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天の光は——

夢の話を聞かせてよ
今だけの気まぐれなものでも
南條愛乃『サヨナラの惑星』
フレドリック・ブラウン『天の光はすべて星』田中融二訳 ハヤカワ文庫

『天の光はすべて星』を読んだよ。買ってすぐ帰りの電車の中で読み始めて、翌日は仕事の休憩時間に読み進め、夜には読み終わっていた。一冊の本をこんなに早く読み終えたのはずいぶん久しぶりだと思う。それでもマックス(この物語の主人公)なら、あるいはもっと早かったろう。そうだな、夜中の三時くらいまで頑張って、そのまま一日足らずで読んでしまったかもしれない。明日仕事だから…なんて、僕みたいにケチなことは言わずにね。

なんだか僕の方が年寄りみたいだな。僕たちが隣で星を眺めていたころは、明日学校だから今日は無理、なんてお互い一度も言わなかったのにね。昔は、そういうことを言うのは大人だけだと思ってた。なのに、ふと気づけば周りの連中も試験だアルバイトだと言い始めて、今や僕もだ。僕もいよいよ抵抗むなしく、あのころなりたくないと思っていた大人になってしまったのかな。

おっと、湿っぽい話はやめにしよう。そうそう、マックスが若いんだよ。僕が老いたんじゃなくてさ。いちおう五七歳って書いてあるけど、読んでいると全然そんな感じはしないんだ。とくに夢を語るとき。ことに好きな人に向かって、語るときにはね。

そのとき、魔法が起きるんだよ。

ああ、たしかに現実でもそうかもしれない。いくつになっても若々しいのは夢を失わない人、そしてその夢をいつも誰かに、楽しそうに語っている人だ。
でも、僕がいいたいのはそこじゃない。あくまで小説の、文学の魔法の話だよ。

ああ、若いな。読んでいてそう感じたら実際にそうなるんだ。文字を追い、想像力が紡ぎ出すイメージの世界の中で、マックスやエレンがいつのまにかどんなに若くなっていたとしても、それは間違いじゃなくて一つの読みであり、読む人ぞれぞれにとって一つしかない、かけがえのない正解なんだ。けれども読んだ人がそう感じなかったら、そうはならない。そんなの当たり前だって思うかい? でも、やっぱり不思議だろ? じっさいフレドリック・ブラウンはここで、「マックスは若返っていた」とか、「それを聞くエレンも少女に戻っていた」とか、そんなの一言も書いていないんだから(もちろん書いてたら台無しになるところだけれど)。これはやっぱり映画なんかでは再現できない、小説の持つ一つの魔法であると僕は思うな。

もうずっと前から、僕はこの本を読もうと思っていたんだ。本屋でたまたま手に取って、見つめていると胸の奥が温かく疼いてくるような、この素敵なロケットの絵を見た日から。あるいは子供のころに、「グレンラガン」の最終回を見た日から。いや、違うな。中学のころ、夜な夜な家を抜け出して、学校のクラスでも隣の席の親友と、二人で星を眺めたあの日から。そのとき君は、グレンラガンが大好きだって僕に言ってた。
だから僕は、この話を君にしたくなったんだ。

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