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帝都交歓・夜業愚かな歩み〜文フリ東京37紀行

東京行きの新幹線

 2023年11月11日、9時前に名駅に着いた。そこから新幹線に乗る算段である。平日は業務に追われ残業に追い回され、家に帰ってからろくに予定も立てずにいたのに、ようやく当日になって重い腰をあげ、とりあえず行ってみようと出かけてみた。まともに単身東京へ行くのは初めてで、最後に行ったのはおそらく中学の修学旅行以来である。コロナがなければ大学4年の夏にゼミ旅行で計画されていたものだが、前の年に京都で散々歩かされたことを思い出せば、存外潰れて良かったかもしれない。まして好きな先輩はろくに式もあげられないまま卒業していなくなり、可愛げのない後輩たちが教授を崇拝している様を見るのに反吐がでただろう。大阪へは今年2回も行ったり、京都は毎年何かしら理由をつけて出向いていたりするものだが、元来東京というものに何かしらの畏怖や嫌厭を抱く私は新幹線の切符を買うにも嫌に躊躇いを覚えた。品川まで行くのに乗車券込みで1万560円するのである。ケッ、気取ってやんの東京サンは、とケチをつけたが、よくよく考えれば京都や大阪に比べればそれだけ遠く感じるのだろう、距離感の問題、あるいは、そうした得体の知れないものがウジャウジャとごった煮になる都市へはそれだけ金がかかってでも人々は吸い寄せられるという魔都ということである。私は品川へ11時着の新幹線に乗った。
 とまあ前述の通り中学以来の東京、ましてや班行動で警視庁に行ったようなそのころかや気のおかしい私がまともにひとり品川に降り立ったとても右も左もわからぬ。東京の土地の名前もおぼつかない私は、高円寺だったか吉祥寺だったかに在住のフォロワーと品川でエンカウントして、飯を食い、文フリの会場に行くことを目論んだ。ほとんどこれは早朝ないし新幹線のなかで決めてやり取りをした。前段取りが今までで一番ひどいものだが、ほとんど始発で大阪めがけて在来線鈍行で行った時よりかは幾分かマシである。道中はスピノザのエチカを開いていたが岩波文庫の上巻だけしか持ってきておらず読み終えると手持ち無沙汰になった、読み終えたとは思えないが…

品川駅から現場へ、記念写真

 品川に着くと件のフォロワーRくんが1時間遅れるという連絡が来てはやくも呆然とした。おまけに名古屋に比べひとまわり肌寒く感じる。流行の最先端の都市は冬が来るのも早いのか、これでは北陸ではないのかと項垂れるほどの寒さである。装備が甘かったと後悔した私は近くでユニクロがないか調べて、高輪口側へ向かったがどうやら改札の向こうにあるらしく、それに気づかず駅の外をぐるぐる回り南口へ戻ってきてしまった。品川駅の高輪口と南口を繋ぐややカーブを描いたアーチの歩廊を行くとないはずの傾斜を覚える。少し前に電光掲示板に記載された文言で物議を醸した駅だとはすぐに理解できた。本場の味を堪能したいと言う狙いもあって、らーめん二郎に行くことも考えたが近場の品川店の列とフォロワーの到着時間を考えると、会場入りがますます遅くなる。また東京に来た時に行けば良いと諦めた。

