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Day1.20:19 彷徨える祇園

東山を下り、祇園で飲む。一日目の晩餐として。

店で注文した日本酒の名前が「古都」。この地にふさわしい名だ。そこから話は、同名の小説を書いた川端康成と、彼と交わした会話がきっかけで京都を旅した画家、東山魁夷へ。

リコリス・リコイルは今夏に放送されたオリジナルテレビアニメーション。
A-1 Pictures制作・アサウラ原案。監督は足立慎吾。

そして気づけば僕たちは、旧電波塔も延空木も無い京都で、「リコリス・リコイル」の話をしているのだった。

それでこそ飲み、というものだろう。

第6話で、主人公の女の子がもうひとりの女の子と同棲(!!)することになるのだが、そんなビッグチャンス(?)にもかかわらず、パジャマ姿で一緒に映画を観たりする展開にはならず、家事担当決め→ジャンケンの話で収束してしまうのに僕は長らく消化不良を感じていた。と、そのことを向かいに座るFに話すと、

映画は第8話で、真島(主人公の敵役)と語ったからそれでいいんだ、という答えが返ってきて、その短いながら的確な批評に、古都の酔いもさっと引いていく心地がした。

そうだ、同じだから引かれあうのではない。むしろ、反対だからこそ惹かれあう。その惹かれあいかた、それ自体の魅力と、それゆえに生ずる予測不能で解放的なコミュニケーションにこそ、画面の向こうの僕たちは毎回引きつけられていたのではなかったか。

Opposites attract.——反対ものどうしは引きあう。

まさに、その通りだ。

僕は『チ。』の最終集でのラファウのセリフを思い出していた。そのことを彼に伝えようと口を開くも、じっさいはもう舌も回らず、いま、何の話をしているのかすら、段々と曖昧になってくる。まあ、そんなものだろう。現実なんて。

Another day, another dollar. ——相変わらずだよ。

地球は廻り

夜が更けていく——

「僕らは気付いたらこの時代にいた。別の時代でもよかったのにこの時代だった。それはただの偶然で無意味で適当なことで、つまり奇跡的で運命的なことだ。僕は同じ思想に生まれるよりも、同じ時代に生まれることのほうがよっぽど近いと思う。だから、絶対そんな訳ないと思いつつも、感情と理屈に拒絶されようとも、こう信じたい。
今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺し合う程憎んでも、同じ時代をつくった仲間な気がする。
魚豊『チ。—地球の運動について—』第8集より

僕も、そう信じたい。

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