【マサラタウンのカレー】
マサラタウンは本来ならサトシを導く言葉だ。それがどういうわけか、今回はカレーを呼び出してしまった。しかし、結果としてこの句は単なるエラーにとどまらなかった。マサラの部分はカレーの縁語と言えないこともなく、すでにサトシの足音が聞こえていた読者の予想を裏切りつつも、別のかたちで納得感を与えるという、想像を超える句を生み出した。「ああ、それにしてもうまそうだ…」
このように、ある言葉を導き出す、あるいはそこへ到達するために歌われる言葉は、古典的には枕詞、または序詞といわれる。
「マサラタウンの」は「サトシ」を自動的に導くという点で、言葉と言葉の関係性において、そこに創造はない。また、そこで例えば景観から思惟の世界へというような劇的な移行がおこなわれている訳でもない。たんにサトシが、どこのサトシか、限定されただけである。したがってこれは序詞ではなく、機能としては枕詞に近いのだが、五音という制約からは外れるので、枕詞というわけにもいかない。だからこのような言葉をなんと呼べばいいのかはわからない。
とはいえ、時にはこのように言葉をめぐって一見迂遠な思索を試みることも無駄ではない。その道中で、「自動性」が「枕」詞の本質ではないかという重要な観点が見出されたのだから。例えば、歌枕という言葉がある。ウィキペディアによると、
歌枕を訪れると、かつてそこで歌われた歌が、自動的に思い起こされる。これは聖地巡礼にも近いかもしれない。歌(作品)を知っている者だけが夢想できるイメージの世界であるという点では、枕はまさに夢への入り口でもある。枕、自動、夢……ハッ、そうか!!……
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おやすみなさい。
タイトルの写真は帰省した折に故郷で食べたカレー。
マサラタウンは実在しない土地でありながら、人それぞれの故郷を思い起こさせる歌枕でもあったのだ…