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【創造】お金と何もしたくないという話

はじめの戯言

何かコンテンツを一通り作れるというだけで才能

本題

最近↓の森博嗣「お金の減らし方」を読んでインスピレーションを得たので、まとめておこうと思います。

日本での生活にはお金が必要

日本における人並みの生活を送るには、最低限のお金が必要です。降ってきたり湧いてきたりすることが全くないとは言えませんが、今までの僕の観測では、まずそんなことはありません。どこからか取ってくるしかありません。お金は交換様式の一つであり、交換対象の価値を直接得られるのであればそれでも良いです。しかし、少なからず日本では、全てがそうなるというわけではありません。例えば日本の土地は(詳しくないので直感ですが)余す所なく誰かが所有しているでしょう。勝手に寝たり焚き火したりは許されていない場所がほとんどです。それでも公園や公道なんかに寝泊まりしても良いのかもしれません。ですが、これも詳しくないので実のところはわかりませんが、焚き火は取り締まられそうです。

なぜお金が手に入るのか

前振り長くなりましたが、生活を手に入れるために必要なそのお金をどうしたら手に入れられるか疑問が浮かび上がります。多くの人は働いてお金を得ます。大抵は会社で働きます(テレワークだとか客先だとかの場所の違いはあるでしょうが、それでも大抵雇用者からお金が支払われます)。あるいは、個人で顧客を見つけて稼いでいる人もいるようです。お金は価値の創出、あるいはそれに付随する作業に対する対価として支払われる、というのが直感的です。

お金を得るためには価値の創出が必要

以上より、以下の推移率が成り立ちそうです。

(生活にはお金が必要)
→(お金を得るためには顧客からの支払いが必要)
→(顧客からお金を獲得するには価値の創出が必要)

中間議論は面倒なので省きますが、つまり生活のためにはコンテンツを作成する必要があるということです。僕は大方、頭の中で自身が納得できるだけ想像および創造できればそれで満足です。なので、コンテンツを作成する必要に迫られる状況は非常に受け入れ難い事態です。悲惨です。不幸です。永遠の時間があれば、それも良かったかもしれません。「ああ、何という悪魔的な狂想であろうか!永遠がもしかしたら彼の悲惨を彼から奪い去ることを思いつくかもしれないということに思い到るとき最も狂暴になるというのは!」(参考1より引用)

何を作れば良いのか

冗談はさておき、何かコンテンツを作成しなければならないわけですが、生成AIの進歩が著しい中、何ができるのでしょう。一応雇われITエンジニアを名乗っていますが、何もしたくないので、何もしたくないです。何もしたくないです。何もしたくないです。プログラムのコードもAIである程度生成できるので、開発速度は加速する一方です。何もしたくないです。僕は何もしたくないので、加速の渦にいるのが耐えられません。今書いているこの記事だって、AIで生成できるかもしれない。昔、WordPressでブログのようなものを運営していた時がありましたが、その時もAIではなく無脳ですが、記事を自作のプログラムで部分的に自動生成していました。そんな世界に僕は何を生み出せばいいのでしょうか。AIには新しいものが生み出せないから創造的な職は安泰だ、とか言われていますが、本当にそうなんでしょうか。人だって何もないところから生み出しているわけではないでしょうきっと。意識的あるいは無意識的にインプットされた情報を脳というプロセッサが加工し出力した結果が創造です(ここで意識とは何であるか、という問題が提起される)。学習するAIだって、時間発展とともにインプットは増大するので、人の脳と同じような仕組みを得られるのは時間の問題ではないか、と考えてしまいます(ここで脳の仕組みとは何であるか、という問題が提起される)

最後に

最近↓の本とか色々参照しながらゲームプログラミングで遊んでいるのですけれど、プログラムってそれ自体が人の目に触れることはまあありません。開発者間だけです。例えば小説なんかは書いた文字そのものが読者に届きます。ゲームのプログラムを書いても、ユーザに届くのはイラストやBGMです。もちろんそれらを動かしたり描画したりしているのはプログラムです。
もう一度問います。僕は何を創造すればいいのでしょうか。

参考

  1. キルケゴール「死に至る病」

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