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凡人?

早期退職者募集。
対象は45歳以上。
退職金は15%の割り増し
外部委託業者による再就職支援
その他の条件も添えた
社内メールがあった。

再チャレンジができるように
起業も応援してくれるらしい。

再チャレンジの言葉に惹かれた。
しかし、不安も募る。
自分は営業技術職が長く
帯に長し襷に短しで
営業も技術も中途半端で
果たして、世の中で通用する
スキルがあると言えるのだろうか。
メールを見ながら
ぼんやりとそう考えていた。
しかし、再チャレンジしたければ
これは、絶好の好機かもしれない。

その日、同僚との飲み会で
この話が話題になった。
「この年で、再就職など望めないよな?」
「このまま定年まで、
しがみつくしかないな。」
「役職定年の後は、ある意味気楽だしな。」
顔を真っ赤にして、少しろれつが
回らなくなった同僚がそう言っていた。

「俺はさ、まだ体力があるうちに
今とは違う人生を経験してみるのも
悪くない・・・と思っているよ。」

「それは俺もそう思うけど
お前は独り身だからな。
背負っているものが
少ないので気楽でいいよな。」

「そうなんだけど・・・・
いざ、決断となれば不安が湧いてきて
なかなか踏み切れないでいる。」

「俺たちの場合
社内での人間関係は順調だし
収入も人並みであれば、
特にそうなるよな。」

「最近YouTubeを見ていると
若い人たちが、仕事をやめて
日本一周したり、田舎に移住したり
楽しそうにしている。
俺たちの若い頃には、
とても考えられない行動力だよな。
一度しかない人生だとか
今しかできない事をとか
色々言っているが
本当にそうだよなと共感してしまうよ。」
「安全な道を、地道に歩き続けて
安定した生活を得ているだけで
本当に幸せと言えるのかと
思う時があるよ。」

「お前は独り身だからな
俺なんかは、家族の生活や
教育費などに追われ
自分の人生など考える暇もない。
子供たちが独立して
女房と二人に戻った時、
気が付くと定年と言う感じかな。
選択肢は他にないと思うな。」

「男として家庭を支えて頑張るのは
当たり前かもしれないけど
独身の俺から見ると
立派な人生だと思うな。
そういう意味からも
独身の自分は、
中途半端な生き方
をしている負い目も感じる。?」

「まあ、長いサラリーマン生活で
一度や二度は、
迷う事は誰でもあるよな。」
「そうだな。」

その日以降、この事については
もう話題にもならかった。

それから、数ヶ月後
なじみの店でちょっとした
出会いがあった。

給料日直後の週末でもあって
行きつけの居酒屋は込み合っていた。
「すみません、相席をお願いします。」
店員が、
30代ぐらいの男性を案内してきた。
「あ、どうもすみません。」
「どうぞどうぞ。」
彼は軽く会釈をして横に座った。

お互い連れもいない事から
どちらからともなく話すようになった。
出身地や趣味の話で盛り上がり
2次会に繰り出すことになった。
スナックのカウンターで飲んでる時に
ボランティアの話になり
自分も興味があるがなかなか
きっかけが無くて
などと話していると
「実は、」その男は話し始めた。
「社会人落語同好会の
事務局をしています。
来週日曜日、
老人ホームに慰問に行くのですが
予定していた裏方の一人が
急用で来れなくなり困っているんです。
良かったらどうですか?」

普段なら、慎重になるんだが
話の流れと酔った勢いもあって
「お~う、いいですね。
お手伝いしますよ。」
と答えた。
アドレス交換を済ませ
その夜は終わった。

約束の日
朝から搬入作業が始まった。
ようやく
舞台設置や道具の配置も終わり
一息ついてる時に
「ちょっと、面白い話があるので
私たちの部屋に来ないかい?」
と一人の老人に声をかけられた。
「いや、まだ手伝いがあるので・・・」
と断りかけたが、
なぜか見えない威圧感に押されて
「じゃ、ちょっとだけなら。」
とついて行くことになった。
そこは、部屋と言うよりも
小さな集会所の様な感じの所で
中には数名がいた。
その老人は、皆に向かって
「今日は、特別な招待客を連れてきた」
と、私の事を紹介した。
私は、彼らの中に座らされたが
妙に居心地が悪かった。