 フォロワーRくんが品川駅に到着したのは12時過ぎでそこから浜松町で乗り換え、モノレールへ。途中屋形船が停泊する川を目撃し興奮を覚える。モノレールにはすでに文フリに向かう人々がひしめき合い、これが東京の文フリかとおののいた。今年初めの京都回に行ったが明らかにこれは文フリのために乗車してると分かるほどである。会場が僻地ということもあるのだろうが、ともかくとして流通センター前で降りるとフォームを埋め尽くす列がゆっくりと階段めがけて蠢いており私とフォロワーは追従せざるを得なかった。階段を降りて、フォロワーがICにチャージをしている間、すでにここで私は会場内は身動きが取れず目的のブースに辿り着けないのではという不安を覚えた。
 入り口の看板で記念の写真を撮った。(この記事の一番初めの写真がそれである)面白いのが誰もこのように自分と看板を並べて写真を撮らず、看板だけを撮っているのである。実に見苦しい陰湿な輩どもだと呆れ、私は「Rくん、行くぞ、我々は自分たちも撮るぞ」とそれぞれが交互に写った。荒ぶる鷹が舞い降りたようだ。
 飯がまだだったので会場に併設されているタリーズ・コーヒーで適当に摂る。タリーズ・コーヒーなんて私のような喫茶店文化圏の住民からしてみればスターバックス、ドトール、エクセルシオールに次ぐチェーン店なんかには決して入ろうなどとは考えないのだが近くに私が求める店はないし目当ての同人が売り切れを起こしていたらと思うと気が気でないのでそそくさとホットドックを平らげた。連れはカフェラテを頼み、私はブラックコーヒーを頼んだが矢鱈多く、おまけに猫舌に対して卑劣なフタのせいでナカナカ席を離れられなかった。

会場に乗り込む

 ようやく会場入りしたのが13時もかなりすぎた頃合いだったと記憶している。入ったは良いが目当てその1「新紀要」はどこかと一度向かった第一会場の道半ばで戻り、外から第二展示へ向かう。しかし第二とは何事かと慄く。
 文フリの会場へ赴いたのはこれが2度目だが初めて行ったのは今年初めの京都回。前日に大阪入りしてネッ友の古書店とはね文庫へ周るのに同行し、別の古いネッ友の友人宅に一晩厄介になり、翌日も喫茶店やら京都でエンカウントした同県のフォロワー(いまは思想の違いで離縁したものだが)とエンカウントして回った。いい思い出深い回である。名前の聞いたことのあるフォロワーのフォロワー、ブロックされてしまっている某歌人KK氏を遠巻きに眺めもした。あの京都回の会場はわたしが初めて大学の友人と京都に日帰りで行った時にたまたまやっていた古書市の会場と同じだった。鞍馬山と鴨川をまわったあと、私がわがままにその会場へ行き、三島由紀夫が好きなその友人と手頃な本を探した。大学2年のころだ。あの会場は広いことには広いが平坦である。今回の流通センターとなると端から端までもはやいく気にもなれないバカみたいにデカい部屋がみっつも取られている。
 「新紀要」をはじめ「ぬかるみ派」「プロジェクトメタフィジカ」「もにも〜ど」そして寄稿をさせていただいた「山羊の大学」刊行者「メルキド」さんと言った、いわゆる批評関係のブースが軒を連ねる。この第二展示場の2階で、エスカレーターを上がって扉を進むとすぐに「新紀要」が見えた。まだ在庫はあり、すぐに購った。ブースにはあのフォロワーKに喧嘩を売って名前が流れてきた哲学王さんが居て、私はとりあえず挨拶をした。ネット上で大きなことが言えるタチの人に見えた。「新紀要」はドス・パソスの評論を書かれた方がいるという前情報のみで欲しくなり、買いに来たのである。ドス・パソスなんてドマイナーなモダニズム作家を今の時代に論じるのは何事かと思ったのだ。その後「コミニュカシオン」のブースへ行く。何度かお会いしているsatoo君らと対面。きてたんですか!と驚かれる。「コミニュカシオン」既刊と新刊を買う。重厚感が素晴らしい。手に入れれていなかった「反特集」も買う。すでに5000円が吹き飛んでいる! メルギドさんのブースに挨拶に行くと、いらした方はお兄様だったということを明かされて出直した。このときご一緒に並んでらっしゃった方が「コミニュカシオン」のメンバーのにしんさんだった。
 一旦トイレへ。ついでにフォロワーRくんが一服に行きたいらしく、私は完全に禁煙を決め込んでいるので吸わないのに喫煙所に行くとsatooくんと連れのactusくんと鉢合わせ。satooくんの銘柄エピソードが不謹慎かもしれないけどすごい良かった。オレがダブルバーストを吸って二つカプセルを割ったから二つの戦争が始まった、戦争が始まったからピースを吸い始めた、戦争が終わればHOPEを吸うという。粋である。
 第一展示場へ上がり、自身が参加させていただいた「日常生活社」へ向かう。主催者のおりさわさんが大遅刻をしている中、会場の2時間前に着いていた鯖さんと庶民さん、それから柊さんが店番をしていた。他のブースも回りたいらしく私とフォロワーRくんが交代。私はともかくとしてRくんは寄稿していないのに席についているのは面白い。しばらくブースで頒布活動。初対面の柊さんと純文学とエンタメないしライトノベルの接近は可能かということについて語らった。熱意のある方で斜に構えていた私は自分が恥ずかしくなった。こういう野心のある方を見ると自分はなんて落伍者なのかと項垂れた。三つくらい隣のブースに太田靖久さんがいた。チラチラ見えたが著作は読んでいないので近寄りもしなかった。このかたの取り巻きには僕が学生だった頃熱心に読んだ新鋭作家の一群がいて、もしこの場に鴻池留衣や町屋良平なんていたら、特に卒論の題材にした鴻池留衣なんていたら間違い無くすっ飛んで行っただろう。漱石信者の大嫌いな三流大学崩れの教授に反発して現代作家を好き勝手に論じたのは荒削りで尚且つ雑な仕事をした。

