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田舎の未来を読んで

さのくんの本を読んだ。
この感じ、忘れないように言葉にしてたいと思ったので勢いのまま書きます。


記事のいくつか気になったところの部分的、本文も少し抜粋させていただきながら
感じたこと書いていきます(本当にただの感想文になりそう…)
特に有益な事もかけそうにないし、個人的な話だけど
忘れないうちに書き留めます。

先日公開したnoteにも書きましたが、私は中途半端な田舎みたいなところに生まれ、今も住んでいるので
叔母が嫁いだ四国の山奥の話とかを聞いていると、どこか他人事のような
わーそんなところに。とうい気持ちでしかなかったし
(映画館に行くのも1日がかり。みたいな話)
やっぱり「そこに住んでいる」かどうかでこの本の様々な文章の受け取り方が変わるんだよなあとも。


最後尾から最先端へ。島根の離島、海士町で見たもの
高校時代からの友人が、鳥取のある市に町おこしで3年間の契約で移住したことを彼女の姿を重ねながら読んでた。
実際、彼女は地域町おこし隊の満期がきても鳥取に住んでて
地域の方との交流もSNSで見てる。
私も2回彼女の元を訪れてこの目で見たつもりでいたけど
結局「つもり」だったような気がするので、また行った時に話を聞きたいな。
彼女が仕事のため、構ってもらえない時に
1日自転車を借りて町をぐるぐる走ったこととか
(知らないおじいちゃんに話しかけられてドライブも連れてってもらった。今考えたら普通に危ない)
その時廃院した病院?でみた展示良かったなー。結局私は何かの作品とかがないと興味がもてないのかも…。
本気になった人たちが、少しずつ本当に少しずつ世の中を変えていく。
そういった人たちばかりが上に居るわけではないから、当たり前のように本気の人たちが上にいて欲しいなって。綺麗ごとなんだろうか。。

ぼくが1年考えた、「田舎の未来」について
「ヨソモノの迎え入れ」のとこで
私が働いているのグループ会社の社長が
「ヨソモノ・バカモノ・ワカモノが世界を変える」みたいな話をしていたのを覚えてて
外からの意見や考えで、打破していくものがあるのだよなあと思いつつ
こんな末端の意見は上には届かないんだよなあとの絶望したのも思い出した。
固定概念を壊していくのは確かにヨソモノだと思う。

「コンテンツまちおこし」
瀬戸内海について触れらていたので。
私はその中の豊島がすごく好きでよく島に「帰る」(行くのではなく帰る感覚になる。伝われ)
食文化とか正直あまり関心がない私なので、大変申し訳ないのだけれど…
豊島美術館に、心臓音のアーカイブに、あの景色を見るために毎回帰る。
美術館は展示物が変わるわけではないし、景色も大差ないかもしれないけど
時間や季節で変わるその土地に、美術館に、そこに住んでいないからこそ
えいやー!って時間作らないと行けないからこそ帰るのであって
田舎だから行こう、って感じでないけども。。
うーん着地点が見つからない。
なにかを背負いながらもはじめられることは、きっとあるだろう
これ、しびれました。

都会と田舎の家と仕事、その未来について
興味深く共感というか、そうそう!っなった。
SNSとかインターネットとかの所は特に。世代なので。
(実はさのくん同い年だし誕生日も近い)
私は家が好きだし、というか生まれ育ったこの土地もすごく好きで
この中途半端な田舎が好きなのかな、とか考えたけど
田舎に住むことなんてただの贅沢だとまで言われた。
でもぼくが田舎に住みたい理由は、贅沢したいからではない。かといって家と引き継ぎたいからでもない

に、それだーーーってなったのは事実。
私も贅沢がしたいわけではないけど、先日姪にプレゼントを渡すため
自宅から徒歩3分の兄夫婦が住むアパートに行った時
道中人の気配は感じるけど(網戸越しに聞こえる話し声やテレビの音とか)
静かで、虫の声とか風の匂いもわかって
この感じが私の「家に住む」の感覚に近いんだよなって。
土や木や花の匂いがわかる家がとても好き。
撮影とか仕事が忙しくて、寝に帰るだけの時期も勿論あるけど
建築学んでた身としては、やっぱり「ここに帰る」家がないとなって思った。
でも田舎ならではのコミュニティの縛り、みたいなのはやはり息苦しくも感じるときはあったりする。(元々住んでいる人と土地の話である。凝り固まったアレコレ。)
皆がみんな良い人たちではないので、ご近所さんとの関わり方は難しくしんどいものだな、と。
でもここでは「働けない」ので私は名古屋で仕事するし
「住む」けどここで「仕事」はできなんだよなあと読みながらぼんやり考えてた。
大体「田舎で暮らす」イコール「丁寧な(そして無添加)暮らし」
みたいなのが、なんともしっくりこないんだよなあ。
最寄りのコンビニまで自転車で5分はかかる田舎だし、自宅の庭でタイミング良ければ流星群は見えるけど
別に丁寧に暮らせてないし、深夜に割と大きな音で音楽流しながら作業してるし、睡眠時間だって削って編集作業もする。
丁寧な暮らしって、なんなんだろう。なんでか押しつけを勝手に感じてしまうんだよね…。
これも脱線したし、着地点見つからず。

