100カメ2

NHK「100カメ」が切り拓くドキュメンタリーの新地平

9月17日(月)、NHKが新たなドキュメンタリー番組を放送しました。
ひとつの場所に100台の固定カメラを設置して、人々の生態を観察する番組、その名も「のぞき見ドキュメント 100カメ」です。

Twitterのタイムラインで初めてこの番組の存在を知ったときの私の感想は、「やられた…」でした。

TV界に君臨する巨大組織、NHK。放送枠の多さと、豊富な予算、多様な人材という強みを生かし、実験的な番組も多く生み出しています。
ドキュメンタリーのジャンルでも、1つの場所を3日間定点観測する「ドキュメント72時間」や、ナレーションを一切入れない「ノーナレ」など。しかもタイトル付けも秀逸です。

固定カメラによる定点観測的な番組企画はこれまでもあったと思うのですが、それを100台(!)という規模で、しかもそれだけに特化したドキュメンタリーというのは異例です。
初回放送の視聴を終え、これまでのドキュメンタリー番組とどう違ったのか、分析します。

取材対象者の「素」の姿を切り取る

番組タイトル通り、カメラの多さが目をひきますが、実は最大の特長は、ディレクター、およびカメラマンが取材現場にいないことです。

上記、番組PRサイトに景山直樹ディレクターへのインタビューが掲載されています。

──番組を作る上で苦労したことは?
編集作業です。通常のロケと違って私たちスタッフは撮影現場にいないので、何が撮れているのか分かりません。面白いかどうかは、撮影したものを見てからでないと判断できないわけです。

特に密着系ドキュメンタリーにおいてしばしば問題視されるのが、TVカメラおよびディレクターの存在です。取材対象者がカメラに撮られていることを意識した上での言動は、どうしても「演技」が入ってしまうのではないかという問題です。当然、みっともない姿をさらしたくはないだろうし、「こう見られたい」という自分の姿を意識してしまうので、少なくとも完全な「素」ではありません。

そこでディレクターは、できるだけ「素」に近い姿を映し出すため、取材対象者ができるだけカメラを意識しなくなるよう苦心するわけです。
長期間の密着のいいところは、カメラで撮られているという「異常な状態」が次第に慣れてきて「日常」に近づくという点です。

この番組では、小型カメラを「各々のデスクはもちろん、足元、会議室、休憩スペースなど、ありとあらゆる場所に仕掛け」、「すべてのカメラ位置まではお伝えしていません」とあります。
もちろん、完全に意識しないことはありえないものの、隣りで大型カメラをかついだカメラマンと、ディレクター(場合によっては音声マンやアシスタントなど)がいるのと比べると、ずいぶん心理的な圧迫感は少ないと思われます。できるだけ自然な言動、やり取りが撮影できる、というのがこの手法のメリットです

ディレクターの現場での”選択”を捨てる

ただ、ドキュメンタリー番組の制作に携わってきた身からすると、ドキュメンタリーの最大の醍醐味である「現場でどのシーンを切り取るか」の選択ができない、というのはどうなのか、と思ってしまいます。

ドキュメンタリーとは現実をありのままに映すもの、と思われている方もいるかもしれませんが、決してそんなことはなく、必ず作り手の「主観」が入ってきます。カメラのフレーム内に何かを映すということは、他の映さない何かを決めることでもあるからです。

具体例を挙げます。私が制作した「それでも、証拠は動かない~高知白バイ衝突死2~」というドキュメンタリー番組(2008年)で、無実を訴えながら有罪判決を受けて刑務所に収監されるバスの元運転手が家を出る、というシーンがありました。
この撮影方法をめぐり『あの時、バスは止まっていた』というノンフィクションの中でこんなことを書きました。

 住み慣れた我が家を後にする片岡さん。収監の日が決まってから、私は別れの瞬間をカメラでどう押さえようかずっと考えていた。ドキュメンタリーの撮影において、カメラをどちらから向け、どうやって撮影するかは、誰の視点で、どんなメッセージを伝えるかにかかわってくる。目の前で起きている事柄をただ漫然と撮るのではない。その場その場の選択がディレクターには求められている。
 私たちは、出発する車に乗り込んだ。車内から、片岡さんの視点で「別れの時」を撮ることに決めた。(P.183)

また、現場では、あらかじめ想定されている出来事ばかりが起こるわけではありません。予期せぬ事態に、その場その場で「何を」「どう撮るか」判断して、カメラで切り取る、音を拾う、というのが、取材者のセンスが問われるところでもあるし、楽しいところだと感じています。

