赤と白色(小説)4


 私たちは外で話している時は全くもって穏やかで、とくに恋人らしくはなくとも友人にしては少し近いような距離感で語らうだけなのに、誰も見ていない空間では加虐心が顔を出すようだった。

 私は誓って翔のことが憎いわけではないので、冷酷な暴力を振うことはない。血肉と、何をしても怯えないことそのものに飢えていた。その日は彼の体に馬乗りになって、わざわざ切ってもらうことも最早無く、首に齧り付いて血を啜っていた。
 その間、翔は点滴でもされているかのように、上を向いて寝そべって、微笑みをたたえながらとるに足らないことを話す。私達はあからさまに性的興奮を覚えていたが、どうしてだかそのことは暗黙の了解に近い形で、わざわざその事について話すことはないし、興奮を示した性器に触れることもない。

 私たちの間にある加虐は一方的なものではなくて、私がこうして一心不乱に血を啜っていると、突然我慢が出来なくなったように翔が体を起こし、私の首を思いっきり締めてくることもある。花のような血色であると喩えられた私の顔色は、絞められると突然生気を失い、離すとまた戻ってくるらしかった。

 容赦なく絞められて、曖昧になっていく意識のなかで、いのちがお互いの手のひらの上にあることに興奮を覚えているのだろうか、と、やけに冷静に思ったところで私の意識は落ちた。

「こんなことするくせに君が死んだら耐えられそうにないって思う、おかしい?」
 私が目を覚ますや否や翔がそう話した。私は丁寧に、やさしくベッドに寝かされていた。
「私も同じように思う」
 まだ視界が少しぼやけていた。
 またエンドロールが訪れたように、私たちの衝動はぷつりと途絶えていた。そしてなにより、二人で穏やかに語らう時間がないと、いよいよ私たちは衝動に飲まれて、愛もない、ただの暴力に堕ちる気がしていて、それは多分共通認識だった。

「僕の親のことについて聞かないんだね」 
「親のこと?」
 翔が淹れてくれたコーヒーをいただいて、二重になっていたような自分の認識が、少しずつひとつになっていく。
「いつも誰も居ないし、僕が傷だらけでも問題にならないでしょ、もうおかしいことに気づいてるかと思ってた」
 そして私が何か言うまえに、
「いいの。同情とか聞きたくない。僕には君しか居ないことだけ知ってて欲しい。」
 そう言った翔の目は、いつも以上に空っぽだった。

 しばらく日が立って、少し汗ばむ日があるほど暖かくなった頃、私たちは、慣れ親しんだ町をほんの少し離れて、二人きりで旅行をしてみることにした。最も、無関心なお互いの親の前では容易なことだった。
 宿は美しい池のほとりにある。池には睡蓮が浮いていて、深緑の池はきらきらと鉱石のように輝いていた。
 私たちは足をいれて談笑している最中、翔は不意に、何も言わずに池に飛び込んだ。
 すぐに上がってきた翔は、死人のように緩い背泳ぎを始めた。最も背泳ぎと言っても、顔を水面から出してぷかぷかと浮いているだけだったけれど。

 深緑の池に、純白とでも言いたくなる翔の顔がぼんやりと浮かんでいて、本人はゆっくりと瞬きしているから、目を瞑る一瞬のその姿は、水死体というにはあまりにも美しく、しかし起きている人間が宿す美しさとは思えなかったので、まさに水の中で眠っているように優雅だった。
 水に触れたことでさらに生気を無くした肌色に、池の色、そのなかでほんの少しだけぽっかりと開いた唇から覗く口内だけが、この空間における暖色、赤色であり、鮮烈な印象を宿していた。
「百合子」
 私は上の空で返事のような声を返すと、
「僕をそんな目で見ないで」
 翔の顔からは拒否も受容も感じ取ることができなかった。

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