必要だったものは勇気と素直

かなりお久しぶりのnoteになってしまいました、柳瀬です。

いつから更新してなかったのかさえ忘れていたくらいずっとお仕事してました。今年はたのしむことよりも、お仕事ですこしでも結果を出したいと思っていたら毎日すこしの時間の余裕しか作らなくなってしまった。でも、おかげですこし自分のことを認めれるようになった。すこしずつ前に進んでた、わたしそれに気づいていなかったみたい。

まだ、食事と睡眠の時間は無駄でしかないという固定観念から抜けることができていないけれど、周りと比べずに自分なりの方法を見つけてがんばっていきたいなと思います。そしてそろそろnote更新したいなと、ねむい目を擦りながらパソコンを見つめております。

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以前にも書いたかもしれないけれど、わたし自分の気持ちを素直に伝えることができない。冗談でわちゃわちゃしながらは言えるのに、真面目な雰囲気になると言えなくなる。あ、でも相手の気持ちがわからないと冗談ではぐらかしてしまうかもしれない。冗談でも笑いながら聞かれたとしてもわたしが素直に発言して「え、なに言ってんの?笑。」っていう反応がこわい。

否定されたらどうしよう。嫌われたらどうしよう。酷い言葉を言われたらどうしよう。たくさん考えて正しい答えを見つけようとしても結局はなにもわからない。どんな答えが最善なのかなんて。

昔はちゃんと自分の気持ちを伝えることができていたと思う。原因となってしまったことってなんだろうと思ってもうまく思い出すことができない。きっと昔のことはどれも忘れたい思い出だらけだ。思い出す度に息苦しさを感じてしまう。ただ言えることは、中学生時代の思い出は「これはあなたにとって悪でしかありません」そう誰かに言われたかのように鎖で縛られてしまっている状態であること。

思い出すことができないのだから中学生時代が原因なのかはわからないけれど、いまになっても素直に自分の気持ちを伝えることができない。以前よりは誰かに嫌われたり、誰かの視線に怯えることもなくなったように思う。でもやっぱり自分の中で大切な気持ちを抱いている人には嫌われたくないと思ってしまう。

このようなことを思ったのは、わたしがついに先日やらかしたから。自分の気持ちを素直に伝えることができなかったから。ある人にあることを尋ねられたとき、冗談で聞かれているのかと思い冗談で返答した。半分以上は、恥ずかしさのあまりごまかしたかっただけだった。

そしてまたいけない思考になってしまっていた。「わたしが正直に言ってしまうことでもう仲良くすることができないのかもしれない」「なんて思われるのかわからなくてこわい」なんて思っていたの。そして思いっきり違うと否定してしまった。笑いながら聞かれていたのもあり笑いながら否定したけれど次の日、毎日の習慣化していたことがなくなり2日目におかしいと感じて自分がやらかしたことに気づいた。(遅い)

ああ、なんてことを言ってしまったんだろうと後悔した。完全にわたしの失言だ。このままどうにもできないのかもしれないと思ったら締め切り前だったのにもかかわらず仕事はもちろん、食事を取ることもなにかすることもすべて手が付かない状態になってしまっていた。そんな不安で悲しい気持ちを抱き1日過ごしてやっとわたし自分の気持ちに気づいた……いや、認めることができた。きっとどこかで自分の気持ちと向き合うことに不安や恐怖を感じてしまっていたのかもしれない。だから否定してしまったのかもしれない。ほとんど恥ずかしさだと思うけれども。

あることがきっかけ(またどこかで詳しく言えたらいいなあ)で勇気と素直とポジティブな気持ちが大切だと改めて気づいた。こうして素直になることで相手もちゃんとわたしの気持ちに応えてくれるんだって。素直になることのなにがこわかったんだろう。なにに不安を抱いていたんだろう。

素直になることってこんなに素敵なことだったんだって思えた。一筋の光が差してくれたように自分の気持ちと向き合い認め素直に伝えることがどんなにいいものかと。ひとつ間違えてしまうと素直=わがままということになってしまうかもしれない。

でも、これだけは思った。言われてもいないことに不安を抱いて勝手にそう思い込んでしまうのは、わたしが勝手に相手の気持ちを決めつけてしまっているから、と。そう思ったらわがままにならない範囲で素直になることも、不安を感じてしまっていても勇気を出してがんばって相手に尋ねることはとても大切だと思ったの。





これを機に勇気と素直を胸に、すこしずつ変わっていけるように自分としっかりと向き合っていきたいと思った。あんな気持ちにもうならないためよりも、相手を傷つけてしまわないためにも。

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