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住所不定無職日記8日目 ひとりでも背中に薬くらい塗れる 

 睡眠についてここ数日抱いていた嫌な予感が現実になっていく。寝付けないで3時を過ぎた。

 会社員の終わり頃から睡眠導入剤に手を出した。薬はどんどん強さを増して、気がつけば最初に服薬していた量の8倍の量が手放せなくなっていた。断薬に苦労して、何度も夜と地続きの重い朝を迎えた。やがて荒療治だが肉体労働がメインのバイトを始めると、あっさりと自然な眠りを取り戻すことができた。辞める頃には眠れなくて始めたことも忘れてしまうくらいに睡眠はまた当たり前のものになった。ここに来て最初の数日は熟睡できていたが、久しぶりのライター業で興奮や不安がぶり返し、持っていた薬を飲むようになった。バイトを辞めてからも毎日8000歩は歩くようにしているし、宿で横になると眠くなるのだけれどうまく眠りにつけない。もっと肉体を疲弊させる必要を感じる。

 10時すぎに起きて朝食を取る。ニンニクとハーブの入ったおしゃれなパンは朝食よりはディナー向きだった。2日目に買ったデパートの野菜を食べ切る。牛乳2センチ入り、砂糖なしのコーヒーを飲む。

 お昼前に局留めにしていた荷物を受け取りに郵便局へ行く。遠方に住む元同居人から虫除けシーツを送ってもらったのだ。
 海外で長期のバックパッカーをしていた時に安宿での虫除けに買ったシーツだ。実際に同室で南京虫が大量発生した時も私だけシーツのおかげで無事に済んだ(真夜中に悲鳴の上がるドミトリーの電灯の下、めくったシーツの下で蠢く南京虫を見た)。シルク100%素材で保温力も高い。
 現在の宿は虫の心配なんていらないくらい綺麗だったが、綺麗すぎるのも落ち着かない。ドミトリーではシーツを2枚貸し出してその間で寝るようなスタイルもあるが、ここはまっさらなシーツをピンと張ったマットレスに綺麗な布団カバーで包まれた羽毛布団を貸し出してくれる。快適だけれど、人様の寝具を寝汗やよだれで汚してしまうのではと心配だった。シーツがあれば、そこは自分だけの空間になる。クシャクシャに丸まった深緑の懐かしいシーツを手に取る。

 レターパックには一緒に封筒が入っていて、そこには一言のメモと幾ばくかの商品券が同封されていた。数日前に久しぶりに連絡をくれた元同居人には、シーツの郵送を頼むついでに現状についておもしろおかしく伝えていた。ひと回り近く年上の元同居人は私らしいやり方を肯定してくれたが、やはり(自分から見て比較的)若い女が家を出てドミトリーで生活しているというのはいかがなものかと思ったのかもしれない。元同居人は基本的に善人だった。全国共通百貨店商品券と違って、もらった商品券は使える範囲がとても幅広い。これはせっかくもらった気持ちだから食糧の補給みたいなみみっちい使い方はせずにうまく使いたい。

 かかりつけの皮膚科に肌荒れのクリームをもらいにいく。背中が荒れているのをいい加減に我慢できなくなってきた。年配の女性の先生の前で服を脱いで患部を見せると、塗り薬を手に取って使い方を説明しつつ「塗ってくれる人はいるの?」聞かれた。とっさに何となく「いない」と言いにくくて、「でも私肩が柔らかいんで背中ほとんど手が届くんで大丈夫ですよ」と意味不明なことを言いながら背中で手を合わせて見せたが先生は無言であった。このくらいの年齢になると薬を塗ってくれる誰かはもちろん親ではなく、肌を見せられる恋人か家族を意味するだろう。肌荒れをそのままにしているということは必然的にそういう相手がいないことになるわけだった。だから誤魔化したのだ。薬一つ処方してもらうだけなのに、なんだかわけもなく人恋しくなった。