大切な相互の方へご挨拶

 鯖くんたちが戻ってきてくる前にもう一度第二展示場へ戻り、メルキドさんとご対面。作風が安定しないことを指摘されるが同時に伸び代があるとも言われ反応に困る。でもこの方と知り合っていなかったら私はこの日こんなところに来ていなかったし筆は折っていた。小説を寄稿させてもらった「山羊の大学3号」をいただいた。書いてる方にはそのままあげているという。その後「プロジェクトメタフィジカ」のツァッキさんに会いに行く。Twitter上で面識があり、大ライスROM専であるツァッキさんからはトリックスターと称されている私は大変恐縮ですと言わんばかりに顔を出しに行ったがこちらが腰を抜かすほど物腰の低い、聞いたことがないくらいの丁寧な言動をされる方で、とてもフェミニストとバトルしてた人には思えなかった。言葉とは剣のように鋭いものなのだと学ぶ。今度飲みに行きましょうとお約束いただいた。ぜひお願いしたい。ツァッキさんの評論目的で「プロジェクトメタフィジカ2号」を買う。あとで読んだけど本当にパッションの強いVtuber批評で、Vtuberが正直わかっていない私でも付いていける親切さというか真面目な文章だった。ぜひ一読を。
「プロジェクトメタフィジカ」のちょうど向かい側が「ぬかるみ派」で振り向いたらキュアロランバルトこと幸村燕さんがいた。大変背の高い方である。Twitterを始めて間も無くからポスト構造主義やフランス文学に挑んで行く際にこっそり道標にさせていただいた方である。絡みはあまり多くはないが、ご挨拶と最新刊を買う。非常に想定の凝ったドキドキさせる本を書いている。
 さてここで手持ちの現金が底をついた。破産である。
 ブースに戻り、時間になるとさも始めからいたかのように撤去作業に加わった。

