![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/123621722/rectangle_large_type_2_52b522e790b90ac41b11f056815de90b.png?width=800)
女子大生が美容整形と向き合い人生を考える💉
Xにて、このようなポストを見かけた。
学生時代に貯めた400万でフル整形したけど、人生のコスパが良すぎる🥹💖
デブス時代は綺麗なんて言われたことないし、好きな人とも上手くいかない、お金出すのも当たり前だった。
でも整形してからは、タクシー無料にされたり奢り奢られ論争もなくなて、好きな人とは必ず結ばれる💖容姿って強い
ヒアルロン酸注入やボトックスなど、所謂プチ整形が流行している昨今。
SNSでは上のような「整形で人生が変わった」との投稿をよく見かける。
ただ、SNSでよく見かけるのは美容整形の「キラキラ」の部分であり、そこには「闇」があることを忘れてはならない。
現役大学生であるわたしも、整形で「良くも悪くも」人生が変わったそのひとりである。
美容整形は悪ではない。
それでも多額の金がかかることは事実である。
人生を豊かにするための整形であったはずが、いつの間にか整形をするための人生になっている。
恐ろしいことだが、これはわたしの短い人生における経験談である。
わたしの生い立ち
幼少期〜小学生
わたしは両親にかわいいかわいいと言われ育ってきた。
自分自身、顔面に関してかわいいと信じて疑うことがなかった。
勉強では学年で一番だったし、運動もリレーの選手に選抜されるくらいにはできていた。
そのためか幼稚園〜小学校で、クラスでは中心に近い立ち位置だった(と自分では思う)。
こういう理由で周りにヨイショされることが多かったのも、自分が「かわいくない」ことに気付けなかった一因かもしれない。
西加奈子「きりこについて」を読んだことがあるだろうか。
両親の愛情を受けて育ってきた「きりこ」は、小学5年生のとき好きな男の子に「ぶす」と言われ、引きこもってしまう。
わたしはきっと、中学生になっても自分が「ぶす」であると気付けなかった世界線でのきりこなのかもしれない。
この時期「自分は特別だ」と、自尊心だけが成長していったのだ。
中学に入学する
わたしは中学受験をして、私立の中学校に通い始めた。
中学生になると、みんな自分や周りの容姿を気にし始める。
そしてそこは進学校で、勉強のできない生徒は先生にも生徒にも馬鹿にされる、学力がモノを言う社会でもあった。
ここでわたしは初めて友達づくりに苦労することとなる。
田舎の小学校では学力トップだったわたしも、テストで中の上〜上の下を行ったり来たりしていた。
「何でもできるまどかちゃん」ではなくなったことに加え、「ブスなまどかちゃん」であると周りが気付き始める。
部活に入り仲の良い友達もできたが、今までのようにみんなに慕われるということはなかった。
今までは「何でもできるまどかちゃん」であったが故に多少図に乗った態度をしていた。
しかし勉強ができるわけでもなく、顔もかわいくないわたしは、それに気付かず今までと同じ態度でいたとき、周囲に引かれ、多少孤立していたと思う。
少しずつ自尊心が劣等感に変わっていく。
好きな芸能人
中学に入学して数ヶ月後、女子の間でプロフィール帳交換が流行していた。
プロフィール帳の一部に「好きな芸能人」を書くコーナーがあった。
好きな芸能人がいなかったわたしは、自分が集めた友人のプロフィールのその部分に注目していた。
今どきの中学生はどの芸能人が好きなのか、気に入った芸能人がいたら自分もその芸能人をプロフィールに書こうという、それだけの気持ちだった。
ある友人のプロフィールのその欄には、芸能人Rの名前が書かれていた。
Rについて全く知らなかったわたしは、ネットで検索しRが女子中学生向けのファッション雑誌で専属モデルをしていることを知る。
見たことがないくらいほっそりとした脚。
小さな顔には、大きなタレ目がにっこりと笑っている。
この時初めて、同世代の女の子に対して純粋にかわいいと思った。
次の休日には書店に走り、その雑誌を購入した。厳しかった母親には内緒で。
それから毎日、放課後になると無心に誌面のRを眺めた。
この時期から、「かわいい」の価値観が形作られていく。
Rと比べたら自分は明らかに醜かった。
ここでやっと、自分が如何に「かわいくない」かに気付くのだ。
それから高校時代にかけて、じわじわと劣等感が大きくなっていく。
気がついたら「Rと自分」だけでなく「クラスの女子と自分」を比較していた。
家に帰ると鏡と睨めっこし、どこが悪いのか自分の顔面を研究する毎日であった。
大学受験期のネットサーフィン
そうこうしているうちに受験期に入る。
中高一貫校の内部進学生だったため、6年ぶりの受験だった。
高2の夏くらいまでは国立医学部を志しており、成績もギリギリ届くかな、くらいだった。
