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パワーをください!とハグをしてくる2人の息子

長男が双極性障害の薬を、かってにやめてしまっていた。
そして私が気がついた時には、
強迫性障害にもなっていた。
ASDやADHDの心配とはまた違い、
これが出た時は、
病気だと思うし薬を飲んで欲しい。

強迫性障害は、
小学校5年生・中学2年生、以来か

…また……きたか……

それでも頑張って行っていたが、
とうとう高校を休みだして
2日目あたりか
そこに、
久々に次男まで加わった。
次男は、とても繊細でいて、明るく頑張るタイプ。だが、

『休みたい』って言った時は、
迷う事なく休ませる。
私は、ある時からそうしてきた。
これは我が家の事情から。

前日の夜、次男が
『俺、全然眠くねーー』
って私の所にきて、話してるうち

『あのさ…なんで○○は、薬飲まないの?先生(主治医)にも、お母さんにも、父ちゃんからも言われているのに、最近どうしちゃったの?』
って。

だから
薬を飲むのも怖くなったんだって
【それが○○の病気だから】
って話しをすると次男は

『なんか…可哀想だね』
って部屋に戻って行った。

最近、未来が怖い
自然が壊れていくのが怖い と、
恐怖が 物や視線から、
想像の世界へと変わる中、
長男が最近
行きたがる場所がある。


そこは、伐採された木々と
自然に生い茂る森が共存する場所。

長男が、
あの場所が大変な事になっている!心がえぐり取られてるようで怖い!恐怖でしかない!
◇◇も、見たらわかるよ
と、次男に一生懸命伝えていた

次男は、あの場所を見てどう思うか私は少し興味が湧き、夕方、2人の息子を連れて行く事にした。

1年ぶりに、この場所にきた次男
『ヤバーー‼︎ 木が、何もないじゃん。えーーー全然違う』
って。

すると長男が
『だから言ったじゃん。変わっちゃったんだよ。ヤバいんだよー…ets』

色々言ってる長男の話しそっちのけで、
ヤッバーって言いながらも、テンション高く、走ったり先回りしたり、途中でふざけたりしながら

『○○〜〜ちょっと来て〜』
って大きな声で長男を呼んでいる。

アイツは元気だなぁ〜って2人で言いながら不思議と
長男と2人で来ている時とは、まったく違う気持ちになっている自分がいた。
きっと長男もそうだ。

この場所で長男の笑顔を見たのは始めてだったから。

次男につられてか
長男も、ふざけたり、走ったりしながら私の前を行く。

伐採された山肌と、緑の森の境い目で立ち止まり、
ーー天国と地獄ーー
ここが その 境界線。
そう言いながら2人で
ケラケラと森ヘ森へと進む。


そして
一番見渡しのいい場所に立ち
遠くを指先ながら
次男が言った


『ねーー見てみーーこーんなに山が、まだまだ残ってるじゃ〜ん!』

すると
あんなに恐怖でしかない!と騒いでいた長男が、
『ホントだーー!まだまだ緑あるじゃん。大丈夫じゃん』
って

しばらくそこに立ち止まり、
永遠と続く 山々を見渡すその
長男の姿から
もう不安はないように見えた。

これまで私は、
そうだね、こんなに木を切って森が無くなっていったら、これから先どうなるのか……怖いね
わかるよ○○の気持ち。
お母さんも、そう思う……

そう
共感してあげる事が
寄り添うことだと思ってた
もちろん
話しを聞いて、共感することは大事な事だけど、
【親】だから、なんとかしてやらなければならない

なのに、共感しているうちに
息子の気持ちが憑依して?

ん?違う……
私も同じ感受性を持つ人だからか、
ややこしくなる

時には
違う角度で 違う思考・発想で
希望を与える!大切さ

それを次男が教えてくれた。
ここへ次男を連れて来て良かった

森林伐採に限らず
地球の環境問題は、とても大事な事だけど、子供に未来への不安を伝えではいけない

せっせとペットボトルキャップを集めている次男だって
突発的ではあるが、山にゴミ拾いに行く長男だって
とても小さな事だけど、地球の為になっているんだよって

そして
これから何年後の為に
動いても いるんだよって

未来も、そんなに捨てたもんじゃないよ!って、教えるのも大事な事なんじゃないかと、思う。
特に、未来に不安を抱いている
長男には……。


そんな事を考えていた
帰り道

一匹のネズミが死んでいた
「可哀想〜」
と言う次男に私は
「可哀想って言うと、じゃあなんで助けてくれなかったんだ!って化けて出てくるらしいよ。だから言ってはダメ」
そう教えると、

『俺は、可哀想だと思うから、可哀想と言ってるだけ。これが運命だったかもしれないけど、やっぱり可哀想じゃん、恨まれたっていいよ』

そう言いまた走り去って行った。

なんだろうーーー
私は昔、誰かにそう教えられた事をずっーーと守ってきた
だけど、
次男の考えは間違ってない
次男は正直だ。

そう感じていた。

昨夜
○○(兄) は 可哀想
と次男が言った時も、私は
可哀想だと、思ってはいけないと
自分に言い聞かせていた。


特性や個性や、さまざまな障害があっても
本人が困っていなければ
可哀想だと、思うことはないけど

でも
たとえ障害があっても、なくても
本人が【子供が】
目の前で苦しみ、病んでいく姿を見て、可哀想だと思わずにいられるものなのか……
これは決して、
哀れで可哀想とは違う。
ただ素直に湧き上がる正直な感情。
親だからこその感情なのか

その感情を、無理に隠す必要はなかったんだ

そう次男は私に教えてくれたように思った。

たった1時間ちょっとの山道で
私にとって沢山の発見があった

次男
ありがとう〜〜〜

だから
疲れ果ててる長男が
ハグをしてーってきたら
可哀想になー元気出せよーーやればできる子‼︎
って、元気いっぱい ハグをして
、背中にパシっと一発、気合いを注入してあげ

今日一日頑張ったよ
って、ハグしてきたら
お疲れ様〜頑張ったね〜って

そして、
俺もいますよって自分の存在をアピールする為に
次男がハグをしてーってきた時は、
ちゃーんと見てるから大丈夫!忘れてないよ!
って、ハグをしてあげる。

そして、あえて
お母さんにも元気ちょうだいって
ハグをお願いする
『キモ〜〜』とか言いながらも
『しょうがねーなー』って
やってくれる(笑)
でもこれは、日頃【2番目】になっている次男へ
反省を込めての
特別なスキンシップ

ハグには、いろんな意味があるわけだけど
それでパワーがでるなら、

いくらだって ハグしよう



みーんなが
周りを気にせず、したい時に
ハグをできる世界に

はやく 戻れればいいなーー



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