見出し画像

『地面師たち』を観て。視聴者を闇に染める、傑作。

※注意※ ネタバレありの感想です。


少し前から口コミでその面白さが話題となっていた、Netflixにて配信が開始された『地面師たち』。

1話を再生し始めたら、最後。
一度はまったら絶対に逃れられない罠のような、そんな魅力を持ち合わせる作品だった。

あまりの面白さに、狂ったように一気見した。



観終わったあと、
最も印象的であったこと、
尚且つこの作品の魅力を作り上げる根源、
それらを考え出してみた。


一番の理由は、

登場人物への感情移入を、巧みに操られた

という、
異物感のような、
それでいて、妙技の魔法にかけられていたような、
そんな不思議な感覚を残されたことだろう。

そこには、自分の意思など介在しない。
視聴者は、作品の手によって己の立場をすり替えられる。
気がつかないほど、自然に。
そしてまるっきり正反対なほど、強引に。

世に出される作品の多くは、いつの時代だって、ヒーローが主役で、悪役は脇役だ。
視聴者・読者の立場で、悪役を倒すヒーローの活躍を、時に手に汗を握りながら応援する。

けれど本作は、
その立場が、180度ひっくり返る

主役が悪役で、ヒーローは脇役なのだ。
主役の目線は、その悪人の眼を通したものだ。

そして、視聴者の立場も同様にひっくり返される。
「ヒーローを応援する自分」から、「悪役を応援する自分」へと。

作品に没頭する最中、地面師を応援しだしている自分が生まれた。

地面師たちの計画が危機に瀕すると、焦る自分。
どうしたらこの場を凌げるか、必死に考えを巡らす自分。
112億の取引が成立すると、心底ほっとしている自分。

7話に渡り描かれるこの作品を観ていたら、
気がついた頃には、

私も立派な、
地面師になっていた



完全に地面師たちの計画に感情を加担している自分を俯瞰して、ふと思った。

私はいつから、犯罪者側に堕ちたのだろうか。

真っ暗なダークゾーンに、視聴者の手を引き、誘い入れる

それが、
この作品の魔力だ。



そこにはきっと、豊川悦司さん演じるハリソン山中という屈指の知能犯が持つ、狂人さとカリスマ性と彼が持ち得る魅力が、その背景としてあるのだろう。

俗に言う、「頭が良い」には、色々な要素がある。
ただ単に学歴が高いということ、頭脳の回転が早く知能が優れているということ、沢山の書物や作品に触れ教養と知性を持ち合わせていること。

ハリソン山中の場合、学歴は明かされていないため不明だが、知能がすこぶる高く、且つ学を持ち合わせている、という意味の、頭の良い人間のように描かれている。

彼が北村一輝さん演じる竹下を殺すシーンで放つ台詞。
最もフィジカルで、最もプリミティブで、最もフェティッシュなやり方でいかせていただきます」という一言。

フィジカル = Physicalは、彼の行動・竹下の殺され方そのままに、「身体的に」という意味
プリミティブ = Primitiveも「原始的な」という意味で上述同様。

最後の、“フェティッシュ”。
学のない人間は、ここで篩にかけられ足止めを喰らう。

フェティッシュ = Fetish。
フェティシズムの意味かと思って調べたら、“呪物崇拝”なども表す多様な意味を持つ単語だった。

しかしここでの使われ方は、ハリソン山中が、エクスタシー、つまりは快楽を求め続けていることから、上述のフェティシズムの意味。

リリー・フランキーさん演じる辰を殺す時も、
その少し前、映画『ダイハード』のあるシーンについて、「3、2、1」のカウントの末に悪役を崖から突き落とす段取りでいたのに、本番では1で突き落とすことで、あのシーンは最高の表情を撮ることが出来たのだ、という話を、綾野剛さん演じる拓海に教える。

辰を殺す際、視聴者は誰もが、それに倣い1で辰を突き落とすのだろうと息を顰めていた。
しかし、ハリソン山中という男は、決して裏切らない。
容赦なく、微塵の慈悲も無く、321を数えることなく、3で辰を地上へと突き落とす。

これが、ハリソン山中という狂人の姿だ。

彼が欲してやまないのは、金以上に、何よりも、エクスタシーだった。





最終話、山本耕史さん演じる青柳が通報があった寺へと駆けつけて、本物の川井の姿を目の当たりにし、彼女へと近づいていくシーン。

その最中での青柳の頭の中での回想。
地面師を甘く見ていた、自身の発言の蘇り。

それは一重に、私たちへの警鐘のようだった。

地面師のような土地を対象とした詐欺でなくても、犯罪、こと周到な用意を必要とする計画的な犯罪は、私たちの生活の中に、ひっそりと、完璧に偽善の仮面を被り、潜んでいる。

そしてそれらを、決して甘く見てはならない。
他人事だと思ってはいけない。
法を犯し、それを生業とし生きている人間たちの、巧妙さと明脳さ。

知能犯を、なめてはいけない

そのことを物語っているように思えた。


そして地面師を愚弄し、同僚の言葉を真に受けることなく取り合いもせず、己の名誉挽回のため、目の前にぶら下がる美酒のために、まんまと地面師たちに欺かれた青柳の無様な姿と、その死に様を観て、

ざまあみろ
と思っている自分が居た。

視聴者の自分が、完全に地面師たちの側に堕ちたと思い知らされた瞬間だった。





物語最後、ハリソン山中が雪山で猟銃を構えているシーン。

同じ山に登った仲間たちを、残らず惨殺していったハリソン山中が、まだ生きていたことを仄めかすシーン。

言いようもない、恐怖を感じた。

まるで、視聴者の私たちに銃口を向けているようだった。
ハリソン山中が覗くそのスコープの向こう側には、私たち視聴者がいるのだろうか。

それは、視聴者が視聴者の枠を越え、知らず知らずのうちに地面師としてこのゲームに参加していたことへの、あの狂人からのペナルティなのかもしれない。



何故ハリソン山中が、あそこまでの狂人になってしまったのか。

そこに焦点を置き、もう一周作品を見返してみよう。

もう一度、この地面師たちのゲームに、参加してこようと思う。

第一話を再生し始めて、冒頭3分で気がついた。

襲いかかってくる熊をハリソン山中が撃ち殺すシーン、そこでレンズに返り血が飛んでくる。
まるで、自分の顔にも返り血が飛んできたかのように思えた。


ああそうか。

私たち視聴者は、最初から、
ハリソン山中と共に、闇の世界に身を染めてしまったのだろう。

彼がエクスタシーを求める狂人へと、その姿を変えてしまう瞬間と共に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?