同じ種類のひと、違う種類のひと

こちらのノートを読ませてもらった。

ちゃんとKindleで購入して読んでみた。面白かったと思う。

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違う種類の人間は、ともに生きることはできるのか?

ということを突きつけられた気がする。

私は発達障害のADHD。定型発達者とは脳の回路が違う。
だから、定型発達者ができることができない。時間通りに出かける、忘れ物をしない、間違わずに入力する、普通の家事・・・。

そういう普通のことができない。

私の夫は定型発達者。だから普通の人ができることは「できて当然」。

「どうしてできないの?」と聞かれれても、苦手なものは苦手なのだ。
人よりも努力して、がんばってがんばって、ようやくできる。そんなかんじ。

もしも、何よりも深い愛があったなら・・・

もしも、だ。

お互いを想い合う強い・深い愛があったなら、あの漫画の彼と彼女はともに生きることはできたのだろうか。

「人」として、心の奥深くで繋がり合うことはできたのだろうか?

もしも、彼と彼女が心の底から惹かれ合う存在であったなら、セクシャリティの違いを乗り越えることができるのではないか。

私はそれを期待してしまう・・・。

お互いが譲歩しあって、妥協しあって、どこかに着地点を見出すことができてほしい・・・。そう願ってしまった。

ごめんなさい、ノンセクシャルの方にとって不快な考えでしたら、ほんとうにごめんなさい。

私は、私なりには、努力している・・・。普通の奥さんになろうと・・・。
家事も子育ても人よりできないけど、それでも自分なりには頑張ってるつもりなんだ。

そんな私をまるごとわかってほしかった。
できない私も含めて「それでいいよ」って言ってもらいたかった。

私もがんばるから・・・。

漫画の彼と彼女。
時々キスをしてセックスをして、人より淡白だけどお互いの妥協点を見出して・・・性の面では互いに不満があるかもしれない、けど、それを上回る互いの「強い愛」なんてものは、幻なんだろうか?

それが「幻」なら、私が願う「私一生懸命がんばるから、だめな私もわかってほしい」、「お互いに前向きな妥協をしながら生きていけないのか?」ということも同じように「幻」なんだろうか。

同じ種類の人間同士が一緒にいるのはきっと幸せなんだ。

でも違う種類の人間とは生きていけないんだろうか?

乗り越えることはできないんだろうか?

夫にとって私は不幸の始まりだったんだろうか・・・。

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