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ポピュリズムとSNS

今日は出かける前に、少しだけnoteを更新しようと思います。
今のSNSの状況を見ていると、中身を確認しないで確固たる理念に賛同しているわけでもないが、影響力のある人、自分の琴線に触れる言葉に反応し、事実確認などの裏打ちをせずに、リツイートなどで拡散されている状況を見て、一種のポピュリズムの様な恐怖心を感じました。

タイムラインに流れてきたニュースのタイトルを見るにとどまり、内容を確認をせずに無意識にリツイートをするということは、記事を書いている記者の方やその真実を語った人たちの気持ちを大きく踏みにじる行為であると共に、同じような形でリツイートされ、到底真実が伝えられない状況になってしまうという感覚があります。

基本的に私は、本であってもその本に書かれていることがその人の主観ベースか論文ベースかの確認はするようにしています。(創作小説は別として)本として出版されているなら、真実であろうというスピード感で認識してしまう人も多くいることが事実で、もしもその「本」を突き詰めて調べて言った時、最新の論文と齟齬があった場合は、その本を書かれた本人の主観が大きくあるという風に感じてしまいますし、また近年、日本を礼賛する本が異常に売れるという現象も60代、70代の方がその本の広告記事を持ち書店に行くという現象が多く起きている原因は、Twitterなどのトレンドを操作する、左側の人の言葉にナショナリストの方が反論しようという過激な状況が起きており、その反論に根拠と言うものはないけれども賛同してしまうことが、この現象を作り上げているというのは、欧米で証明されている事実です。

このようにSNSが一般層にまで普及していないころは、2ちゃんねるなどでひっそりと対立が行われていて、2ちゃんねるを閲覧する人で書き込みに至る人はせいぜい、1~3%程度と言うところかすると、ダークウェブのようなところで政治思想、セクシャルなどが議論されていて、一般層の目につくことは殆どなかったわけです。

しかし、TwitterなどのSNSが日常の一部に組み込まれ出してから、自身の感情を吐露するという所から始まり、例えば「ラーメン食べてるなう」の様に、しかし、それが過激になり弁護士が人を差別し懲戒請求されるであるとか、男尊女卑(その逆も)インスタントに対立構造が作られる点が、事実でないことを事実であるかのように語る人、自身の思想を押し付ける為に相手の尊厳を奪うような言葉を使う人などが多くみられる中で、
私が主に扱っている犯罪被害者の権利拡充問題についても一切の知識もなく
「被害者の権利拡充をしている、だから助けてくれるだろう」というような、距離感や相手の精神的負荷を全く鑑みることなく起きるのは当然のフローであろうと思っています。
特に、私のミスだったと思うのは自身が、強制わいせつ致傷罪の被害者というところで「男に傷つけられたなら、男が嫌いなはずだ」と言うような決め付け、そして「フェミニストだろう」という「だろう」の域を出ないのに、確定的に接触される機会が増えるに連れ、どれだけtweetで性別で人に対して性別で何かを決めるような思想を持っていないと連ねても、当然にどんどんとそのtweetは下に下にもぐっていく、私の全てのtweetやnoteの記事に目を通している人などほとんどおらず、仮に一部でも読んでいれば、大きく間違えた形での接触は起こりづらいと感がています。

確かにTwitterと言うものは利用の方法を誤らなければ、とても便利なSNSだと思います。しかし、トレンドが操作されているであるとか、おかしな形で作られた構造の犠牲者になっている人も現実にいると考えると、私はさすがにこれは、相当な防衛を考えないと、犯罪被害者の実態を伝えることは不可能であろうと考えています。

人々が扇動されるロジックは声の大きい人のいう事は正しいと人が思ってしまうバイアスに問題がまずあるわけですが、今までの近代史の中でもポピュリズムを用いて深く物事を理解していないけれど、あの人が言うことは正しいに違いないという民衆の知識なき団結によって何万人の命がナチスによって奪われたという現実があります。今でも、アドルフ・ヒトラーの研究はされていますが、彼の言葉には「我々をこうしたのはユダヤ人だ」と言うことを繰り返し大声で民衆の前でも動じずにパフォーマンスが出来ていたことで、深く考えることなく「ユダヤ人が悪い」という構造に至ったという所は研究家の多くの方が仰っていることです。
それと似たようなことが、SNSでも起きていると考えると、大変危険であり、日常にあるのだから、溶け込んでいるがゆえに言葉の意味や重みを感じる機会が減り、相手がどう思うかの配慮が低くなり、傷つけている現実があるなと考えています。溶け込んでいる状況になると使いはいじめたころよりもリテラシーは低くなっていく、そして何かの思想に感化された場合その人たちを敵と思ったら、その溶け込んだものを利用して、日常的に人を傷つける道具になってしまうことは人の心理として当然かと思いました。

あまり内容が伝わらない可能性もありますが、私自身が今Twitterに関して思っていることです。相当に使用方法を考えなければ危険だろうと思った次第です。

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