打ち上げに潜り込み

 18時過ぎにぎゅうぎゅう詰めのモノレールに乗り、その後山手線で高田馬場へ向かう。メルキドさん関係の刊行メンバーとコミニュカシオンのメンバーで打ち上げがあるという。予定にない私とRくんだが混ぜてもらえるらしい。途中先に会場を脱出していた鯖くん庶民くん柊さんと合流、東京の電車の中を体感する。東京の人たちが出入りする車内はやけにさめざめしていた。高田馬場に着くともう外は真っ暗で、キュアロランバルトさんのツイートでご存知高田馬場ロータリーでメルキドさん一行と合流。KKさんもいる。大所帯である。しばらく高田馬場のいわゆる学生街というのだろうか、繁華街をずんずんと長蛇の列を編みながら歩く。途中私は金をおろし、列からはみ出しましたがRくんが待ってくれていた。早稲田松竹を横切った。しかし人が多い。打ち上げの場は華翠苑の2階を貸し切っていた。階段が喫煙所を兼ねており、スキンヘッドの厳ついコックさんが吸っていた。メムバーもかわるがわる嗜みに行く光景を見て私は少々禁煙を極めていることをやや残念に思った。料理の方は麻婆豆腐やらチャーハンやら青椒肉絲や回鍋肉などの定番物が大皿にもりもりと盛られ、誰それが各々のさらに盛り付け、中国のビールやらで飲食するという有様で、見ず知らずの与太者にも丁寧に皿へよそってくれた。特に驚いたのがこちらが何者かわかっていないのか、私をずっとブロックし続けているKKさんが至極楽しそうに炒飯を盛ってくれたことである。私はしばしばこの人物をフォロワーのスペースで見かけるたびにブロック中と表示されているのを見てなんで頑固な人なのだ、私が何をしたのだというのか、何故私をブロックしたのだ、開示請求がしたいものだ云々悶々としていたものだが、確かにどこか神経質にも取れる言動を見ていれば確かにこんなちゃらんぽらんがタイムラインに現れてみれば腹が立つだろうが、一方でこんな与太者の、もといかれにとっての敵である害悪であろう私に場の流れで炒飯をやそおうこの計らいに人間の器の広さをまざまざと見せつけられたのである。嗚呼私はなんと浅い人間だろうかと、塩っけの少ない優しい味の炒飯を口に運びながらしみじみとしていた。
 しかしまともにこの人数、20人くらいは東京の大学生に囲まれていただろう、文化レベルが異なる。口口から飛び出す話題のどれもが私のいたところでは出てこないものである。短歌がどうかこうか、ゴダールがなんだ、あんだ、大江がなんだ、グレッグ・イーガンがなんだ、インセルがなんだ、酔っ払ってずっと格闘技の話をしてくる者、レコードを模した本を作った者などなど……しばしば学生時代の周囲の教養レベルには呆れカードゲームやらソシャゲに勤しむ連中を見て馬鹿にしていたからか、浪人でもして早稲田なり慶應なりにうっかり入学していたらこんな人々と議論を繰り返していたのかもしれないと思うと人格形成のレベルでいまよりもなお一層大変な人間になっていただろうと思うのであった。

終電を逃す 

 打ち上げ自体、開始が8時前くらいだったが私がその日のうちに東京から名古屋の自宅へ帰るには8時過ぎには高田馬場を出ていないと間に合わない計算だった。東京の土地勘というものが皆無である私にとって高田馬場が東京のどの辺であるかなんてさっぱりだった。打ち上げの後池袋見れたらいいななんて呑気なことを言ってたくらいである。結局打ち上げは22時過ぎまであり、その後ゾロゾロと高田馬場ロータリーに戻りしばしば観察したのち解散となった。途中とても古臭い宿を見つけたがフロントには誰もおらぬので諦め、結局駅近の漫画喫茶に流れ着いた。漫画喫茶にした理由としてその時間で取れる宿なぞないという諦めと空を調べる術であるスマホの充電がもうなかったからである。すでに酒も冷め、外気ですっかり冷えた体を小汚い生ぬるい狭い暗い空間に押し込まれ、横から轟音と形容したい機械音と地響きのようなイビキが相まって、なんとか夜の楽しみと思いまともに読んでこなかったHUNTER×HUNTERを3冊ほど棚から拝借して読んでみても全くもって頭に入ってこないのである。仕方なく寝ようにも轟音の応酬で寝れやしない。ワイヤレスイヤフォンを耳栓がわりにして、硬いマットレスもどきに身を横たえたしばらく耐えた。ほとんど不規則に鳴る機械音によって気が触れそうになった。一向に寝れないので結局充電が満タンになったところ、夜中の3時に店を出た。

