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タイムラグとタイミング

おはようございます。
せっかちY0K0です。

昨日の続きですが、こちら単体でも読めます。
noteを続けていたら、日常の会話や生活にも良い影響があったという話をします。

私はせっかちだったんだけど、最近そうでもなくなってきた。
noteを続けていたら「待てる」ようになった

物事にはタイムラグとタイミングみたいなものかあるんだなとnoteを2ヶ月ほど書き続ける中で知った。

noteに書こうと思いついたことは、忘れないようにタイトルだけでも下書きに書いておく。
Aの話、Bの話、Cの話…

一番書きたいAを書き進めるんだけど、なんだかぼんやりして輪郭が決まらない。
仕方がないのでAは置いといて、Bに手をつける。Bが完成したので投稿する。
そして放置していたAにまた取り掛かると、簡単に完成できることがある。
あるいは、Bの話に関連するような形でAが書けることもある。
Aが出るためには、Bが先に出なければいけなかったのだ。

こういうことが時々ある。とても不思議だ。
noteあるあるなのだろうか。

この不思議から学んだことは二つで、

一つは、発生(思いつき)から表出(投稿)までには時間がかかるということ。

二つ目は、物事には良くわからないが順番みたいなものがあるということ。

ところで、私は速いこと、早いことはいいことだと思っていた。
待ち合わせに早く着いておくとか、レスポンスもそうだし、企画書の作成やプレゼンの資料作りなども。
だけどいつも早くできるわけではないので、そういう時は常に焦燥感がまとわりつく。

だけど思いつきが表現できる形になるには時間がかかるとわかったし、思いつきすらもない時は、何か他のことに手を付けたら思いつくかなぁと、ゆったりした気持ちで臨めるようになった。

以前は、人に対しても速さを求めがちで、一番求めたのは「反応の速さ」だった。
特に会話で、「言葉がすぐに出ない人」を待てなかった。
何か質問した時に返答がすぐに返ってこなければ、この質問は答えにくいんだと思って質問を変えたり、例え話をして返答を促すようにしていた。
でもそれは相手の考える時間を奪っていたのだと今はわかる。

自分のことも、誰かのことも、「待てる」ようになった。
noteにこんな効果があるなんて思いもしなかった。始めてよかった。

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