おばあちゃんの塩おにぎり
小さいときから、おばあちゃんの家の台所が好きだった。
居間との仕切りは全くなくて、開放的な台所。
大きな窓の外は、駐車場になっている。
車から降りた時におばあちゃんいるかな?と窓越しにいつも確認していた気がする。お皿も、オレンジのボウルも、テーブルにある箸立ても、塩と胡椒も、何ひとつ変わっていない。
箸はそれぞれ自分用のがある。1年に1.2回しか行けないようになってから
自分の箸がどれか分からなくなってて、寂しさを覚えたりもする。
自信をもって答える、好きな食べもの。
好きな食べ物は?と聞かれたら、おにぎりと答えるようになった。
中でも、おばあちゃんの塩おにぎり。
小学生くらいまで、毎週日曜日は決まっておばあちゃんちで、朝起きてからすぐに車で向かうのが習慣だった。家に到着したら、ドアを開けて、まずはテーブルに置いてあるおにぎりを手に取る。
家に着いたらとにかく目指すはおにぎり。冷蔵庫から取り出した麦茶をいつものグラスに入れて、ストーブの前に座る。おじいちゃんはいつもソファで新聞を読んでいた。私のそのいつもの定位置からは、おじいちゃん越しに、台所に立つおばあちゃんの後ろ姿が見える。日曜日の朝の風景。
おにぎりはテーブルの上にラップをして置いてあって、お父さん用の鮭おにぎり2つと、塩おにぎり2つ。
お米は一切見えなくて、まんべんなく海苔が巻いてある真っ黒なおにぎり。
表面は冷たいけど中はほんのり温かい、大きめの丸いおにぎり。手のひらサイズくらいかな。
塩加減と握り具合が絶妙で、ほんとうにほんとうにおいしくて。
塩は握る時に手のひらにつけるだけ。
お米の粒が潰れているわけでもなく、食べていて崩れるわけでもなく。このおにぎりを食べていたからか、今でも海苔はしっとりしたのが好き。
申し訳ないけれど、お母さんのおにぎりよりも数倍美味しくて、おばあちゃんにしか出せない味なんだろうなあ。
大学時代のゼミで、キャッチコピーを100個考える授業があって。
先生から唯一褒められたキャッチコピーが
"おばあちゃんの手は、魔法の手" だった。
そのほかは全く思い出せないけど、それだけは記憶に残っている。
最高においしいおにぎりを握ってくれるし
つきたて熱々のおもちも躊躇なく触るし、
入学式の洋服からパジャマからなんでも作ってくれるおばあちゃん。
札幌を離れてから、帰省のたびにおにぎりをリクエストしているのだけど、ここ最近は俵型のおにぎりが用意されている。丸いやつが食べたいなぁとも思ったりもするけど俵型も変わらない味でおいしい。けど、一口食べてなんだか涙が出そうになって、おばあちゃんも歳をとったんだなあと。お米の密度のせいかもしれない。俵型は崩れやすいんだよね、と思いたいけど。
先週は、手作りの布マスクが送られてきた。
手紙も一緒に。おばあちゃんの手紙はいつも縦書きで、鉛筆で書いてある。達筆で、綺麗な字。まだ縫い物ができることにも嬉しくなって、読みながら泣いて、こんなドピンクのギンガムチェックのマスクを30歳もの大人がつけて大丈夫なのか、と一人で笑ったりして。マスク用の紐が売ってないから、見つけたら取り替えてね、と紐通しも入っていた。おばあちゃんの気遣いと、やさしさだ。
こんなときだからこそ、とかじゃなくて、やっぱり私は大切な人にすぐ会える場所にいたいのだな、と思った瞬間でもあった。
前に送ってもらった、おばあちゃん手作りおはぎが冷凍庫にひとつだけ残っているのだけど、なんだか食べるのを惜しんでいる。
次札幌に帰った時は、一緒におにぎりを作ろうと思う。おはぎも教えてもらわなくちゃ。
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