しかし成績普通、運動普通、顔面普通で何もないとわかった状態で数年過ごしたわたしの自己肯定感は地に落ちていた。
受験が近づくにつれてメンタルはさらに病んでいく。
当然勉強にも身が入らない。
受験を耐える気力は残っておらず、パソコンを開いてはキラキラした大学生の暮らしを検索し、空想していた。
キラキラした大学生活を送るために必要なものをひとつひとつ、メモしていった。
そこであるとき気が付く。
うちにはお金がない。
仕送りも当然少ないはずだ。
お金がなければ素敵なファッションで身を纏うことも、化粧品を買うこともできない。
憧れていたふかふかのベッドで寝ることも。
かわいくない自分にとっての外見、そして幸せな生活は、課金制なのだという真理に出会う。
夜職との出会い
受験前のわたしは毎日お金の稼ぎ方を調べた。
大学生にもできて、危なくなくて、できるだけ手っ取り早いもの。
ある日「チャットレディ」のブログを見つける。
これだ、と思った。
初めて足を踏み入れようとした「性を売りにする」職業、夜職はチャットレディだった。
大学生になったらチャットレディで稼ごう、と決めた。
そうして受験を迎える。
出願した大学の偏差値は目指していたところよりも10以上下だったにもかかわらず、結果は不合格。
勉強に集中していなかったのだから、当然だ。
それでも第3志望校には合格しており、何とか大学生になれることが決まった。
コロナに襲われた生活
大学生活とともにコロナ時代が始まった。
半年は実家でオンライン授業を受けた。
対面授業がなく、友だちはできなかった。
想像以上に授業と勉強で忙しく、バイトや遊びどころではなかった。
夢見ていた生活が崩れる。
いつの間にかうつになっていた。
自己肯定感の低さとコロナ禍による生活の閉塞感によるもの、そしてもって生まれたものもあるのかもしれない。(両親とも精神疾患を持っていた)
初めて整形しようと思ったとき
入学後、半年経って実家を出て一人暮らしを始めた。
うつ状態に悩みながらも、まじめに勉強した。
やっと友人ができた。
制服があり、化粧禁止だったから高校から解放され、大学で友人ができたことで、これまでよりも外見に気を遣うようになる。
服や化粧品を少しずつ買い集めるが、お金は足りていた。
そんなある日、「ふたえのり」に出会う。
YouTubeで顔の印象が劇的に変化すると知り、すぐに購入した。
いろいろ試してやっとふたえになれる製品と塗り方を見つけたが、非常に時間がかかり面倒だった。
だから手っ取り早く二重整形をしたいと思った。
しかしこのとき18歳。
成人年齢引き下げ前で、整形するには親の同意書が必要だった。
親が同意してくれるはずはない、と思った。
というか、整形したいと言い出す娘にはなりたくないと思った。
仕方なく、20歳になるまで待つことにした。
初めての恋人
18歳〜19歳の頃、うつと闘いながらも勉強やサークルを頑張っていた。
あるときサークルで出会った人と付き合うことになる。
その人はとても美しかった。
優しくしてくれていたのに、自分は引け目を感じるばかりだった。
20歳になったら二重整形をしようという決意が固まっていった。
初めての二重整形とお金のこと
ようやく20歳を迎える。
友達や恋人に盛大に祝ってもらった。嬉しかった。
誕生日会の高揚感もそのまま、誕生日の2日後には近くの美容クリニックに向かっていた。
ネットでは2万円〜と謳っていた美容外科だったが、カウンセリングで30万円近くすると言われた。
あなたの分厚い瞼なら2万円のコースではすぐ元に戻ってしまいます、と。
ショックだった。
このまま帰るしかない、ふたえのりで生きていくしかない、と思った。
そのとき、バイトしてるなら月々9000円程度支払えば大丈夫ですよ、と言われた。
ローンの提案だった。
それなら、自分にも払えると思った。
毎月9000円でかわいくなるのなら、と思った。
そのまま受け入れ、その日に施術してもらうこととなった。
誰にもバレなかった
施術後、驚いた。
劇的に変化すると思っていた自分の顔面がほとんど変わっていないのだ。
今考えてみると当たり前だ。
ふたえのりで二重になった自分の顔を見慣れていたし、もともと奥二重だったのが幅狭い二重になっただけなのだから。
当然の如く周囲の誰にもバレなかった。
けれど何か足りない、と思った。
恋人との別れ
二重整形に満足しないなか、ある日突然恋人との別れが訪れた。
この出来事はわたしを更なる闇へと引き摺り落としていく。
「高収入」バイトの裏側
恋人がいないと夜の仕事もやりやすい。
バイト探しのサイトで「大学生限定高収入接客バイト」というものを見つける。
整形をして借金を負っていたわたしは、このバイトにすぐに手を出してしまう。
面接当日。初めて行った新橋で指定された場所はキャバクラやガールズバーが立ち並ぶ飲み屋街だった。
応募した店も例に漏れず、キャバクラだった。
「女子大生キャバクラ」と銘打ったその店は、その名の通り同年代の女の子ばかりで馴染みやすい雰囲気だったこともあり、その場で入店を決めた。
