見える化はモチベーションを向上させる

ダイソンの掃除機を買った。楽天セールだったので、ついポチってしまったのだが、到着したら使いたくなるのが人情というものだろう。

折しも週末。とりあえず充電して、字の小さい説明書は息子に読んでもらい、使ってみる。

うおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!

す、すごい。こんなに埃がとれるのか。今までの掃除機もこんなに吸い込んでいたのだと思う(思いたい)が、紙パックは本当に「今、この部屋でどれぐらいの埃がとれたのか」がわかりにくかった。感動がなかった。

だが、これだけとれた!が見えると、掃除機をもっとこまめにかけようという気になる。そう、見える化はモチベーションにつながる、ということだろう。

ふりかえって、企業ではどうだろうか。見える化のニーズは、「管理職」とかいう方々の「従業員はさぼってるんじゃないか」という疑惑が出発点なのではないだろうか。生産性向上、とかいうやつだ。最近、そんなソリューションを売り込むダイレクトメール(勿論、Eメール)が多い気がする。

ちょっと本題とはずれるけれども、最近のオンラインセミナーなどのトレンドのテーマは、やはり「これから何を考えていかなくてはいけないのか」であるように見える。それに対して、答え(?)は「生産性向上、無駄をなくそう」と「より高い価値を提供しよう」の両極端に分かれている気がする。より高い価値、というのは、成果物のイメージとしては新商品とか新サービス、という感じ。

思うのだけれど、ここ数ヶ月で、急にテレワークなど導入して、「生産性が落ちたのではないか」と気にするのはわかる。が、もし、生産性が落ちていたとして、テレワークにしたから、と思ってしまうのは、いかがなものか。

そもそも、世の中がこんなになって、リーマンショックを超える不況と言われていて、出社していても、仕事がキャンセルになったり、お客様が購入意欲がなくなったり、既存ビジネス自体がいろいろ縮小している筈。それをテレワークのせいにするのは、会社の業績の実態から目をそらしたい(とにかく頑張れば、昨年の11月ぐらいにたてた「来年度計画」が達成できる、と思いたい)のではないか、とすら思えてしまう。

今起きているのは、産業革命なのだ。

昔から、産業革命といえば、既存の商売からは大量の失業者が出て、その代わりに新しいサービスが立ち上がり、雇用がシフトされていく、と相場が決まっている。

IoTやらAIやらで、少し前から「第四次産業革命」と言われてきたものの、実はそれほど構造が変わった感はなかった。が、コロナで産業革命本番になったと言えよう。

見える化に話を戻そう。

新しいビジネスやサービスを考えなくては食べていけない(かもしれない)時に、既存の作業の効率とか総作業時間とか計測して、その解釈をどうこうひねくって、コスト削減して安心してしまっていいのだろうか。

いや、勿論、「てっとり早く、数字を改善するのはリストラ」なのは知っている。それは麻薬みたいなものだと言われるのも知っている。(味をしめて、何度も手を出す、という意味でも、でも、やり続けてると企業体力がボロボロになる、という意味でもそうなのだろう)

だが、新しいサービスだの製品だの、クリエイティブなことを求めるのであれば、ぼーっと頭が空っぽになる時間は必要だろうし、専門書を読んだり、プレゼンのシナリオを練ったりしている時間は、おそらく、PCの操作時間は空白になるのだろう。「さぼってる」枠になるのかもしれない。

勿論、誰かひとりにめっちゃ負荷がかかっている状況がわかるとか、未だに会議が多いなあとわかるとか、そういうメリットは捨てがたい。そういう風に使うのであればたとえPCの使用履歴だけであっても可視化にも意味がある。

ただ、管理職ではない、「見られる方のわたしたち」には、さぼっていないというアリバイが提供できるだけで、あまり自分の成長に寄与する情報でもない。(会社や職種にもよるだろうけれど、まあ、一般的には、見られる立場=上司の管理下で仕事している=自分で仕事を選べない、ということだろう。会議が多いと自覚しても、上司から出席するように言われていたら、自分の判断で減らすなんてできるとも思えない)

いや、しかし。見える化はモチベーションを向上させるのだ。スーパーダイソンくん(掃除機の仮名)が教えてくれた。

では、管理職ではない人間には、何の情報が見える化されたらモチベーションが向上するのだろうか。

これも、人によると思うので、一般論は言えないけれど、わたし個人として見えたら嬉しいものは、自分のやったことの「その後」かなあ、と思う。

勿論、いくら売り上げました!何人動員しました!マスコミに何回取り上げられました!みたいな、いわゆる「成果欄に書く数字」の話もあるのだけれど、そうではなくて。もっと、仕事をしているといろいろなことがあって、それを知りたい。

例えば、それ程親しいわけでもない同じ部の人に「これこれに詳しい人を知らない?」と訊かれて、人を紹介した。その後、どうなったか。そのせいで、何か進展があったのか。

電話で問い合わせをされてアドバイスをした。その後、その人はハッピーになったのか。それとも、「ちっ、役にたたねーな」と3秒後に他の人に電話して、そっちの解決策を採用したのか。

というのも、コロナになってから、なんだか、それこそ今までと同じことをしていちゃダメだ!という流れで、人探しが盛んになってきている気がするのだ。

私の場合だけれど、人を紹介する以上、まず、専門家Aさんの方に「これこれを探してる人がいるけれど、Aさんを紹介してもいい?」などと訊いたりする。Aさんが「いっすよ!」と言ってくれる場合もあれば「もっといい人がいるよ!」とBさんを紹介してくれたりもする。わたしは、元の、人を探してるXさんにBさんを紹介する。が、「ありがとうございます」という返事はくるものの、なんか、それでぶつっと切れてしまうことが多いのだ。

Xさんも、おそらく、あちこちに同時に探索をかけていて、単に「もっといい人」がいただけなのかもしれない。

だが、私としては、BさんにもAさんにもなんとなく不義理をしたような気がして、正直、最近、「人を探してます」の相談にはこたえたくないなあ、と思うようになってしまっている。私の人脈がプアで役にたっていないというわけでは決してないと思うし。みんなそれなりに忙しい人なので申し訳ない。

がっつり実証実験やりましょう、じゃなくて、とりあえず、その辺のソリューションを提案できればいい、的な話だとしても「詳しい人を探しています」だけだとどこまでの専門家を求めているのか正直わからない。

で、わたしは不義理感とやるせなさをずっとひきずるのだけれど、たまーーーーに、しばらくたってXさんからそのAさんとかBさんとかに連絡がいって全然、別のプロジェクトで紹介した甲斐があった、という時がある。

が、そんなフィードバックはわたしの耳には届かないことが多い。本当にたまたま話題に出て耳にすることがあるぐらいだ。

本当は、「その後どうなったか」を報告するのが筋なのだと思う。でも、まあ、みんな忙しいので連絡しないのが当たり前なのだろう。だからこそ、そういうことをきっちりする人はライバルに勝っていくのだろう。

そう考えると、そういった情報は今はわからなくて、でも、そういう情報が見える化されたら、もっと人に親切にしよう、とか、自分もうっかりしていたけれど、あの人に感謝しないといけないな、と気づくとか、なにか、物事がよい方向に進んでいきそうな気がする。

見える化でモチベーションが向上する。

逆に考えれば、個々人のモチベーションが向上するような「なにか」を見える化することを考えて実行するのが長い目で見てみんなが幸せになっていく道なのではないだろうか。



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