「では、皆さん
輪になって手をつないでください。」
私もその輪の中の一員になった。
「目をつぶって、
瞑想を始めてください。」
なんだか、
変な宗教に勧誘されたのかと
不安な気持ちが横切ったが
直ぐに、それは消えて
様々な人達の気持ちが、
手に伝わってきたように感じた。
それは一様に暖かい気持ちであった。

「はい、じゃ手を放してください。」
「やはり間違いなかった。
やっと私たちが探し求めていた人に
出会えました。」
私を連れてきた老人は、
そう皆に言った。
皆も一応に大きくうなずいた。

「人間には血液型がある様に
心にも波長型と言うものがある。」
「これはなかなか厄介なもので
種類が多すぎて、同じ波長の人には
めったに巡り合えない。」
「まして、我々の波長は
極めて少ない部類になる。」
「でも、同じ波長なら
直感で感じるものがある。
正にあなたには、
その直感を感じた。」
「こうして手をつないでみて、
確信が持てた。」

「ここにいる人たちは、
同じ波長の持ち主です。」
「そしてあなたも、
その一人であると分かりました。」
皆がもう一度大きくうなずいた。
そして皆の目が自分の方に
注がれているのを感じた。

彼らの望む事は、
自分たちが引き継いできたものを
私に託したいという事だった。
どういうものか、分からないが
とても大切なものである事は感じた。
私はこの途方もない申し出を、
受け入れることは
到底できないと思った。
なぜなら、
自分一人の人生さえ持て余している。
とてもこんな多くの人の分まで
無理だと断った。

すると、彼らは一人一人が
引き継いでいるのは
ある大切な一部でしかない。
それらがすべて合わさって、
一つのものになる。
それには、波長を統合できる
一人の人物が必要になる。
それが私だと言うのだ。
そして、これは宿命であり
拒めないとも言った。
私自身もそれを感じていた。

真ん中の椅子に座り、
頭を垂れる様に言われた。
そして、かわるがわるメンバーが
私の肩に手を置いた。
暖かいエネルギーが伝わってきた。
そして終わると、
一人づつ部屋を出て行った。
拍子抜けするぐらい
簡単に事は終わった。
私はと言うと、
別段何も変わった様子もなかった。
部屋に一人残された私は、
何か夢でも見ていたのかと
思うぐらいであった。
その日はそれで終わった。

そもそも、落語会のボランティアも
今思えば、
それすらこの事の下地であったような
怪しさを感じた。

自分の異変に気付いたのは、
その後数日が経過した頃であった。

横断歩道を渡っている小学生の集団に
暴走車が突っ込み
子供たちを次々と跳ね飛ばした。
いや、
そういう光景が見えた。
次の瞬間、
無意識に横断歩道の子供たちを
渡らせないように
強引に押しとどめていた。
その傍らを、
暴走車がすり抜けて行った。
危機一髪とはその事で、
周りの人も唖然として
声一つ上げられなかった。
私は何事もなかったように、
その場を離れた。

会社でも
同じような事があった。
厄介なシステムトラブルに
自分ごときのレベルでは、
出る幕はないが
混乱収取が急がれる
緊急事態なので
何か手助けできないかと思うと、
何故か私には、直ぐに
プログラムのミスコードが見えた。
その部分を指摘して
それを修正すると、
ほどなく回復した。
専門家達が手を焼いていた問題を
いとも簡単に解決したから
皆驚いて、
どうして原因が分かったのかと
不思議がったが、
「以前にも
同じトラブルを経験したから。」
と言いて、ごまかした。
まさか、
目の前に問題のコードが見えたなど
誰も信じてもらえないと思った。

駅では、年配の女性が
座り込んで苦しそうにしていた。
緊急性を感じた。
直ぐに応急処置をして、
救急車を呼び救急隊員に
症状と、病名を告げ
専門病院に、できるだけ早く
運ぶように指示した。
救急隊員は、
医者と勘違いしたようで
素直に従ってくれた。
「先生のお名前を教えてください。」
と聞かれたが、
一刻を争う事態なので、
ともかく急ぐようにとだけ伝えた。
後に新聞に的確な判断と処置で、
命を救った名医を探している
記事が出ていた。

他にもびっくりするような
知識、技術、経験が
備わっているらしい。
たぶんあの時の人たちの
潜在的な知見が
事をもたらしている
と思った。
まだまだ自分でも
気づかないすごいものが
あるみたいだ。
それは、必要になった時に
いきなり覚醒するようだ。