 昨日と同じ図書館に行って記事を仕上げる。担当者に初稿を送って、タイ人のエッセイを読む。哲学的な思考が旅の中に散りばめられていてとても興味深い。19時になると図書館の窓際の席へ移動して外を眺めた。図書館の入る建物には他にも複数の企業のオフィスが入っていて、窓際の席からはオフィスのサラリーマンが駅へ向かって外へ出ていく様子が見えた。その中に知ってる背中がないかをぼんやりと探してしまった。
 数ヶ月前、私はこのオフィスの一つで働いていた。まだ地元に戻ってきたばかりの頃で、自分の人生に特に大きく混乱していた時期だった。今ならまだ間に合うから急いで普通にならなければと焦ってどこにでもありそうな事務の仕事に応募して適当に働き出した。会社で誰かのために働くなんて初めての経験だった。お茶を出し、電話を繋ぎ、郵便物を仕分け、請求書にハンコを押していた。ひどいあがり症のせいで電話に出られなくて1ヶ月そこそこでやめてしまったけれど、その時に職場で知り合った男の子とは何度か飲みに行って、退職後も関係が続いていた。在職中も退職後もこの図書館によくいることは伝えてあって、たまに声をかけてもらって相手の仕事上がりに落ち合ったりもした。
 なんとなくその子の前では、自分がバックパッカーしてたことや、職を転々としていたり、ましてやホステルに住んでいたり、そもそも家族と不仲であったりすることを話したくなくて、職場に入った時のように普通の人のふりをずっと続けていた。その子は私が最初に見せた普通の人の演技をどうしてか信じていて、少し抜けているけれど芯が強くて料理がうまくてしっかりもので親と仲が良くて3歩後ろで男性を立てるような女性だと思っているらしくて(本人からの評価である)、それは全くの誤解なのだけど、それを訂正することができなくて、会う度に統一感の無い自分に苦しくなっていった。だから会いたくはないのだけど、姿だけ見たくなってしまって窓から目で探してみたが見つからなかった。最後に会ったのは2週間前で、なんとなくこちらから次に声をかけなければこの何とも言えない関係が終わるような気がしていた。それでもきっとその方がいいだろうと思うから、私が連絡をすることはない。だから元気な姿だけ他人として遠くから見たかった。

 帰りにデパートに寄ってお惣菜屋さんで半額になったお弁当とおにぎりのセットを買った。商品券で支払って、お釣りでビールを買って宿に帰る。

 来週初めに手直しをして今の2本の記事を終わらせたら、私はライターをやめて就職をする。うまくいけば2件選考の進んでいる企業のどちらからも来週内定が出る。どちらもいわゆるWEB制作会社だった。そしたらどちらか選んで5月から働くことにする。ホステルには月末までいて、来月の頭から住むアパートも借りる。もうそれはほとんど決めていることだけど、実感を持ちたくて文字に書いてみたれど、やっぱり疑いたくなる未来だった。

 久しぶりに2件の取材をして記事を書いてみて、やっぱり私はこの仕事が得意ではないと思い知った。これしかできないし、このやり方を会社が許してくれたから、たくさんの人に迷惑をかけてもなんとか続けられただけだった。何年もそれだけをやってきたのだから記事を書けるという売りがなければ、本当に自分から何も無くなってしまう気がして怖かった。だけど、ただ続けることを許されていただけだった。ぼんやりと気がついていたことをきちんと確信できて良かった。これでライターや編集の仕事を名残惜しく思う気持ちにケリがつけられる。本当に違う仕事をしてもいいかと悩まなくても良くなる。

 就職をして、家を借りて、好きな服を買って、料理を作る。そういう地に足をつけた暮らしを数年やってみながら、当初の予定の通り、ここを離れられないような思いを抱いたり、大切な誰かを見つけたり、そういう繋ぎ止めるものが見つからなければまた出て行けばいいだけの話なんだ。(だけど改めて考えるまでもなく、私が自分で全部ぶっ壊してきた。石橋が壊れないかなと心配で壊れるまでぶっ叩いて全部壊してめちゃくちゃにしてきた。どこでもそうだった。誰に対してもそうだった。そういう自分が変わらない予感を持て余していた。)
 
 ホステルの20個のベッドは今や半分近くが埋まっていた。そのうち半分は連泊者だ。コロナは明けた、のかもしれない。私の長すぎるモラトリアムもここでおしまいにしなければならない。

家計簿
■デパ地下惣菜屋 半額弁当、半額おにぎり
■コンビニ 一番搾り350缶、プロ野球チップス

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