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進むべき道つきつめて考えてみる

個人的なことですが(そもそもこのnoteには個人的なことしか書かないけれど)、夜の11時から1時くらいまでが、一番頭が回転する時間、というかフローなモードに入る時間です。新しいアイデアとか、いままでインプットしてきた素材が繋がる瞬間とか、この時間に机に向き合っていると出てくるわけです。真夜中のラブレターじゃないけど、翌朝見て恥ずかしくなることも、まぁあるかもしれないけど、最近はこの時間に思い立ったことを行動にうつして実現できていることも多いので、あながち魔の時間ってわけでもないと思います。

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さて、今日の本題。これから一緒に仕事を始める人に「大竹くんのやりたいことってなんなの?」と質問された。西埼玉の話とかわーっと話したけど、上手く伝えられている気がしない、というか、喋るモードになった時って口だけが先走っている感じがして自分自身が腑に落ちていないと言うか。
だから、そんな反省もあって真夜中にひとり考えてみたわけです。

日記みたいなものだから、公開すべきではないんじゃないかとも思いつつ、とはいえ、自分にも周りにも説明したいことだから、ちゃんとまとめて書き残して置いておくことが必要とも思い・・・。まぁ、書いてから考えようということで書きます。

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問い:進むべき道って?やりたいことって?

答え:
「好き」を殺さずに生きる。
「Playful」に生きる。
それが可能な社会をつくる。

Playfulって、昨年12月に秋田の「ドチャベン」というプログラムの合宿に遊びにいった時に初めて聞いた言葉だったのだけど、横文字で言葉の説明されたわけでもないのに、聞いた途端にすごく腑に落ちた言葉。
Play-ful。うむ。
起業が目的というわけではないし、サラリーマンが古臭くてフリーがイケてるみたいな話でもない。自分の人生を自分の人生として、Playしてますか?ってこと。「はい、Playしてる状態です!」って自信を持って答えられるのならば、いわゆる「働き方」なんてものは、その人その人ごとの答えがあって良い。

問い:なぜ、そう思うのか。

答え:

①10代の頃の同調圧力。イケてるイケてない問題。
映画『霧島、部活やめるってよ』みたいな。自分はイケてない部類。だけど、イケてないのって「イケてるってこういうものだ」っていうメニューがあって、それができていないor興味がないからイケてないのだ。
自分の世界とか好奇心ってそんなものとは関係なしにあったと思うけれど、それを認めてくれる人がいなかったし、自分でも自分を認められていなかったというのは、ある。
だから、暮らしに近いところに文化の場所(小さな映画館とか)をつくりたいっていう想いは、主に中高生に向けて興味の窓や自己肯定の機会を作ることを念頭に考えていることではある。

②新卒で抑圧された経験
これは、関係者への批判になるので多くは語りませんが、軍隊みたいな組織って生理的に無理っていう話。自分にあっていない環境で、言い訳しながら時間を無駄にしているのって虚しくない?ってこと。自分は1年でやめたけど、出る時には「お前死ぬぞ」って散々脅された。いざ辞めてみると、もちろん死んでないし、その会社にいた時よりよっぽど健康で意欲的に生きている。人間、呪いからは解放されたいものです。

③自分の仕事ができたときの喜び
 ①と②はネガティブな経験だけど、③は自分がplayfulな状態になれた経験。
一つは大学院時代に参加した「地域経営ゼミ」。墨田区の商店街でPRビデオを作る。自分が前面に出て企画して調整して、幸せになってもらいたいと思った人たち(チームの学部生や地域の人たち)に幸せをかんじてもらえた。努力が報われたっていう成功体験。
それから、新潟の地域紙に企画提案して実現した「ひと」紹介記事コーナー。その地域出身で首都圏で頑張っている人たちにインタビューして記事にするっていうもの。自分ならではの着眼点で企画ができて、安いけど原稿料のある仕事にできた。っていうこれも成功体験。

自分にとってPlayfulに生きる条件って何かっていうと、「他人がやっていないことをやる」ってことが一つあると思う。
だから、株式会社だろうとNPOだろうと、すでに出来上がっているものにジョインするのはそんなに魅力を感じない。その事業がどんなに尊いものだったとしても、尊敬はしても自分ごとにはしにくい。(それに触発されて自分も頑張りますってことはあるけれど)

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問い:具体的に、いま、自分がPlayfulであれるのって?

答え:
①「映画」を軸にしたコミュニケーションの場を作ること。
②親や先生や、上司や先輩ではない、斜めの人間関係を作ること。
③都市と自然が近い「いい感じのライフスタイル」を作ること。

前の会社を辞めて行き詰まって右往左往して、結局今いる会社に落ち着いたのはちょうど3年前。3年前と今とで違うのは、心のベースを持てていること。成功体験に裏打ちされた自信があるってこと。

「映画体験」という試みと繋がった人たち、地元・西埼玉での試みと繋がった人たち、自由大学の縁、そして自分を好きになってくれた人がいたということ。

自分のことをよく知らない人に批判されようとも動じなくなった。意見の違う人、価値観の異なる人と接しても、「人は人、自分は自分」と思えるようになった。(無理に同調したり、へつらったりすることもなくなった)

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問い:下北沢の仕事、どう位置付ける?

これから下北沢に場所を作る。ちょっと変わった商業施設「BONUS TRACK」。上に共同代表の二人がいるから、自分の意見がそのまま通るわけではないけれど、自分としてはどういう場所に育てていきたいか。

答え:
関わる人ひとりひとりの「好き」が発露する場所にしていきたい。「Playful」な仕事の集合体。誰かのplayfulな姿勢が、他の誰かのplayfulを勇気付けるような場所だ。いわゆる「お仕事」はここではしない、させない。

下北沢のこと、まだ全くといっていいほど知らないけれど、他の街よりも、自由に生きている人は多そうだ。だから、この場所でやるっていうことも意味があることだと思うし、意味があるようにしていきたい。

後日談:
結局、2020年3月末で下北沢は離れて地元・所沢に場所を持つようになった。けれど、ここに書いたことは原理原則として変わっていない。


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