十二歳と青二才

もうあれから9年経つのか。

掲示板の前が親子の声で賑わう母校の目の前を通りながらふと、思った。
我が子を受験に送り出した親御さんたちは、子どもの受験番号を掲示板に見つけて、本人以上に大騒ぎしている。
小学校を休んで自身の合格発表を見ているであろう子どもたちは、まるで他人事といった様子で部活動が行われている校庭を覗いている。

僕は中学受験を経験した。
思えば、早稲田中学に入ったのも何かの縁なのだろう。

一般的に、東京都の中学受験は2月1日~3日が山場だ。
1月に埼玉の中学を2校受験し、調子を整えた僕は、2月1日にまた別の中学の試験に臨んだ。
その学校の12年分の過去問を解き、12勝0敗。小6の冬には合格最低点から7-80点上回った点数を叩き出していた僕は、余裕をカマしながら電車に揺られていた。
ここも早稲田も受かった後に天秤に掛ければいいなんて思いながら。
2月1日。八王子では降っていた雪は、都心に向かうに従って、次第に雨へと変わっていった。

「えっ、落ちた?」

翌日、滑り止め校の受験を終えた僕は、高尾の山の中で母からの報告を受けた。
前日から降り続いていた雪を踏みしめる音が、妙に大きく感じた。

塾で不合格を報告すると、先生たちは既に知っている様子だった。
お前は本番に弱いな〜、と軽口を叩かれ、その後は友達と遊んでいた。不合格の焦燥をかき消すように。

2月3日。運命の日、朝。

塾の先生2人と両親の付き添いの下、早稲田中学へ向かった。先生たちにとっては一昨日の僕の不合格は寝耳に水だったようで、見守りに来てくれたのだった。
子ども1人のために大人4人が付き添ってくれるというのもなかなか異様な光景だっただろう。今になってありがたさが身にしみる。
その日は、一昨日の荒天とは打って変わって快晴だった。

「じゃあ、行ってきまーす」
「うん、頑張って」

校門で4人に出立を告げ、後ろを振り向かずに教室へ向かう。
その頃には、道端の雪もすでに溶けて消えていた。

2月4日。

両親と僕は、合格発表を見届けるため、早稲田中学へと足を運んだ。昨日、塾で自己採点をしたので、どうせ受かってんだろうな、と思いながら。
母親は、僕の受験番号を掲示板に見つけて、本人以上に大騒ぎしていた。
小学校を休んで自身の合格発表を見ている僕は、まるで他人事といった様子で部活動が行われている校庭を覗いていた。
そんな様子を鮮明に覚えている。小学校の1/3程度の大きさの校庭。一面人工芝の校庭。走り回る学ラン。小学校の1/3程度の大きさの校庭…。
僕の通っていた小学校が、東京都でいちばん校庭がデカい小学校だったせいもあるけど。

12歳の冬、僕は間違いなく人生でいちばん勉強していた。
朝7時に起きて9時から冬期講習、18時に終わったあとは22時まで塾で自習。家に帰ってなんやかんや24時過ぎに就寝。
まさに受験生の理想的な生活だ。

試験の前の日でさえ勉強する気が起きず、日付が変わるくらいからなんとか取り掛かり始める怠惰な現状を送っている学生の過去とは到底思えない。

あれから9年経つのか。

人は変わるものだ。

#コラム #エッセイ #中学受験

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