本日はお日柄もよく

昨年の今日は何してたんだっけと思って手帳をめくったら、そうだ、浅草でパンケーキを食べてたんだった。並ぶと聞いていたのにかなり早く事が済んでしまって、その後は友人たちの内定式ツイートやらストーリーやらが見たくなくて、逃れるようにひとりでカラオケに入ったんだった。


21卒就活で大爆死して22卒へ転生したわたくしですが、どうにかこうにか就活を終わらせ、今年は内定式に参加することができました。二度目の正直。
そして2年間、努力したとは到底言えないけれども曲がりなりにも2年間、就活をしていて確信した。

わたしはまっっっっっっじで就活向いてなかった。


就活に向いてるのはどんな人かって、まずひとつめ、それは指定校推薦を取れるようなタイプです。
なぜかあまりよくないイメージで語られることも多いので、この言い方は誤解を生むかもしれないけれど、少なくとも私の母校の推薦組は本当に優秀な人ばかりだった。

要は、先を見据えてこつこつと正しい努力を積み重ねていくことができる人。良い意味でこだわりや偏りがなく、言われたこと、やるべきことをきちんとやれる人。
そういう人って興味関心の度合いに左右されることなく、どこに配属されても継続してきちんとサボらずに仕事ができそうじゃないですか。就活に向いてる人って、つまるところ会社に向いてる人でもあるんだよな、当たり前かもしれないけど。

「絶対××大学××学部××コースに行きたい!数学?ぜんぜんわかんないから捨てます!毎回赤点!副教科も入試に使わないし勉強しなくていいよね!必要な科目も高3になったら勉強すればいいや!」っていう私みたいな人間、就活では業界絞って特攻して玉砕するオチしかない。会社に入っても嫌なことや合わないことがあれば急激にやる気なくなっちゃいそう。そもそもこういう人間って毎朝遅刻しないように起きることすらできないがちだし、クビになる可能性すらある。

が、会社に向いていないからといってフリーランスになるスキルも、起業をする気概も、バイト生活で満足する慎ましさも私にはなかったので、結局は会社員になることになりました(途中で迷走してプログラミングの教科書買ってみたり士業を検討してみたりしたけど、今となっては笑い話)。


そしてふたつめ、こっちが本題なんだけど、自己肯定感が高い人。
逆に言えば、自己肯定感底辺の人間は、例外なく就活苦戦してる。私調べだけど。

「自己PR」という言葉が象徴するように、就活はいかに自分が素晴らしく有用かをアピールする場だ。過去のエピソードを盛りに盛って、長所は誇張し短所は矮小化して、何を聞かれようと自分の評価に繋げていかなければならない場だ。
私はそれが致命的に合わなかった。もうどうやってもだめだった。

ここ数年で気付いたんだけど、私は大きな嘘をつくのがかなり苦手だ。嘘をつくことに罪悪感を覚えるいいこちゃんなのではなく、矛盾なく嘘を貫かなければいけないことや、心にもないことを言わなければいけないことに多大なストレスを感じるタイプ。インポスターも人狼もできればなりたくない。

私は自分が嫌いだし、社会に向いてないのも能力が低いのもわかってて、つまりは自分のことを少しもいいものだとは思ってないのに、それを他人に勧めるなんて、「私は採るべき人材です」などと嘘八百を並べるなんて、胃に穴が開いちゃうほどいやだった。

いやだろうと就活はしなきゃいけないので、頑張って自分をゴテゴテに盛ろうとするんだけど、「責任感」とか「問題解決能力」とか書くたびに、責任感が足りなかったあの授業の話、問題解決ができなかったサークルの仕事、小さな反証がいくらでも浮かんできて辟易した。いつなんどきでも持ち合わせている長所なんかないのに、というか長所だと思っていることなんか本当にないのに、紙面の上にできあがっていく私は嘘みたいに素晴らしい人間で、それがすごく怖かった。
素の私は著しくストレスに弱く情緒不安定で、感情の起伏が激しくすぐに顔に出てしまうし、思いやりがなく協調性に欠けるのに、そういうのぜんぶ社会人として致命的だから隠さなければいけなかった。そういうことに納得はしつつも、それってもう完全に私じゃないじゃんね、と白けてしまった。素の私はカスでしかなのにカスからカス要素を取ったらもう虚無じゃん、ぜんぶ茶番じゃん、って。

エピソードを盛るのだって私には難しかった。本当はうまくいかなかったこと、ずっと後悔していること、ほんとは他の人がやってくれたこと、あるいはやってくれなかったこと、ぜーんぶ「最初はうまくいかなかったけど私のおかげで成功しました!」と綺麗にまとめあげるたびに、自分のやってきたことが雑に塗りつぶされていく感じがした。
そして細部はまだしも、本筋をすべて虚構で組み立てるようなことがどうしても無理だった。「言いたいことじゃなくて、企業が聞きたいことを書くんだよ(そのためには虚構が必要なんだよ)」とアドバイスをしてもらったときも、それをわかってはいても、血液型の合わない血を注ぎ込まれるような気持ち悪さを感じて受け入れられなかった(相談に乗ってもらっておいて八つ当たりするの本当に人間として最低だった。大変申し訳ございませんでした)。


他にも黒髪スーツとか、説明会で常に口角あげてる女の子たちとか、理由もわからず落とされる面接とか、そういう就活のすべてが嫌で、かつ前述のとおり嫌なことを頑張ることができない人間なので、気が付いたら2年もかかってしまいました。


でも意外と、就活にまつわる自分の行動をそこまで後悔はしていない。たぶん私にはほかにやりようがなかったし、過去に戻ったってうまくやれる自信はまったくなくて、カスな私の最高到達点だと思えば悪くはない。運もよかった。
「挫折も大事な経験だ」とか「失敗してこそ得られるものがある」みたいな言葉は意識高い系みたいできらいなんだけど、たしかに振り返ってみれば得られたものだって結構多かったのかもしれないし(きらいなので詳しく書こうとは思いませんが)。

終わり良ければ総て良し、ただあんな思いはもう二度としたくないな。瞬間最大風速でいえば人生でTOP3に入るくらい病んだので。

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