あの日言えなかった「ごめんね」。
あまりにも眠れない夜、ふと昔のことを思い出した。
あの日言えなかった、「ごめんね」の言葉。
今日はそんな話をしよう。
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私の母は、私が物心ついてすぐに、ステージ4の大腸がんでこの世を去った。
そんな母がまだ元気だった頃、私が幼稚園年中だった時の話。
母と姉と私の3人で、吉祥寺にある井の頭公園に遊びに行った。
今はもう無いかもしれないけれど、その当時は、シャボン玉を作れるおもちゃが、公園の売店だったか、出店だったかで購入することが出来た。
いかにも子供のおもちゃに相応しいような、かわいらしい動物の形をした、ポップなデザイン。
スマートな形状の透明のプラスチックにシャボン玉液が入っており、液の中には貝殻をモチーフにした飾りやラメが入り混じっていて、振るとキラキラ輝く、今の私が手に取っても、きっと「かわいい」と気に入るであろう、大人びたデザイン。
2種類のシャボン玉のおもちゃがあった。
年中の私は、もうその時からすでにませていて、後者を選び、母が買ってくれた。
そのシャボン玉のおもちゃを嬉々として握りしめ、シャボン玉を作って遊んでいると、姉がこんなことを言い出した。
「ゆり、前にそれ買ってきてあげたら、『これじゃない!』って言って、泣いて池に投げて捨てたんだよ。ママがせっかく買ってきてくれたのに。」
私は全く覚えていなかったが、公園でシャボン玉のおもちゃをねだったことが、前にもあったようだ。
シャボン玉のおもちゃを見掛けた時は素通りしたが、後になって、私が「やっぱりあれが欲しい」と駄々をこねたそう。
そして姉と私で遊んで待ちながら、母が買いに行ってくれたのだという。
その時母が買ってきてくれたのは、大人びたデザインの方。
けれど少し前の私は、年中になると目もくれなかった、子供らしい動物のデザインの方が欲しかったようだった。
そして、母がせっかく来た道を引き返してまで買いに行ってくれたそのシャボン玉のおもちゃを、泣いて文句を並べ、「これじゃない」という言葉とともに、池に投げ捨てたという。
その話を姉から聞いた時に、自分を包んだ感情は、5歳という子供にとって、初めて経験する感情だった。
故に、それがどういう感情なのかも、どうして自分がそんな気持ちになったのかも、わからなかった。
ただ、未だかつて経験したことのない感情に苛まれて思ったことは、「なんなんだろう、この気持ち。気持ちが悪い。」ということだった。
この時芽生えた感情が、"後悔"というものであることを知ったのは、もう少し後になってからの話だ。
そして、相手の立場に立ち、その相手がそれをされてどう感じるか、ということと切に向き合ったのは、多分これが人生で初めての経験だった。
母の立場に立ち、娘が喜ぶ顔を思い浮かべてせっかく買ってきたおもちゃを池に投げ捨てられた時の、母の気持ちに心を沿わせた。
そしてまた、言いようもない感情に襲われた。
大好きな母が、私のためを思って、せっかく買ってきてくれた愛情の証を、私は池に捨てた。
決して綺麗とは言いがたい濁った水の中に、母の優しさを沈めた。
たかが、「欲しかったのと違うデザインだったから」という、理由にもならない理由だけで。
自分が相手を傷つけ、それを悔み、その悔む気持ちを、人は" 後悔 "と呼ぶこと。
そしてもし、人を傷つけたことを本当に悔んでいるのなら、時は戻せない以上、謝ることしか出来ない。
それほどまでに、人は無力であるということ。
そんなことを、もしあの時の自分が知っていたら、私は迷うことなく、母に「ごめんなさい」と伝えられていただろう。
母はきっと、目を細めながら、笑って、「いいんだよ」と、優しく許してくれただろう。
結局私は、母に「ごめんね」を伝えられることなく、その数年後、母は亡くなった。
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私が人生で初めて、後悔という感情を覚えた日。
そしてその後悔は、もう一生消えることがない。
消せることが出来ない。
どれだけ口に出しても、もう伝えられることはない。
そんな、たった一言の、「ごめんね」という言葉。
私は、この後悔と、母の愛情を忘れずに、これからも生きていく。
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