『地面師たち』を観て。視聴者を闇に染める、傑作。
※注意※ ネタバレありの感想です。
少し前から口コミでその面白さが話題となっていた、Netflixにて配信が開始された『地面師たち』。
1話を再生し始めたら、最後。
一度はまったら絶対に逃れられない罠のような、そんな魅力を持ち合わせる作品だった。
あまりの面白さに、狂ったように一気見した。
*
観終わったあと、
最も印象的であったこと、
尚且つこの作品の魅力を作り上げる根源、
それらを考え出してみた。
一番の理由は、
「登場人物への感情移入を、巧みに操られた」
という、
異物感のような、
それでいて、妙技の魔法にかけられていたような、
そんな不思議な感覚を残されたことだろう。
そこには、自分の意思など介在しない。
視聴者は、作品の手によって己の立場をすり替えられる。
気がつかないほど、自然に。
そしてまるっきり正反対なほど、強引に。
世に出される作品の多くは、いつの時代だって、ヒーローが主役で、悪役は脇役だ。
視聴者・読者の立場で、悪役を倒すヒーローの活躍を、時に手に汗を握りながら応援する。
けれど本作は、
その立場が、180度ひっくり返る。
主役が悪役で、ヒーローは脇役なのだ。
主役の目線は、その悪人の眼を通したものだ。
そして、視聴者の立場も同様にひっくり返される。
「ヒーローを応援する自分」から、「悪役を応援する自分」へと。
作品に没頭する最中、地面師を応援しだしている自分が生まれた。
地面師たちの計画が危機に瀕すると、焦る自分。
どうしたらこの場を凌げるか、必死に考えを巡らす自分。
112億の取引が成立すると、心底ほっとしている自分。
7話に渡り描かれるこの作品を観ていたら、
気がついた頃には、
私も立派な、
地面師になっていた。
完全に地面師たちの計画に感情を加担している自分を俯瞰して、ふと思った。
私はいつから、犯罪者側に堕ちたのだろうか。
真っ暗なダークゾーンに、視聴者の手を引き、誘い入れる。
それが、
この作品の魔力だ。
そこにはきっと、豊川悦司さん演じるハリソン山中という屈指の知能犯が持つ、狂人さとカリスマ性と彼が持ち得る魅力が、その背景としてあるのだろう。
俗に言う、「頭が良い」には、色々な要素がある。
ただ単に学歴が高いということ、頭脳の回転が早く知能が優れているということ、沢山の書物や作品に触れ教養と知性を持ち合わせていること。
ハリソン山中の場合、学歴は明かされていないため不明だが、知能がすこぶる高く、且つ学を持ち合わせている、という意味の、頭の良い人間のように描かれている。
彼が北村一輝さん演じる竹下を殺すシーンで放つ台詞。
「最もフィジカルで、最もプリミティブで、最もフェティッシュなやり方でいかせていただきます」という一言。
フィジカル = Physicalは、彼の行動・竹下の殺され方そのままに、「身体的に」という意味
プリミティブ = Primitiveも「原始的な」という意味で上述同様。
最後の、“フェティッシュ”。
学のない人間は、ここで篩にかけられ足止めを喰らう。
フェティッシュ = Fetish。
フェティシズムの意味かと思って調べたら、“呪物崇拝”なども表す多様な意味を持つ単語だった。
しかしここでの使われ方は、ハリソン山中が、エクスタシー、つまりは快楽を求め続けていることから、上述のフェティシズムの意味。
リリー・フランキーさん演じる辰を殺す時も、
その少し前、映画『ダイハード』のあるシーンについて、「3、2、1」のカウントの末に悪役を崖から突き落とす段取りでいたのに、本番では1で突き落とすことで、あのシーンは最高の表情を撮ることが出来たのだ、という話を、綾野剛さん演じる拓海に教える。
辰を殺す際、視聴者は誰もが、それに倣い1で辰を突き落とすのだろうと息を顰めていた。
しかし、ハリソン山中という男は、決して裏切らない。
容赦なく、微塵の慈悲も無く、321を数えることなく、3で辰を地上へと突き落とす。
これが、ハリソン山中という狂人の姿だ。
彼が欲してやまないのは、金以上に、何よりも、エクスタシーだった。
*
最終話、山本耕史さん演じる青柳が通報があった寺へと駆けつけて、本物の川井の姿を目の当たりにし、彼女へと近づいていくシーン。
その最中での青柳の頭の中での回想。
地面師を甘く見ていた、自身の発言の蘇り。
それは一重に、私たちへの警鐘のようだった。
地面師のような土地を対象とした詐欺でなくても、犯罪、こと周到な用意を必要とする計画的な犯罪は、私たちの生活の中に、ひっそりと、完璧に偽善の仮面を被り、潜んでいる。
そしてそれらを、決して甘く見てはならない。
他人事だと思ってはいけない。
法を犯し、それを生業とし生きている人間たちの、巧妙さと明脳さ。
知能犯を、なめてはいけない。
そのことを物語っているように思えた。
そして地面師を愚弄し、同僚の言葉を真に受けることなく取り合いもせず、己の名誉挽回のため、目の前にぶら下がる美酒のために、まんまと地面師たちに欺かれた青柳の無様な姿と、その死に様を観て、
「ざまあみろ」
と思っている自分が居た。
視聴者の自分が、完全に地面師たちの側に堕ちたと思い知らされた瞬間だった。
*
物語最後、ハリソン山中が雪山で猟銃を構えているシーン。
同じ山に登った仲間たちを、残らず惨殺していったハリソン山中が、まだ生きていたことを仄めかすシーン。
言いようもない、恐怖を感じた。
まるで、視聴者の私たちに銃口を向けているようだった。
ハリソン山中が覗くそのスコープの向こう側には、私たち視聴者がいるのだろうか。
それは、視聴者が視聴者の枠を越え、知らず知らずのうちに地面師としてこのゲームに参加していたことへの、あの狂人からのペナルティなのかもしれない。
*
何故ハリソン山中が、あそこまでの狂人になってしまったのか。
そこに焦点を置き、もう一周作品を見返してみよう。
もう一度、この地面師たちのゲームに、参加してこようと思う。
第一話を再生し始めて、冒頭3分で気がついた。
襲いかかってくる熊をハリソン山中が撃ち殺すシーン、そこでレンズに返り血が飛んでくる。
まるで、自分の顔にも返り血が飛んできたかのように思えた。
ああそうか。
私たち視聴者は、最初から、
ハリソン山中と共に、闇の世界に身を染めてしまったのだろう。
彼がエクスタシーを求める狂人へと、その姿を変えてしまう瞬間と共に。
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