為にすら及ばなかったかもしれません。つまり、この歴史は、私にとって、単なる「経験」ではなく「成果」なのです。

「ゆたかさ」とは「今まで気が付かなかったことがわかるようになり、自己の成長を実感したとき」、そして「昨日の自分ではなく、新しい自分を発見したとき」に得られるものであると考えます。更に、「ゆたかさ」の積み重ねの結果、仕事観・人生観は厚みを増し、未来を変える力になるのではないでしょうか。

6.おわりに

最後に、本記事は、これまで約10年に渡り警護に携わってきた、私の仕事観を曝け出したものです。拙い文章であることは承知の上、しかし、それでも今の自分が出し得る最大限の表現で執筆しました。私に限って言えば、これすらも小さな一歩であるといえます。これまで長い間、ずっと自分の胸にため込んでいた想いをようやく吐き出すことが出来ました。数年後、本記事を笑顔で読み返すことが出来るよう、今という時間を精進したいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。コメントお待ちしております。


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