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「書く脳」が死んでしまった

「書くことが億劫」どころの騒ぎではない。
書きたいのに書けない。書くことが見つからない。

感性の死と、思考の死を感じている。
すなわちそれは「書く脳」の死を意味している、とおもう。

今までだってこういうことは往々にしてあった。
鬱を発症してからは、「考えるのをやめる」のが日課になっており、家に居るときはなにも考えなくて済むよう興味のないゆるいゲーム実況を垂れ流して横になっているのが常だ。

刺激の多い生活は疲れ切ってしまうので、これも間違いなくひとつの自衛手段ではある。
ただし、ずっと続けていると、ほんとうに感性が麻痺してくる。
「考えるのをやめる」を超えて、「活動するのをやめる」のだ。

そんな「書く脳」の死を感じたとき、応急処置として私は映画を観たり、本を読んだりする。

普段できないくせに、こういうときは飢餓から抜け出そうとするかのようにガツガツと観れたり読めたりするのだ。

一種、チャンスタイムなのかもしれない。

否、毎日感動を積み重ねているひとに勝るわけがないのだが……


……というわけで、今からなにか映画を観ようと思います。
私はまた書けるようになるでしょうか。

応急処置の成功を祈ります。

はーあ、旅に出たい。

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