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〜少年期〜

自営業ですから、商売が上手くいかなければ
情緒が不安定になるのは
今、この歳になってよく理解出来ます。
だとしても、【犬も喰わない夫婦喧嘩】の度に寝ている僕を叩き起こして、同席させていた事は今でも理解出来ません。

そんな両親にも、勿論良い所はありました。
毎週日曜日には、必ずと言って良いほど
家族でドライブに出掛けていました。
冬になると、ドライブが"スキー"に代わりました。

夏のドライブはアスレチックや、年に一度あるか無いかのビッグイベントの海へカニ釣りへ行ったりしていました。
定番コースは富良野までのドライブでしたが、
子供心には何も無くてあまり嬉しくなかった記憶があります。

冬はスキーで、最終的にはインストラクターまで行くのですが、
"運動オンチ"に"泣き虫"な僕は、最初の頃は嫌で嫌で泣いてばかりいました。
今思えば、スキーは"お金のかかるスポーツ"なので、良く続けさせてくれたな。と、
そこについては、感謝です。

それと、父親は幼稚園でイジメられて、
"幼稚園を3回転園"している僕を強い男にしようと、空手も習わせました。
結果、中学生までに極真空手で2段まで行く事が出来ました。
ここまで見ると、喧嘩も強くなったかと言うと決してそんな事もありませんでした。
そもそも喧嘩なんて嫌いでしたから。

そもそも小学校では、幼稚園を転々としていたので、幼稚園からの幼馴染みという人が
全く居ませんでした。
周りは幼稚園からの幼馴染み同士の人ばかりです。
僕は完全にアウェーでした。

それでも子供の順応性というものは、
ある種才能だと今になって思います。
少なからず、友達も出来ました。
ですが、母親が人付き合いのまるでダメな
ただの"いいふりこき"なので、
せっかく出来た友達の悪口を僕に言ったり、
その友達のお母さんに直接イヤミを言ったり、鼻につく物言いをしたりで、次第に友達は離れていきました。
当然な事です。

スキーや空手の個人競技が得意になった僕は
"小学校という団体競技"も段々と苦手になっていきました。



★ご覧いただきありがとうございます😊
今が最幸な毎日を送っている僕は、自分自身で
書いてて、自分の事じゃないように思えています笑笑
今後ともお付き合いいただけましたら幸いです。

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