例えば、目の前で急にある人が泣き出したとして、その人の目元の涙にズームインするのか、あるいは、泣いている人の背中越しに泣かせた原因を作った人のバツの悪そうな表情を撮るのか。それによってそのシーンの意味づけが変わってきます。

この番組では、こうしたディレクターの現場での”選択”を捨て、いろんな角度にカメラを設置することで、できるだけ“漏れなく撮る”という方針のようです。
ただし、固定カメラではズームイン、アウトはできないので(後から編集で多少いじれますが)涙のアップみたいなものは撮れませんし、ドキュメンタリーならではの訴えかける映像、というのは狙えません

一方、通常のドキュメンタリーでも複数のカメラを使うことがあるものの、「同じ瞬間の複数人の表情を、シンクロさせて映し出す」というのは限界があります。
今回の「週刊少年ジャンプ編集部」でも、編集会議に参加してる幹部の表情と、新連載開始の決定を待つ若手編集者たちの表情を同時に紹介する、という場面は、この手法をうまく使ったシーンだと感じました。

「何を感じてもらうのか」視聴者に委ねる

このほか、番組では登場人物へのインタビューや、ナレーションもありません。景山直樹ディレクターは、PRサイトでこう述べています。

一般的にドキュメンタリー番組には、作り手の意図が反映されます。
例えば、見せたいものにはカメラがズームインするし、「ここ、伝わりづらいな」と思う部分にはナレーションで説明を加えたりする。インタビューも、相手が本当に思っていることと、作り手が聞き出したいと思っていることが食い違うことはよくあります。
今回は、それらを排除した作り方を目指しました。それにより、ジャンプ編集部の皆さんの「飾らない会話」や「等身大の素顔」が映し出されていると思います。

個人的には、作り手の「意図」を完全に排除したドキュメンタリーはあり得ないと思いますが、なるべく受け手=視聴者に自由に感じてもらいたいということでしょう。

実際、Twitterでの感想を見ていていも、30分番組の中でどこが印象に残ったかは人によって違っているようです。
ちなみに、私が一番印象深かったのは、編集者の異動に伴い、新人作家の引き継ぎで、組みたい新人を指名するメールを若手が提出しなかった、というシーンです。

14年目・斎藤班長と、提出が間に合わなかった4年目・頼富編集
斎藤「あんなに忠告したじゃん」
頼富「ちゃんと(新人作家を)リスト化してたんですよ」
斎藤「世の中お前を中心に動いてくれないんだって」
頼富「そうですね…」
斎藤「あんなにお前を待つ義理はないって言ったのに」
頼富「暇な人ほど仕事もらえるんだな」
(たまらず割って入る大西副編集長)
大西「違うよ!忙しいやつでも出してるっつーの。一番優先すべき仕事なんだよ」
斎藤「頼富、今なら土下座したら間に合うかもしれないから」
頼富「間に合わないっすよ…しょうがない」

どこの会社でもありそうな、若手と中堅の熱量ギャップ!(笑)ナビゲーターのオードリーの2人も、「おいおい!」と突っ込んでいました。
ちょうど私が斎藤班長と同じくらいのキャリアなので、身につまされる部分が大きかったのだと思います。
見る人の年齢、立場や興味関心によって、いろんな見方ができる番組、とも言えそうです。

今後の可能性は…

先に紹介したPRサイトによると「撮影した映像は合計で2500時間」。しかも、ディレクターが現場にいる場合、「あ、ここは使えそう」と目星を立てながら取材できるのですが、この手法だと、撮影終了後に素材を見て、使うところ、構成を決めなければならず、編集作業は相当大変だったと思います。

しかも、撮影から放送までのスケジュールもタイトだったと見られ、番組冒頭で「週刊少年ジャンプ」を字幕で「週間」、有名漫画家・冨樫義博を「富樫(うかんむり)」としてしまう、まさかのミス!


ひとつの番組を放送するまでに、何度も何度もプレビュー(試写)を行うと言われるNHKでは考えられないミスです。

今後も、ぜひ番組を継続し、いろんな場所での100カメを見たいのですが、作り方の効率化や体制が課題かもしれません。

もうひとつ、これは面白いな、と思ったのが番組中盤で、登場する編集者の人物相関図を示し、オードリーが気になる人の「ハイライト」を見るところ。
中だるみを避ける演出だったと思うのですが、これをWEBでも公開し、視聴者が気になった人のハイライト動画を見れるようにすればかなり面白そう。
最近では、野球中継でも、通常の放送のほか、WEBでピッチャー目線、打者目線、球場全体、と選べたりするので。

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