会社では、あの時のトラブル以来
目立たないようにふるまっていたが
うわさは、瞬く間に広がっていった。

早期退職募集の時は
踏み出せないでいたが
この非凡な能力は、
自分のためにではなく
人の幸福のために使うべきだと
言う気持ちが
日々強くなり、退職を決意した。

会社は、
好待遇と昇給の好条件を示し
思いとどまる様に
説得してきたが
健康上の都合を理由に、
押し切って退職をした。

・・・・・・・・・・・・・

全体が白っぽい空間で
あの時の老人と、
もう一人の男が話していた。
「ところで、あの男その後どうだ?」
「さぞかし、
あの能力に驚いている事だろうな。」
「能力には、もう気付いたようで
会社も退職したよ。」
「我々のパフォーマンスで、
まんまと自分は
特別な人間だと信じ込んだ。」
「で、彼を選んだ本当の理由は何だったんだ?」
「凡人なら誰でも良かったんだけど
彼は自分の人生に疑問を
感じはじめていたので、
丁度良いので
後押しをしてやった。」

「これまでも人格者や指導者など
色々な人物に試してきたが
今回も今までの様な結末に
ならないでもらいたいな。」
「そうだな。
でも人間の性と言うのか
凡人ではなおさら
無理かもしれないな。」

彼らは、人間の行動を研究する
宇宙人だった。
もうずいぶんと長く、
人間を見守ってきている。
そろそろ結論を出さねばならない
時に来ている。

人間たちはお互いに争いをやめないし
互いに殺しあう。
食物連鎖の頂点に立つ人間が、
あわや地球自体をも
破壊しかねない状態に
なってきている。
自分の欲望を
制御していく能力も備わっているが
権限を持つと変わってしまう。

選ばれた彼は
平凡な人間の代表として
人類の運命を決める
最終テストに臨んでいるのだ。
自分自身は全く気付いていない
重い責任を負わされていた。

・・・・・・・・・・・・・

高ぶる気持ちだけで、深く考えず
会社を辞めたことが失敗であると
すぐに気付いた。
仕事をしていれば、気が紛れる。
四六時中誘惑と戦う事もない。
辞めて時間を手にしてみると
自分の能力が怖くなるほど
大きいと分かった。
この力を使えば、
人類の頂点に立ち
金でも権力でも望むものは
何もかもを手に入れられる。
日々、その能力を使う快感を思い
誘惑に悩まされた。

株価も世の中の動きも
全て先に知る事ができる。
この力を世の中の為に使おうと
思っていたことなど、
忘れ去りそうになる。

ともかく苦しくて仕方ない。
あの時の老人に
もう一度会って話したい
この能力を、
まずその為に使う事にした。

「お前さんは、
私を探しているようだな。」
能力を集中して
呼び寄せることに成功したようだ。
老人の姿はないが、
頭の中に声が聞こえてきた。
「そうです。」
「私に話したいことは何かな?」
「私は、これまで経験した事のない
ものすごい能力を授けられました。」
「でも、この能力は私には重荷です。」
「ほ~、それはどうしてかな?」
「自分の欲望に勝てない
気がするからです。」
「望むままに
使ってみてはどうかな?」
「私は変わりました。
私は弱い人間です。
人の為より自分の欲望を
優先したい気持ちが
抑えられません。」
「これでは、
この能力を本当に生かせません。」
「なるほど。」
「それで、望みは何かな?」
「お返ししたいのです。」
「そしてもっとふさわしい人に、
渡してください。」
「そうすると、
お前は元の自分に戻るんだぞ。」
「早期退職にも応じられない、
意気地なしにな。」
「それが私の真の姿なのだから、
後悔はありません。」
「そうか、分かった。」
「そう言う手もあったんだな。」
「考えてみよう。」
そして声は消えた。

・・・・・・・・・・

「まあ、長いサラリーマン生活で
一度や二度は、
迷う事は誰でもあるよな。」
「そうだな。」

あの時の居酒屋に戻っていた。
全ての記憶は消え
本人には、人類消滅を救った自覚は
もちろんなかった。

日常の酒場の一コマでも、掘り下げれば
案外深いかもしれないと言うおとぎ話です。












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