安くて回転率がいいそのお店では比較的場内指名はもらいやすいが、本指名はなかなか返ってこない仕組みだった。
同伴料なんかないのに同伴をする女の子もちらほらいた。
そうでもしないと指名が取れないのだ。
その店は夕方から開店するのだが、確か夜7時までの時給はそれ以降の時給より500円安かった。
キャバクラなのにガールズバー並みの時給で働く。
しかも指名は返ってこないからバックも少なかった。
そんな店でも人気嬢はいた。月100万売り上げるような女の子。
でもわたしにはひとに愛される才能がなかった。
愛想よく振る舞う才能はあっても。
その後いろんな飲み屋で働くなかでそれを知っていく。
更衣室にはランキング表が張り出され、売れないわたしは日に日に心は病んでいった。
そんな働き方にも3ヶ月で見切りをつけることになる。
売れない劣等感と待機ばかりでお給料泥棒をしている罪悪感。精神的にもたなかったのだ。
本格的な地方キャバクラ嬢へ
場所を変えれば売れるのではないか。
わたしはそのように考えた。
頭の良くないキャバ嬢が考えがちなことだ。
新橋の女子大生キャバクラを辞め、住んでいた近くの街でキャバクラに入店する。
たまに、つなぎとして登録していたキャバクラ派遣にも行っていた。
地方キャバクラではさらに売れなかった。
素人専門の女子大生キャバクラとは違い、ベテランの子、話が面白い子、とびきりかわいい子がたくさんいた。
そんな中で何の取り柄もない平均的なわたしが売れるわけがないのは少し考えたらわかるはずなのに、わかっていなかった。
単純にばかだったのだ。
わたしは1ヶ月でその店を飛ぶことになる。
年末、派遣キャバで荒稼ぎ
そんなこんなでさすがに自分の能力に限界を感じたので、派遣キャバでのらりくらりと日々を過ごし、年末が来た。
年末といえば繁忙期。キャバクラ界も忙しい。
どの店も忘年会などで女の子が足りず、派遣の募集をかけるため、派遣の時給・保証時間の条件がが驚くほどよかった。
毎日毎日いろんなキャバクラに行き、適当な接客をしては2〜3万稼いだ。
そんな繁忙期も永遠ではない。
1月も正月休みが終わると徐々に閑散期に入っていくのを誰もが知っている。
毎月の支払いが高く、収入が減るのが怖かった。
ここからは堕ちるだけ
この後の話は一部飛ばすことにする。
どういう結末に至ったのか想像すれば簡単である。
わざわざ話すまでもない。
ただ、犯罪行為はしていないから安心してほしい笑
2度目の整形と3度目の整形、脱毛
ある程度お金を手に入れたがいまだに自己肯定感は低いまま。
また整形がしたくなる。
美容外科で目をたれ目にするグラマラスライン形成と豊胸手術、そしてかねてからやりたいと思っていた医療脱毛の予約をする。
グラマラスライン形成
二重整形をした美容外科で手術をした。
めちゃくちゃ痛くて泣きたかった。麻酔してたけど。
同じ手術をやったことがあるという看護師がひたすら「大丈夫」と声をかけてくれた。
頑張って乗り越えた手術だったが、ダウンタイムもつらかった。
花粉症の時期と重なり、1週間後の抜糸まで目が異常にかゆかった。
それでもたれ目に近づいたので嬉しかった。
豊胸手術
別の美容外科で手術をしたのだが、これまためちゃくちゃ痛かった。
麻酔のせいか覚えていないが、受付まで叫び声が聞こえていたらしい。恥ずかしいけど。
でも効果は絶大で、満足度は高かった。
ダウンタイムは長かった気がする。
現在のこと
突然現在に飛ぶのだが、今は稼げるバイトはやっていない。
普通の時給1,000円台のバイトで頑張っている。
大学は行かずに夜職のバイトをしていたので卒業できず、興味も持てなかったので退学した。
それでもせめてもの親孝行に大学は卒業しようと思い通信制大学に編入していま、学んでいる。
通信ではあるが普通の大学生だ。
夜職、大学退学と一旦落ちに堕ちたのにここまで這い上がってこれたのは恋人の存在のおかげだ。
夜職をすると友だちが減り孤独で、普通の人の価値観が失われる。
それでも一般的な仕事をしている恋人に出会ったことでわたしは普通の価値観に戻っていった。
反発することも多かったが本当に救われたと今では思っている。
整形をどう捉えるか
整形は悪だとは思わない。
むしろ、少しでも顔が変わったことで人からの扱いは大きく変化したのだから、キレイになろうと努力するのは素晴らしいし上手く生きていくうえで効果のあることだと思う。
でも、醜形恐怖という言葉があるように、見た目に囚われすぎてはいけない。
整形が全てと考えるようになり、お金がなくなる。
お金がなくなるとどうなるか。
仕事を選ばなくなる。
そこから這いあがるのはきっかけがあっても難しい。
きっかけがないとさらに難しい。
ただそれだけだ。
なんの変哲もない、ただの一大学生の話でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました🙇♀️
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?