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最近の反省した出来事。

今回の記事は本当に人を不快にさせる可能性があるので、それを乗り越えてでも私に興味を持ってくれる人だけ読んでください。反省の意味を込めて書くので。


いつだったか、良いことと悪いことの違いは何?という質問に答えたことがある。それはnoteだったかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ私が考える答えは当時も今も変わっていなくて、これ以外の答えは思いつかない。

良いことは次の日には忘れてる。

悪いことはいつまでも覚えてる。


先日、と言っても既に数ヶ月が経っているが、私は悪いことをした。今でもそれを覚えているのは、やっぱり悪いことだからだと思う。

仕事で出掛けた時、長めの緩めのスロープになっているところがあった。階段代わりのスロープということではなく、そこがメイン通りだったので私は(そこがスロープになっていることもあまり意識せずに)歩いていた。

すると、車椅子を自分で動かしている人が視界に入った。私にとってはスロープかどうかすらも気にならない程度の上り坂でもその人にとっては急勾配だったようで、難しそうにしているのが分かった。

学校や書籍、インターネットで学んだ「困っている人が居たら声を掛けましょう」すぐにこの言葉が頭をよぎった。年末だったか、私の好きなアイドルグループがパーソナリティーを担ったラジオ番組でも「白杖を持った方が困っていたら、声を掛けましょう」と何度も言っていた。

ここで私がするべき行動はひとつ。近寄って、スロープの上まで押しましょうか?と声を掛けること。近寄るの10秒、声を掛けるのに10秒、車椅子を押すのに30秒、トータル1分もかからないであろう行動。

しかし、実際は「どうしよう」「声掛けなきゃ」「怖い」「声、掛けられない」「でもあの人困ってる」そんな言葉が脳内をぐるぐるして動けない。


すると、私の逆側を歩いていた2人組が車椅子の人へ向かって行き、すぐに声を掛け、すぐにスロープの上まで押した。

凄い。

たぶんあの2人組は、相手を視界に捉えた瞬間すぐに動いた。私は脳みそをぐるぐるさせただけで、何も出来なかった、しなかった。

次にもし同じような場面があったら、私はすぐに動けるだろうか。

いや、動かないとダメだ。

あの時すぐに車椅子を押していたら、きっと次の日には忘れていた出来事だろう。いつまでも「車椅子押したなあ!偉いなあ!」なんて思い続けることは無い。

でも、押さなかったから、動かなかったから、こうして今日も覚えている。

あのとき困っていた方、そして今まで私が気付かなかっただけで近くで困っていた方、本当にごめんなさい。ここで謝って許されるなんて思ってないけど、心に刻むという意味で。

2021年後半の目標は、行動することです。

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