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他人の悩みはちっぽけに見えるんだから

自分の悩みも、他人からしたらちっぽけな物なんだろうな、ということに気がついた。

最近、どうも仕事の夢をよく見る。
しかも追い詰められてる感じの。
朝起きて、夢でよかった〜って思う。

悩んでるっちゃ悩んでるけど、
悩んでも仕方ないって割り切ってるつもりだった。でもやっぱり不安な気持ちは拭いきれていないようだ。

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よく、ラジオとか新聞とかで「お悩み相談コーナー」がある。相談者はきっとすごく悩んでいらっしゃるんだろうけど、それを読んでる第三者としては、「そうかそうか、大変だな」って読みながら思って、多分次の日にはお悩みコーナーを読んだことすら忘れている。

子どもたちの場合は「悩み」と呼べるものではないが、
例えば息子は食べるときの食器の定位置があり、それが崩れると物凄く怒る。
わたしからしたら「ちょっとくらいズレても問題ないやん」と思いながら直してあげる。

また、妹におもちゃを取られて泣き怒りしているときも、「そんなにミニカーあるんだから一個くらい貸してあげてもいいやん」って思っちゃうけど、彼にとっては一個取られたことが重大事件だから、怒らずにはいられないのだ。

娘は娘で、お風呂あがりの授乳は必須らしく、わたしから離れようとしない。
この前、座りながら髪の毛を乾かしていたら、胸元にやってきてボタンを引きちぎられそうだった。「そんなに乳が飲みたいのね」とこちらは冷静に思っているのだが、きっと娘からしたら一刻も早く乳を飲みたくて必死だったんだろう。

大人のわたしから見たら「なんのそれしき」と思うことでも、本人はめっちゃ真剣なのだ。
ちなみに、「なんのそれしき」と本人に言ったら傷つくかもしれないので、わたしも「おもちゃ取られて悲しいなぁ」「おっぱい飲みたいわなぁ」と同情的な態度を取るようにしている。

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「悩む」って、もしかしたら贅沢な行為なのかもしれない。
悩む暇もなく働いてた時期はあったし、時間の余裕があるからそのことについて考えているわけで。
悩みの裏側には、もっとこうなりたいな、あんなことできたらいいなっていう欲望が隠れている。
悩んでいる時間って勿体ないなと思ったりもするけれど、あれこれ考えるのも悪くない。

この文章を打ちながら、ふと前を見ると、「人生はニャンとかなる!」という本が目に入ってきた(我が家は本で溢れかえっている)。
そうだよね、ニャンとかなるよね。

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