さとり世代の将来の夢と、「仕事」を疑うについて
できるだけ不安が少なく、できるだけ愉快に暮らしたい
これめっちゃわかる。(わかる)
あと論点ずれてるかもだけど、居場所を作る、などの内容で
すださんのサブスクに関するツイートを思い出した(だったよね?)


SNS上では、世界一の技術を持つ人と、ちょっとやったくらいで比較のレベルにもならない自分が同列に並んでしまう時代である
ここに繋がるな、と。
とりわけ、この部分の記事は自分に染みたので
わたしも仲間を大事にしてがんばる。
もうこれしか言えないけど、仲間たちと頑張るしかないのだ。
信じた人たちと、信じてくれてる人とでなんとかやってくしかない。

長くなってきた上に、私の感想文になってるのでもうここらで引用してのアレコレはで辞めておく、、


コミュニティだったりSNSのこと、うまい言葉が見つからないなあって思ってたこと
府に落ちた場面がいくつかありました。
インターネットって怖くてめんどくさい所多いけど
もっと優しくて光があるもんだよなあって思うこととか。
(なんかちょっと違うかもだけど)

私は平日働きながら、仕事終わりや休日でライブを撮影したり
アーティスト写真の撮影だったりをしていて
さのくんとの出会いも、彼がVJとしてイベントを手伝ってくれた時に出会ったので
(2016年8月のこと。その時撮影したさのくんの写真がこのnoteで使用していただいてます。読んでみてね。)


それ以前、以降の彼の葛藤や活動を読めてよかったなあと。
この本を通じて、為になった!!生きる活力でた!!とかではなくて(なんか失礼な言い方になってしまった、ごめんね)
物事に対しての知識として幅が広がったり
言葉がするりと落ちてきたり、なるほど、となることが多かったなと。
やっぱりさのくんの文章好きだな、こっそり誕生日ブログ読んでるくらいだし。(誕生日が近いので気づくと更新されてて読んでしまう)
この本の良かったところは、むずかしい用語とか使用されず
かつ、7年前の事の始まりから書かれてるから時系列に沿って読んでいけて
この先を考えたり、今後のことを気にかけれる所だなあって感じました。
あとさのくんの気持ち(感情)が文字を通して伝わるところ、とか…!


戦ってるフィールドは違うし、変な言い方だけど相手にしてる部分も異なる
それでも私は勝手にさのくんを応援するし
きっとこういった、よくわかんないけどめっちゃすごい人(誉めてる)が
これからの世界とかを変えてくと思ってます。
(世界というか、生活や仕事の仕方とか)
さのくんの活動、よくわかんないけど凄いことやってる
から
凄いことやってる、くらいまでには解ったので(もっと解れよって言わないで、もう一度読み返すから!)
わたしも私の持ち場で精一杯頑張っていきたい。
そればかり好きで見ていると、視野が狭くなる。
そういった意味では、さのくんとの出会いで沢山のコミュニティや頑張ってる人たちを知れているので
インターネットの隅っこから、これからも見てます、うん。
本当にただの感想文になってしまった…なんて深夜に頭抱えたけど
せっかく書いたので、インターネットの海に流しておきます。
もっと有益でかっこよく纏めれたら良かったんだけどなあ。
文章書く力を身につけないと、、


あと雪が深い美しい時期に清里の宿にもいきたいです。
当方ペーパードライバーで運転は出来ないし
寒さにはめっぽう弱いけど、大丈夫でしょうか。
雪、みたいです。
北海道は雪の影が青いって聞くので、そこで聴きたい歌がある。
みんなで遊びにいきましょ!
楽しいことを楽しいままでは、生活はできないかもだけど
生きていくことは可能だと思います、頑張って生きていきたい。
可能なら全部抱き締めて生活してたい。欲張りなんだろうか。
でもそのために、やるべき事やってけるように頑張るのみです。


私が読んださのくんの本はここから買えます。
難しい話や言葉ではないので、ぜひ。

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