自分の価値を自分で決めるな、と学んだ。
書く事は相変わらず好きなのに
この2ヶ月はべちゃっとしていた
新年が始まってすぐ、気温は一気に落ちた。部屋の中なのに朝起きるときんと耳が冷たく、どうかしたら白い息が出た。
とても寒いくせに決して不愉快じゃないこの寒さを、どうにか表現したいと思ってnote.を開いた。何故だか指が動かなかった。頭も、気持ちも全く動いてくれなかった。
「そういえば最近、文章が面白くない」
マンネリ化なのか、スランプなのか、最近わたしの文章は面白くなかった。
書いていてワクワクしないし、読んでいてもなんだか中途半端な気がして。
荒削りでも、素人でも、わたしらしさが出ていたあの頃の文章とは何となく違った。
「最近文章が綺麗になりましたね」
「なんだかすごく読みやすくなった」
「文章の流れがいい」
素直に褒め言葉として受け取ればいいものを、
「わたしらしさがなくなったってこと?」
「月並みなものしか書けなくなったのかな」
と無駄にへこんだ。
むしろ月並みにでもなれていることに喜べと思うのだが、一丁前にへこんだのだ。
ただ、やっぱり書くことは嫌いじゃなくて、むしろ好きで、毎日書けないくせにnote.を開いては3行書いて消す作業を繰り返していた。でも、意地でも何も書かない日は作らなかった。きっとそれは陳腐でもライターだというわたしの誇りがやっていた行動に違いなかった。
そんな時、個人学習として使用しているSHElikesのフリーランスに着いての授業の中で、講師であるゆぴ(17)さんが
「自分がいくらヘタクソとか、見せたくないなって思ってても、やっぱり絵の書けない人にとってはそれはすごい価値なので自分で自分の価値を決めるほど無駄なことはない」
とおっしゃっていた。今のわたしの背中を押してくれるには十分すぎる言葉だった。
結局、今だって「なんだこの文章」と思いつつものを書くときだってある。だけど、陳腐でもライターを名乗る身。できるだけ何度も読み返し、許される限り投稿をギリギリまで待ち、この文章が今のわたしにできる最大限だという文章を出し続ける心構えは忘れない。
それに、せっかく周りから「いいね」と言ってもらえるようになりだしたのだ。そのみんなの「いいね」を疑うようなことはやめたいし、純粋に喜んでいたい。
“自分で自分の価値を決めるな”
「わたしのこれっておもしろくない(可愛くない、楽しくない、新鮮味がない)かも」という疑いは、自分のパフォーマンスを下げ、時間を無駄にし、モチベーションを失わせる。
自分の価値は、自分で測るより周りに委ねろ。低評価されたくないならば、努力して、たくさん作品を出して、読まれて、感想をもらえ。たくさん喜んで、たまにへこむ。へこんだら少し考えて、解決策を立てて、すぐさま次に向かう。そして自身のスキルを上げて、パフォーマンスを仕上げていこう。
今回要したこの2ヶ月、初めて勝手に壁にぶつかり、立ち直るにしては、短いと感じるのか長いと感じるのか……。それで1年の1/6を潰してしまったのだから、やっぱり長かったのかもしれない。ただ、同じへこみ方は二度としない。学んだのだ。だから
書け、出せ、読まれろ、聞け、
そしてまた書け、わたし
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