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何が悪かったのか

「何が悪かったのか、ちっともわからないんですけどね」

この話を聞かせてくれたのは小尾(おび)さんという。
実の所、同じ話をもう10度ほど聞いた。

自分には息子がいるのだが、どうにも出来が悪くて親の自分としては肩身が狭い思いを長年してきたんですよ。
子供の頃からかけっこは遅いし跳び箱は3段しかまともに飛べないし、字も汚いし計算もできない、絵もそんなに上手くはない、歌もてんでダメ。
将来大物になって大金持ちになってほしくて、それで息子を鼓舞してきたんですけどね、ええ。

習い事も習わせたがどうにもこうにも奮わないし、ちっとも芽が出ないので数ヶ月経たないうちに辞めさせてしまった事もありまして。
まぁ、誰に似たかってそれはもう、ねえ。

母親に似たんでしょう、と彼は薄笑いを浮かべた。

「もう、どうしようかと思って。私が焦ったって何にもならないんですが、どうにも息子は……何させてもダメで、歳ばっか喰うでしょう、子供だから身体の成長は早いっていうのに何にも取り柄がないし、どうするんだって」

あんまりにもダメ息子だったもんで、両親にも相談したんですよ。ウチのね、母と父に。
母親と相談したって、ヘラヘラ笑いながら「それでも良いところは沢山ある」とか何とか言って。それでまぁ、そんな程度のもんだからダメなんだろうって事でね、母と父に話したんですね。

「神頼みしてみたらどうだ、って事になりましてねえ」

小尾さんの母と父が提案したのが神頼みだったのだという。
何をやってもダメ、何をさせてもダメならもう神に頼み込んでどうにかしてもらうしか無いとそういう話である。

「御百度参りしようと思ったんですね、私ね、仕事の帰り道に神社があるもんでして……結構大きい神社でご利益もありそうな所だったから……100日も真剣にお願いすればどうにかなると思ったんですよ」

彼は毎日、仕事終わりに神社に行っては“息子の大願成就”を願って帰るのを日課にした。
何を成し遂げるわけではない、何か一つでも突出して素晴らしい功績を打ち立ててくれればそれでよかったという。
何か一つでも、一番になれば、あわよくば何か、何でもいいから優勝でも何でもしてくれれば。
そうすれば親としても鼻が高いし、息子自身も頑張りが報われるだろうとそう真剣に考えていた。

息子を何とかしてください、息子を立派にしてください、息子を将来大金持ちにしてください、有名にしてください、息子はダメな子供です、素晴らしい人間になれますように、なれますように。

何となく、漠然と、それだけを祈っていた。

「息子を思って、息子のことだけを思っていたんですよ。頑張れ、頑張れ、お前なら素晴らしい人間になれる、勉強もかけっこも歌も絵も1番になれる、やれ、やれ、やれ、やれ!そう思って願ってたんですけどねえ、カレンダーに◎もつけて、土曜も日曜もダメな息子のために頑張ってお参りに言ってたんですけどねえ」

100日目。
最後の日は息子を連れ立って意気揚々と神社へ訪れた。
これが息子です。
自慢の息子にしてやってください。

「その時に不思議なことがあったんですよ。それがね、もう、すごく不思議なことが」

2人並んでお参りをしている時、隣にいる息子が“ブレた”のだという。

それは昔のちゃちな3D仕様のカードのような、斜めに動かすと二重に見えたり別の絵柄が浮かび上がるようなそういうイメージ。

「目の前で息子の上に見えるブレた息子が、そのままトントンと歩いていって神社の本堂に消えたんですよ」

本体の息子は、両手を合わせて目を閉じて神様にお祈りをしていた。

「その日の帰り道に息子が車に撥ねられてね……まだ目が覚めてないんです。ねえ、何が悪かったんでしょう、何が悪かったんでしょうねえ」

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