写真を撮ると魂が抜かれるという迷信と、心霊写真の親和性について

 写真を撮られると魂が抜かれる。

 こういった話を聞いた事はないだろうか?
 日本で初めて写真が撮られたのは江戸末期にまで遡る。
 1857年(安政4年)「島津斉彬(しまづ なりあきら」という薩摩藩11代目藩主が写真撮影をされた日本人初の人物であると記録されている。
 当時の写真撮影時間は、2分程時間を要していた様で、その際は微動だにする事も、まばたきをする事も許されなかった為、人々は撮られるだけで疲れ果ててしまい「写真を撮られると魂を抜かれる」という揶揄を言い始めた。
 しかしそういった揶揄も「写真を撮られている間、息を止めて倒れそうになった人」がいたり、「写真は自身の姿を完全に再現するものだから、『魂』が吸い取られる事によって『真の姿』を完全に再現するもの」として、当時の一部の人々には恐れられていた様である。
 実際のところ、今まで「肖像画」としてしか自身の再現は不可能であった時代において、写真は「恐怖の対象」となり得ていたのも事実ではある。「魂を抜かれる」という「疲労から来る揶揄」も、 本気で受け取っていた人々も数多くいたのは想像にかたくない。

 さて、現在においては、スマートフォンが普及し「写真を撮る」という行為は最早「生活の一部」となってしまっている。……スマートフォンの機種によっては邪魔な背景や人を消す機能やアプリなども存在しているのだから「写真」というコンテンツが日々進化しているのも事実であろう。

 そんな中、奇妙な心霊写真も存在する。
 何かがある、というのが心霊写真にとってはお決まりではあるのだが、この心霊写真においては「いるはずのものがいない」のである。

「いない心霊写真」

 不自然に空いた「人がいたであろう」空間に違和感を感じた方はどれくらいいるだろうか? 筆者はこの「不自然な」写真に目を引かれた。
 写真を撮る、という行為が「魂を抜く」ものだとしたら、この不自然に空いた空間にいた「誰か」は存在そのまま魂ごと抜かれた様にも感じる。

 スマートフォンが普及し始めた近年だからこそ、我々は今一度「写真に自らの姿を写す」という行為に畏怖の念を抱くべきではないだろうか?

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※注釈:2022年刊行「月刊異界特別号『我々の知らない心霊写真』」より抜粋

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