映画「坂道のアポロン」を初めて観た時に「生きてていいんだ」って思った話。



映画「坂道のアポロン」を初めて観た時に「生きてていいんだ」って思った話。を分析しました👦🏻



(注釈: これ第三者が見たとして、「自認」?「脳の不具合」?ってなるかなと思ったから、ザッというと、
「生まれつき脳に不具合を持って生まれた人間がそのまま大人になり、自分のセクシャリティを自認することをきっかけとして、自力で脳の不具合を解消したことにより生きやすくなった」

という状況です👦🏻)

(わりとWhat's up??🤷‍♂️な話だけど、
それ以上説明のしようがないというか、
わたしが証明なのでわたしが証明です😌)







映画「坂道のアポロン」は大好きでお気に入りの映画なんだけども、それこそ何十回も映画館に足を運ぶほどに。(原作漫画もまじで面白くておすすめ。いつか朝ドラの題材になってほしいくらい。)
ザッと言うと孤独な少年2人がジャズと出会って友情を見つける話って感じで。映画は瑞々しく爽やかに3人のことを描いてました。
そんな映画をわたしが初めて観た時の感想が、
「生きてていいんだって思えた」
だったんですよ。しかも号泣というかもはや爆泣きして。
冷静になんで?と思って。確かに素敵な映画だけど、そこそんな爆デカ感情で観るやつ系か?みたいな。
製作サイドやキャストもきっと、そんな気では作ってないと思う。そんな気にさせてやろうなんて。たぶん。

なんで「生きてていいんだって思えた」のか。
当時(2年前くらい?)は理由がわからなかった。なんなら若干戸惑った。そんなに?って。
だけど思考できる頭になった今ならわかることがあると思って分析してみました。

恐らくわたしは主人公の薫さんや千太郎に自分を重ねて共感してたわけではたぶんなくて。彼らは孤独を抱えてたわけだけど、わたしは別に孤独を抱えてたわけではないと思うし。常に友達や家族もいたし。
ただ、彼らはジャズと出会って孤独から救われて友情を得ることができた。

その様子があまりに美しく憧れというか自分の望むもののかたちをしていたというのか。

当時の自分は孤独は感じてはいなかったけど、まだ自認することもなく不具合な脳のままだったわけで。つまり自分がなんなのかわからないままで自分にも他人にも潜在意識の中で怯えてた状態だったわけです。
自分がなにかわからないから生きていく確固たる理由がなかったというか。自信というかとっかかりというか。自分の命に対して無気力だったんだと思う。だから上辺だけのとっかかりにすがるしかできなくて。自分と向き合って自分がなんなのかを知るってこともせずに。
そんな状態で長い間生きてきたけど、でも人間は生まれ落ちたからには生きていこうとする本能は多かれ少なかれ備わってるはずで。生きようとするためにはこの状態から脱しなければならないって。本能的な部分では理解していたのかもしれない。

だから潜在意識の中ではずっとずっと救われたかったんだと思う。

この自覚のない「救われたい」「生きてていい理由がほしい」「生きていくとっかかりがほしい」
みたいな誰に頼ることもすがることもできないようなどうしようもない問題をですね、

こう、爽やかに目の前で解決されていくのを見せられたというか。
薫さんと千太郎が「ジャズ」に出会うことにより「孤独」から救われていく様がなんか、

自分にもそういうことが起きてほしいな、みたいな。

救われたいなっていう潜在意識に触れて決壊して爆泣きしちゃったんだなたぶん。

こんな自分でも救われる時が来るのかもしれない。
って。
救われてこんな風に乗り越えて生きていけるのかもしれないって、思ったんだと思う。

薫さんや千太郎にとっての「孤独」は
わたしにとっては「脳に不具合を抱えた状態」であり、
薫さんや千太郎にとっての「ジャズ」は
わたしにとっての「自認」
だったのではないかな?と思いました。

今になって思うと、
薫さんや千太郎は、ジャズと出会って、孤独から救われて、友情を得る。
んだけど、
わたしの場合は、自認して、脳の不具合が治ることによって、生きやすい人生を得る。
ってことなのでした。たぶん。

わけわからんけど、自分はやっと今これで納得した。
当時の自分と今の自分でそういうことかー!って。

ありがとうございました👦🏻