帝都を夜通し歩く

 かの高名な配信者のうち散歩をしているだけで稼ぐyoutuberことmorgen氏が投稿した動画のいくつかのうち、2023年5月15日公開の「たくさん、歩くンゴね……」(https://youtu.be/nI9NMB86MjA?si=LWRDC--nKqYjAG-e)にて朝の1時に住まいの土地からお台場に行く回がある。動画内で本人曰く17kmを3時間かけて歩くという。私はあの高田馬場でふとこの動画を思い出したのだ。文フリ会場の喫煙所でactusくんからmorgen氏が出店ブースに来てくれてツーショットを撮ってくれたというエピソードを聞かなければ思い起こさなかっただろうし、同じようなことをしてやろうという気にはならなかっただろう。私は高田馬場から新幹線で降りたあの品川駅まで夜通し歩いてやろうと、あの轟音渦巻く漫画喫茶の個室の中でひとり、やる気になったのである。つまりは深夜テンションで分別がつかなくなっていたのである。

 私がこの晩に通ったルートはほとんどGoogle先生で雑に検索をかけていただいた場合出てくるものと遜色ない。慣れない土地の関係で幾度か道を誤ったがほとんど下記にスクリーンショットしたものと変わらない。

 morgen氏のお台場行きに比べれば4kmほど短いだろうからなんとかなるだろうと私は考えていた。かなり浅はかだった。上に引用したマップのキロメートルの横に上矢印と下矢印のついたメートルの記載があるが、早い話、東京には高低差、坂があるのだ。これはかなり大きな誤算だった。新宿あたりまではほとんど平坦な道のりだった。線路沿いを歩けばかなり楽だった。しかしどうだ、新宿や代々木を過ぎてから雲行きが怪しくなる。港へ向けて歩いているというのにどんどん勾配が地についてくるのである。
 高田馬場から湘南新宿ラインに沿ってタクシーが時々行き交う道を歩いていると、新宿歌舞伎町タワーが見えた。ラスボスの城かー?淡いピンク色に照り輝く一際高く怪しげな塔が暗い曇り空に聳え立って見えた時、私は身の危険を感じた。

新大久保あたりを突っ切って新宿のホスト店舗が群がるあたりを通ったのでなかなか地獄絵図だった。深夜3時だだと言うのにまだ当然のようにやっている韓国系の居酒屋、街路をいく人々、そして吐瀉物や吸い殻が撒き散らされたクソ汚い地面。こ綺麗にした髪の長いスーツ姿の男たち。これが首都の歓楽街かと項垂れた。

 ドシドシ歩くとまだ明るく、路地に何人も屯しており、例の「アイラブ歌舞伎町」の通りに面した生垣には缶チューハイを片手にだべっている若者とへばっている者、タバコを吸っている者が何人もいた。トー横を眺めることはなかったしこのときどこなのかよくわかっていなかったし変に絡まれて歩みを止めるのはまずいと進んだ。進めば二つ。水星の魔女の言葉が頭をよぎった。すれ違う人々を見てもどれもが気色の悪いほど暗い。深夜3時ごろにニコニコ快活にされてても怖いものだが……

阿部和重「新宿ヨドバシカメラ」(「グランド・フィナーレ」収録)という短編があるので記念にパシャリ。おそらく新宿に来てこんなことをしているのは私だけだと思いたい


新宿駅を抜けるとまた都市が寝静まりかえっており、ここら辺から雨が降り始めた。折りたたみ傘をさすと道路標識に渋谷という単語が並び、私は道を間違えたかと何度もマップを見返した。雨の中フラフラと俯いたまま現れたまだ20にもなってなさそうな女の子が今にも倒れそうな足取りですれ違った時は東京がいかにおそろしい街なのか恐怖した。

ここら辺からやや南東に道を逸れ、品川目掛けていくのだが、山に2度ぶつかる。青山霊園のそばを撫でるように進むと下り坂になり、西麻布という単語が並び始める。あの港区か!と心のうち叫んでいると反対の歩道の向こうから、奇声を上げてかけていく猿が二匹見えた。よく見ればケバい女である。遅れてガタイのいい、もとい中年太りをした男が後についていく。この猿のような奇声の主は、港区女子である。これが港区女子か。山から降りてきて餌を求める猿かと思った。何十年前からか野生の生き物が人々の住むところまで降りてきて農作物を食い荒らすという話があるが、彼女たちも田舎から出てきた野生の生き物なのである……

