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善とは、悪とは

『ベイビー・ブローカー』を観ました

望んで母親となる人
望んでいなかったけど母親となる人
望んでいるけど母親になれない人
望んで母親とならない人

対して子は
生まれる事さえ許されなかったり
生まれてきても自身の意思とは関係なく
その後の人生の土台を
親の一存で決められる
それは良くも悪くもだ

万引き家族を観た時にも感じた事だけど

善の中の一点の悪よりも
悪の中の一点の善が
美しく尊いような錯覚に陥る

是枝監督の描く大人は
法を犯す悪でしか無く
でもそれは法という世の中の決まりから
逸脱しただけであって
罪ではあるけれど悪では無い

罪を憎んで人を憎まず
どんな罪を犯した人間にも
一点の善を信じたい
本当の善悪なんて
誰にもジャッジできない
観終わった後の
何が正解なのだ?と引きずる感じ

そして
悪の中にあるからこそ際立つ
一点の善に救われるような勘違いを
観ている側に与える


他人ばかりの家族ごっこ
それぞれが立ち入らない立ち入れない
表面を取り繕い
キレイゴトの優しさに浸る
全てはごっこなのだ
自分事では無いから
より優しさを醸し出せる

本物の親子で本物の夫婦で本物の兄弟で
しっかりとした血の繋がりと
しっかりとしたしがらみがある時はどうだろう
世の中で認知されている
親としての子としての兄弟としての
役割を全うしなければ
崩壊となる未来が待っている
血の繋がりがあるからこその期待
血の繋がりがあるからこその憎悪
血の繋がりがあるからこその狂気

善である事が当たり前であるが故に
一点の悪が許せなくなるよりも
それぞれの悪を許しあいながら
一点の善を信じる方が
ある意味生きやすいのかもしれない

映画を観ての感想というよりは
こんな事を考えたよの記録

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