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I took my Power in my Hand — 私は手に力を握りしめて

I took my Power in my Hand —
And went against the World —
‘Twas not so much as David — had —
But I — was teice as bold —

I aimed my pebble — but Myself
Was all the one that fell —
Was it Goliah — was too large —
Or was myself  — too small ?

私は手に力を握りしめて
世界に立ち向かっていった
ダビデほどではなかったが
私の方が二倍勇敢だった

私は小石で狙いを定めたが
私だけが倒れていた
ゴリアテが大きすぎたのか
それとも、
私が小さすぎたのか——


旧約聖書に登場する、
イスラエルの羊飼いダビデと、ペリシテの巨人ゴリアテの戦い。
ダビデはゴリアテの額に石を命中させ、
昏倒したゴリアテから剣を奪って首を刎ね、
勝利をおさめます。

その物語を下敷きに、
この詩で描かれるのは「私」と「世界」の戦い。

最後の問いかけは百八十度の発想の転換にシビれますが、
倒れた状態で発せられた問いだと思うと、
ユーモラスな場面にも見えてきます。
むしろ倒れたからこそ生まれた、発想の転換だったのかもしれません。

とはいえ真面目に問いについて考えてみると、
ゴリアテが大きすぎたのか、
私が小さすぎたのかは、まあ、なんともいえないところです。

そもそも「私」が立ち向かったのはゴリアテではなく「世界」だし、
ダビデが使ったという投石の道具もなかったのかもしれない。

しかし、
ダビデより二倍勇敢だったとは、はっきり書いてあります。

なぜ、こうもはっきり言えるのか。

これはつまり、
ダビデは神様が自分を助けてくれることを知っていたけれども、
自分はそのような加護を受けずに戦った、
だからその分、ダビデの二倍勇敢なのだ、ということではないでしょうか。

神なき世界の敵とは。

こいつを倒せば戦争は終わる、
そんな分かりやすさのない時代で、

戦う勇気について考えさせられます。


『THE COMPLETE POEMS OF EMILY DICKINSON』

THOMAS H . JOHNSON, EDITOR

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