 ラーメン屋がまだやってる店を横切ったがすごい入りたかったが健康を優先してしまった。夜通し歩きっぱなしなので何か食えばいいものを水しか取っていない。狂っている。白金という地名が出てくると金井美恵子のことを思い浮かべたがまた上り坂になっていく。思わず発狂してしまった。広尾あたりでスペイン料理屋から出てきた外国人にクレイジークレイジーと叫ばれた。都市部によく最近はあるレンタサイクルを見かけ、何となくなりたくなったが手続きがよくわからず、満身創痍のなかクレジットを紐付けする方法がよくわからず、結局諦めてまた歩き始める。もう歩くたびに足先が亀裂を生み出して行くような激痛に襲われる。
 また、この辺りでたぬきを見た。上り坂がまた現れ、項垂れているとやたらと屋敷みたいな高級店が軒を連ねるなか、ひょいひょいと現れては猫のように生垣に消えていった。こうした高所得者の街にもドン・キホーテがあったが、全面白塗りでなんだか気持ち悪かった。
 しばらくすると車のナンバーのそこかしこに品川という字が目立ってきた。こうした変化を見つけるほど、先へ進んでいる確証を得たいがため必死になっているようであきれた。もうだいぶ新聞配達のバイクとすれ違う。道が狭い住宅街を縫うように進むと団地のようなところへ出てきて、外に出ている外国人の女の人が突っ立っていた。疲れているからビーナスに見えた。良からぬ妄想も膨らんだ。実行に及ぶほどの体力はない、随分不埒かつ非現実的な妄想をしたものである。団地から下り坂になり、駅近の雑居ビルが目立ち始め、緩やかなカーブを抜けると一際大きな下り坂に出た。仕事に向かうために始発に乗るのか飲み明かして始発に向かうのか前に若い女の子が歩いていたがとても早くずんずんと消えていく。こちらの足がもう限界なことにこうして気づいた。初めのうちと比べかなり歩みが遅い。この大きな下り坂の先を見ると大きく駅があるように見えた。品川駅の高輪口側にたどり着いた時、真っ白なあかりにとばされている品川の文字に涙した。

到着直後の写真。カメラの傾きからしてその足取りの覚束なさを物語る

 上の写真を収めた時刻を写真データから辿ると5:10とある。

脳内ではエンディングが流れていた。さながらノーラン映画のラストのようである。


 あのカーブしていくアーケードを抜け、新幹線の改札の開く20分ほど前に辿り着いた。切符を買っても始発は6時ちょうどにしか来ない。しかしこんな早朝から空いている喫茶店等もなく、売店も開いておらず、しかたなく金網のシャッターもどきの前でしゃがみ込んだ。厚みが文芸誌程度ある、8冊ほどの同人雑誌を鞄に抱え込み、よくもまあ歩いたものである。
品川駅から出る新幹線で一番最初に名古屋に着くことのできる車両は東京駅からは来ない。品川駅から出発するのである。よって当たり前だが着座は容易だった。私は後ろから二列目の席に座った。後ろに中年の細身の女性が座る。座席を倒していいか尋ねるついでに少し話しかけてしまった。むこうも初めて始発に乗ったというが、まさかこちらが夜通し東京を歩いたなどと言ったらどんな顔をするだろうか、私はこのことをその時話したのかもう覚えてない。名古屋へ道は雨が降ったり曇ったりしていた。私は時々うつらうつらとしながらも戦利品のなかのうち新紀要の一番のお目当てであった石橋直樹氏のドス・パソス論を開いたりした。しかしあまりにも眠たいので手を止めリクライニングに身を委ねた。名古屋の住まいには8時過ぎに辿り着いた。簡単にシャワーに入る気力もなく、夕方まで泥のように眠った。(了)

件の戦利品である。風呂敷に包んだものを無印のカバンに入れ、踏破した

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